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一瞬の風になって、散って、終わるだけでも良い。

わたしはあまりスポーツ観戦をしない。
なんでこんなにみんな野球とかサッカーとか、まるで自分の子供でも出場しているかのごとく、涙を流し熱くなれるのだろうと、いつも不思議である。
スポーツ選手の頑張りや、ヒーローインタビューは純粋にかっこいいと思うし、世界で活躍する日本人を見れば、自分も頑張らなきゃと、明日の活力を貰えることは間違いないが、かといって、スポーツ観戦のために仕事を休むとか、泣いて笑って声を荒げて応援するとか、そういうのはまったく自分の生活の範囲外の話だ。淡泊だね、冷たいね、とよく言われるが、わたしにとってのスポーツとは、熱量で押し切るものではないのだ。もっと繊細で、残酷で、孤独なものなのだ。

わたしは小学4年生から高校卒業まで、実に9年もの月日を陸上競技に捧げてきた。たまたま地元の小学校は陸上が盛んで、たまたま同級生に関東大会や全国大会を目指すとかいう子がいて、なんだか流されるままに始めてしまっただけなのだが、十代の青春のほぼすべてを、陸上競技とともに走り抜けてきたのだから、きっと心のどこかでは「たのしい」と思っていたのだろう。

もっぱら私の専門は100m, 200m…と言いたいところだが、中学時代に同級生と0.01秒の差で負け、走り幅跳びへの転向を言い渡された。そのため専門は、走り幅跳びと、100mの補欠要因と、4継(4×100mリレー)の第1走者、というのが正しいだろう。パッとしない陸上キャリアだが、この競技の面白さは、世界中、どこにいっても、大人も子供も等しく100mは100mである、という公平さにある。コートのサイズが小さいとか、競技時間が異なるとか、性別や身体障害によってルールに違いがある、とかいうことがないのだ。それに加え、競う対象は人ではなく、数字だ。隣のやつより1歩でも速く、遠くに辿り着けば良い、と言われるが、正確には1秒でも速く、1mmでも遠くに辿り着けば良い、というスポーツである。相手に一切触れることなく、それでいてどのスポーツより正確に、公平に、その結果が表されるシビアな世界の面白さたるや、何にも代えがたいヒリヒリ感がそこにある。

しかし、それだけシビアなスポーツで、公平さが魅力の陸上競技でも、それに従事する人間は、どこまでいっても人間なのだ。ずるいことを企むし、感情が直結するし、好き嫌いで物事を判断する。スポーツは運の要素も強いというが、まったくその通りで、その時隣にいるライバルとか、世話になるコーチとか、切磋琢磨するチームメイトとか、そういう運の巡り合わせひとつで、一瞬の風になって舞えるか、ただ散って終わるか、いとも簡単に決まってしまうのだ。後者のそれは、失敗談とか、挫折経験などといって、その後に歩み始めた別の道で笑い話に昇華してしまうものだが、当人にしてみれば、その傷が癒えるには、他者が思っている以上に時間がかかるものだし、死ぬまでその苦しみと共存していく者だっているだろう。
そういう意味で、スポーツとはとても繊細で、残酷で、孤独なものなのだ。だからこそ、それを乗り越えてプロとなった人は称賛されるに値するし、それを心から応援するのも筋なのだが、そこに熱量ひとつで真っ向からぶつかれない人もいることを忘れてほしくはない。彼らは決して、冷たいわけではないのだ。青い炎を静かに灯し続けているだけなのだ。

今回のお題は「私のスポーツ遍歴」といったか。
その意味で私はお題に沿った記事が書けていない。なにせ、9年間陸上一筋だったのだ。陸上競技のほかに、硬式テニスや、スケートボードにハマる時期もあったが、結局それらを辞めて、陸上に戻ってしまったのだ。9年間で両親がわたしにかけてくれた支援は計り知れない。もう気にしなくていいから、と笑われても、あの高いスパイクやユニフォームにかけてくれたお金を、ただ無駄にしてしまったのではないかと、未だに申し訳ない気持ちになる。

だが、どんなに優秀な記録を残そうが、どんなに残念な結果に終わろうが、大切なのは、そこで得た気持ちを絶やさないこと、諦めないことだと、わたしはそう信じている。わたしにとってスポーツは、最終的に苦い思い出ばかりが蘇るものである。スポーツを通じて失くした友もたくさんいるし、スポーツを通じて自分自身の最も嫌な側面が表出したこともある。未だに両親に対する申し訳なさは拭えないし、寝つきの悪い日は陸上人生最悪の思い出を夢に見て飛び起きることもある。それは一見マイナスのように思えるが、この最悪な記憶をバネに頑張れることが数多ある。いちばんやってはいけないことは、保身のために「そんな悪いことはなかった!」と、苦い思いに蓋をして、自分の人生からその記憶を消し去ってしまうことだ。真摯に取り組んだ結果である以上、たとえどんなに悪いものでも、それは毒ではなく薬として持っておくべきものなのだ。

だから、一瞬の風になって、散って、終わるだけでも良い。
スポーツの遍歴なんて、そんな風にして生きる糧に変えられれば、本望であろう。



*余談*
タイトルで引用しました「一瞬の風になれ」は、ご存知、佐藤多佳子さんの陸上小説です。フジテレビでドラマ化もされてましたね。当時はまじで陸上なんて大嫌いだー!という気持ちでいっぱいだったので、無意味にこの本に当たったりして(本当に申し訳ない)、内容にも全然ピンと来なかったのですが、のちのち改めて読むと、トラックに立ったときの底知れぬ高揚感とか、胸のざわめきとか、自分のトップスピードで感じる風の音とか、そういう細かな描写があまりにも美しく、ページをめくるだけで、限りなくあの競技場を走っている感覚に陥ります。さすがの本屋大賞。驚くべきことに、もう10年以上前の作品になってしまいましたが、まだ読んだことがない方はぜひ。スポーツって単純で憎くて、それでいて、良いものですよね。


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