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単位取得満期退学

大学院の博士課程を最終学歴にしている人は、
まったく専門外の一般の媒体や職種に、プロフィールや履歴書などを書いた際、 
一度は経験があるのではと思われること。

学歴欄には、たとえば
「〇〇大学大学院 〇〇研究科 博士後期課程単位取得満期退学」
のように書くのだけれど、

最後の「退学」を見て、
「なんだ、大学院を退学してるのか」
て、嘲りの目を向けられること少なからず。

専門職や、研究所とか資料館などに求職した時でさえ、たまにそう言われることがあります。
「退学したクセに、わざわざ大学院へ進んだことを誇示したいのか」なんて。

いやいや、退学だったら、そもそも最終学歴に書かないでしょ。

ちなみに、私は文系ですが、
大学院の修士課程を「マスター」、博士課程を「ドクター」と称するのを、
「大学院を出たら、文系でも医者の免許がとれるのか」と言われたことがあります。
…んなわきゃない。

ことほどさように、大学院て、わかりづらい経歴のようです。

学歴を誇示するつもりはなくても、良くも悪くも誤解や曲解されがち。

私は現在、大学組織や研究機関に属していないので、もしかしたら呼び名や制度が変わっているかもしれないけれど、
私の世代の研究者で、正式な活動をしている人は、著作やプロフィールに、ちゃんと「単位取得退学」と書いています。

でも、あまりに「退学」ばかり強調されがちのため、たまに言い方を変えたり、経歴に注釈を入れる人もいますし、
私も一時、あまりに誤解され続けたので、別の言い方にできないかと、
同学歴の仲間に相談したことがありますが、

違う言い方をしたら、それは学歴詐称になるからダメと、たしなめられました。

そもそも、
大学院には、「卒業」という免状はありません。

修士課程は、修士論文により修士と認められて修了。
博士課程は、規定の年数、研究活動を続けたことを承認され、
「博士号をとるための下地として、単位をすべて修得できたので、もう学校に来る必要はないですよ」という証明として、
単位取得満期退学」の証書を取得するのです。

博士課程からさらに、研究者としての研究成果を積み、博士論文が認められたら、
晴れて、専門分野の「博士」と称することができる、それが、実質的な博士課程の満了です。

博士課程満期退学とは、博士号以前、博士未満…といったところでしょうか。

大学院というと、大学より上だから、エリート集団として君臨しているように見えがちだけれど、
実情は、研究者としては最もペーペーで、
いわば、芸人であれば、内弟子に入りたての素人に毛が生えた、発展途上人と同じ。

芽が出るがどうかは自分次第。

研究室に所属していても、指導を受ける、学ぶというより、自身で極めねばならず、
学閥があって先達の研究を引き継いだり、プロジェクトで共同研究に参画する場合を除き、

基本は「個」の成果であり、究極、誰にも頼れません。

孤独だし、イバラの道。
あらゆる否定との戦い。

さらに文系は、大学院の学歴が、一般での就職の際にハンディとされることも少なからず、
人生の上でもイバラの道です。

だいたい、大学院は、
必ずしも成績がいいからといって、進む資格があるのではなく、研究に進む資質で判断されます。

案外、子供の頃から、模範的に頭が良くて、世渡りに長けている人は、大学受験までは優等生で通るけれど、
大学以降はオリジナリティが物を言うので、マニュアル的に成績のいいタイプだと、そこで止まってしまう場合が少なくない気がします。
神童も二十歳過ぎたら…というのは、レールがなくなった時に、自己をどう確立しているかを意味してるのかと。

文系で大学院まで進むような人は、どちらかといえば、世間一般の常識からハズレた変わり者を極めたような人が多くて、
むしろそれだからこそ、通説を覆し、新説や新発見などの新境地を拓く可能性を有しているとも言えます。

経歴があるから立派そうに見えても、中身はオタクって人が大半かも。

必要なのは、人と違う思考回路を持ち、生きづらさを抱えながらも、
どんなに否定されても、時に世の中の常識すべてを敵に回したとしても、
持論を覆さず、屈することなく、信じて究極まで突き進む強さだと…
自分自身を振り返って、思います。

私は弱かったから…天才でもないし、単なる変わり者どまりで、
集団の中で阻害される恐怖に屈し、その世界では極めきれませんでした。

正式な研究者のレールからは、とうに外れていますが、
それでも私なりに、今も、実践を含め、探究は続けています。

だって、研究の原動力は、肩書や職種ではなく、自分だけの好奇心であって、それは、私が私である限り、誰に何を言われようと、一生留めることのできないものだから。

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