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映画『バビロン』原案は50年代の暴露本か。

巷でも賛否両論!
かと思いきや、意外と日本では称賛の声が大きい印象・・・。
『セッション』や『ララランド』のデミアンチャゼル監督最新作、本年度のアカデミー賞にも作品賞としてノミネートされている映画『バビロン』の感想・考察です。

きっとこれからいろんな媒体で、多種多様な感想が飛び交うのでしょうが、ぜひ、私の感想も本作を彩るひとつの"批評"、そう、"スポットライトは当たらずとも陰で生き続ける者"として機能してくれたら嬉しい限りです。

主な舞台は1920年代のアメリカ・ハリウッド。
「ハリウッド」という特異な世界で、人々が夢を見るに至るまでの壮絶すぎる助走を映した"怪作"です。
映画の都を舞台に、映画業界という非常に儚く脆く怪しい世界の、影にスポットを当てた作品。

と、ここまで書くと、なんとも美しい作品のように感じるでしょうが・・・そんな甘い映画ではないんです。

映画は群像劇スタイルで進んでいきます。
田舎からスターを夢見て出てきた若い役者、自身のキャリアを終えようとするベテラン役者、一生日の目を浴びることのないエキストラや、カメラ技師、音声、批評家、観客、仕事をあぶれた名もなきただの一般人までをも巻き込み、「映画」という「芸術」であり「仕事」、その見えない部分、いや、見たくない部分をまざまざと映し出してきます。
したがって本作は、業界の'本当'を知らない我々観客にとって、あらゆる場面がひたすらに濃すぎる3時間。これだけ表現の自由が規制され、ガイドラインに溢れかえった現代において、ここまで"疲れる"映画を観たのは久しぶりです。おそらく皆さんも、冒頭5分で「なんじゃこりゃ・・・」と思うでしょう。

その反面、この3時間が長かったかと言われると、実はそうでもない。というのが、本作の不思議なところ。
それはひとえに役者の、狂ったほどに役者すぎる演技が魅力的、ということも挙げられるでしょう。
マーゴットロビー、ブラッドピット、ディエゴガルバをはじめ、ハリウッド大作における、お金をかけるだけじゃない、役者の人生をかけたような覚悟とパワフルさにはただただ圧倒されてしまうはずです。
映画の面白さ、好き嫌いは一旦置いておいたとしても、彼らの演技ひとつを取っただけで、とてつもないものを観てしまった…と、誰しもそんなことを思うはずです。

しかしながら、そんな彼らの演技力を持ってしても拭い切れない、圧倒的な!映像の!…汚さ!笑

映画を1本作るための血と涙、なんて、まだまだ生ぬるく、血と涙と汗とゲロと糞尿と生と死と……といった具合に、そこまでやらなくても・・・と思ってしまうほど、"激しい"映像が続きます。うんこミュージアムやうんこ漢字ドリルは許せても、巨大スクリーンに映る糞尿は、可愛くないですよね(はにゃ?)

物事にはすべて、プラスとマイナスの側面があり、世界は美しいものだけで決して構成されていません。物事の本質、本物とはこういうこと!と、誰しも分かってはいるけれど、実際そうした映像って苦手な人も多い気がします。前作『ララランド』からのとてつもない振り幅に笑います。『セッション』ですら可愛いもんです。

さらに、我々観客にとっては「映画に求めるもの」の違いで、この映画が楽しめるか楽しめないか、かなり分断される気がします。
俗世を離れ、おとぎ話のような煌びやかな世界を求める者。卓越した技術と映像、人の心の奥底の、闇をも含む深層心理に触れることを求める者。いや、もしかしたらポップコーンとコーラの方に重きを置く者や、初デートの気恥ずかしさを紛らわすためだけの場繋ぎとしての役割しか求めてない人もいるでしょう!
「映画に求めるもの」その違いによっても本作の評価は様々だと思います。本作は決して、誰もが楽しめる大衆娯楽には出来上がっていません。映画を愛する者、映画制作に生きる者、シネマトグラフィーという、技術と人々の創造性が混在したしょうもない娯楽に、どこまで命を燃やせるか、その気持ちが強ければ強いほど、この映画は輝きを増す、そんな気がします。




はて、そんな映画、一体誰が求めているのでしょう。
私は万人に開かれない芸術が嫌いです。
映画好きしか楽しめない映画?
そんなことがあってはならないんです!

というわけで、15歳以上の(本作はR15なんですよね)万人が楽しめる映画であるために、タイトル『バビロン』の意味するところを考えてみたいと思います。
「ヤバい映画」そのひと言で片付けないための、ヒントとなり得たら幸いです。

では皆さん、まずは質問です。
この映画のタイトル『バビロン』って、なんの違和感もなく呑み込めましたか?

映画を最後まで観ても、これといった説明がないタイトル『バビロン』。私はここに本作を読み解く、いや、監督のメッセージを読み解くヒントがある気がしています。

おそらく多くの人が見聞きしたことのある「バビロン」は世界史でおなじみ、メソポタミア地域の古代都市、バビロニア帝国の首都として栄えたバビロンという街の名前ではないでしょうか?(ハリウッドからはまるで真反対の場所ですね)
紀元前から人々が居住した記録があり、それは二重の城壁に囲まれた、唯一無二の王朝。人と街とが栄え、バビロンの空中庭園といった都市伝説まで残る、ある種ユートピア的な側面も併せ持った、なんとも不思議な古代都市です。

こうして言葉にしてみると、まるでハリウッドのことを言っているような気もします。私自身、観光で一度訪れただけですが、たった数日の滞在でも、ハリウッドという街の異様な空気間は忘れたくても忘れられません。ディズニーランドやブロードウェイ、ラスベガスのような華やかさがありつつも、それらとは一線を画すように、人々の生活感が漂う、それがハリウッドです。スターの自宅や別荘はもちろんのこと、働くもの、家をなくしたもの、店を営むもの、あらゆる人がハリウッドという名の城のもとで、日々生活をしている様子が、なんとも異様なのです。

しかし、そんな雰囲気でごまかすようなタイトルを、あのデミちゃんが付けるはずもありません。
この「バビロン」、もう一噛みしていています。
(信じるか信じないかはなんとやら)


というわけでもう1つ。
皆さんは、「ハリウッド・バビロン」という著作をご存知でしょうか。

初版は1959年、映画監督ケネス・アンガーという人物が1920年代~1950年代までのハリウッド映画界で起こった、卑俗なスキャンダルをまとめた、俗にいう暴露本のような1冊です。出版からわずか10日で販売中止。サイレント映画時代からのスターの醜聞をまとめあげ、ドラッグ・強姦・自殺や事故死に至るまで、人々が知らない、まさに城壁の内の世界で繰り広げられていた、スターの第二の顔が詳細に記されていたというなんともいかがわしい1冊です。
無論、中には根も葉もない真っ赤なウソも多数あったそうですが…たとえば、こんな記事があったようです。
とある役者が便器に頭を突っ込んで、自分の嘔吐にまみれて窒息死した状態で見つかった・・・

いやいや、誰がどう見ても嘘だろ?と笑ってしまうような事件ですが…どことなく見覚えがあるぞ?と思っている人もいるのではないでしょうか。

こんな下世話な知識でも、あるかないかで映画の楽しみ方が変わってきます。既に『バビロン』をご覧になった皆さまだったら、もうお分かりですよね?

こんな事実を知った以上、もはや『バビロン』は「ハリウッド・バビロン」のことではないか!と思ってしまいます。
映画鑑賞直後のTwitterでは、「バビロン、ヤバい・・・」「どうしたらこんな映像思いつくの・・・」「気持ち悪い」「疲れた」「心浄化したい」そんな感想も飛び交っていましたが、もしかしてもしかすると、そういうことなのかもしれません。


そろそろまとめに入りましょう。
私が思うに、本作は「ハリウッド・バビロン」という1冊の、ある種映像化とも言える作品なのではないかと思うわけです。
心震える感動小説の映画化、手に汗握るヒーローコミックスの映画化などは、よく目にするでしょうが、3時間を超える暴露本の映画化というのはどうでしょう?

確かにそこから得られるものなんて、無いに等しい。
本作に感動する瞬間?ありません。
出てくる人物みんなクズ。
R15ですら甘くない?と思うほど、本作はエロ・グロ・ゲロのオンパレードです。

大衆に晒される役者たちは、自我の拠り所を求め、ドラッグの山と乱行パーティーに入り浸り、移民や黒人、アジア人たちが、どんな富と名声を得ようとも、白人至上主義が変わることはなく、行き着く先は夢の諦めか、自主的な撤退か、妥協か、死か。
どんな綺麗事を並べようと、どこまで崇高な作品を作ろうと、水商売と裏社会との取引の上に成り立つ映画業界。まさに暴露本の映画化にふさわしい、どこを切り取っても救いようのない、みだらで、やましい世界が皆さんを待っています。

そんな映画から、皆さんが感じ取れるメッセージはなんでしょう。役者なんてやめてしまえ、映画作りなんてやめてしまえと、思う気持ちも膨らむところです。が、3時間も終盤に差し掛かり、程よく眩暈を起こし始めたあたりで、本作は口を開き始めます・・・・

映画は舞台演劇やオペラなどと違い、小さな田舎で夢もお金もない貧乏人でも、手軽に世界を知る、いや、知った気になれる数少ない開かれた場所である、と。
腐り切った世の中であることなんて、誰だって分かっているけれど、それでも見たい景色や、馳せたい想いがある。
映画は、役者は、あのセットに出入りするすべての制作者たちは、そんなくだらない想いひとつで、あの道を選んでいるのだ、と。
分かってくれなくてもいい、ただ映画が好きなんだ、と。



本作は映画製作のドキュメンタリーではありません。
映画製作者たちの熱い想いを分ってくれ!なんて、映画は微塵も語っていません。
記事のはじめ、「この映画は誰もが楽しめる大衆娯楽になっていない」と書きました。映画制作のなんたるかなんて、我々は知らなくていいんです。その一方で、生まれた映画は、常に我々にオープンでいてくれます。
我々観客は呆れたどんちゃん騒ぎにただ興奮すればいいし、美しい女性の裸やキスシーンにどきどきすればいい。軽快な音楽で人々が走り出せば勇気を貰えばいいし、地下の要塞に連れて行かれればヒヤヒヤすればいい。ふっとどこか自分の人生で見た景色と重なる瞬間があれば涙を流せばいいし、何にも面白さを見出せなければ寝てもいいし退出してもいい。
映画は我々に何も教えてはくれませんが、何かを考え、何かを想うきっかけにはなる。映画はそれでいい。制作者たちはそう思って作っているし、観客もそれくらいの気持ちで劇場に足を運んでいい、尖りまくった作品の裏でそんな普遍的なメッセージがあるのではないかと、私は感じました。
そうしてたくさんの映画に出会い続けた先で、もしかしたら、自分の未来を変えるような、奇跡にも近い出会いがある、かもしれない。ないかもしれない。そんな偶然さが、どこか人生と似ていて、不遇であり美しくもある。
「人生は最高だ」
劇中何度か呟かれるこの台詞が、次第に「映画は最高だ」
そう聞こえてくるような気がしてしまう。そんな不思議な作品ではないでしょうか。

本作公開後、同じく映画好きの友人が言っていました。
ああー、やっぱり映画が好きなんだよなぁ…と。
確かに。これ以上もこれ以下もない映画です。
ここまで語っておきながら、私はこの映画が好きではありません。汚いし、疲れるし、夢も希望もない・・・。けれど、映画が大好き。その想いを強く再認識させられる"映画"であるのです。

作品の細部に渡る構成、手法、金の使い方、カメラワークから役者の瞬きひとつに至るまで、まったくもってずるい映画『バビロン』
特にラスト!私は騙されません!確かに興奮はしたけれど、それと同時に「あれは禁じ手だろう?」と、涙を流しながら怒りすら込み上げてきてしまいました。笑


この映画、皆さんはどう感じるのでしょうか。

最高ですか?
最低ですか?
ぜひたくさんの意見を聞きたい作品です。


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