ラテンアメリカ圏の義務教育課程3年間で読んだ課題図書一覧
ついに文庫化された邦訳版ガルシア=マルケス著『百年の孤独』。
その表紙はまるで、アニメのオープニングのようにネタバレが満載だ。
自分は今から日本語で再読するのが楽しみでならない。
それはさておき、『百年の孤独』文庫版出版の余波か、今、ラテンアメリカ文学が"来ている"と感じている。
『百年の孤独』は、ほとんどのラテンアメリカ人にとっての通過儀礼。好きかはともかく、その名と内容を知らぬ者はいないと言っても過言ではない。
だが、もちろんラテンアメリカ文学は『百年の孤独』やガルシア=マルケスの著作だけではない。
詳細は省くが、自分は中高生時代、ラテンアメリカ圏でラテンアメリカ文学を課題図書としてほぼ原語(=スペイン語)で読み親しんだ。もはやラテンアメリカ文学は自分の血肉と言える。
そういうわけで、体感ラテンアメリカ文学が"来ている"今、せっかくなので、一般的なラテンアメリカ人が義務教育で課題図書として読む図書や作品をいくつか紹介しようと思う。薄れゆく記憶を書き留める備忘録としても。
Web上に作品情報があった場合、在庫の有無に関わらず、できるだけ紀伊国屋書店のページを貼ることにする。
いざ、ラテンアメリカ文学の海原へ!
※諸注意※
・本図書一覧は、うろ覚えリストであることから、取りこぼし・間違いが含まれている場合があります
・記事の作者の主観が入っています
・いずれも読了から10年以上経っており、カリキュラムが見直されて、課題図書から外された本、禁書になった本もあります
・一部、邦訳・文庫化されていない図書、絶版の図書を含みます
・ラテンアメリカの某国のカリキュラムであることから、作家の出身地に偏りがあります
高校1年目
「ガルシア=マルケス」だけではない!……と先程豪語したものの、ラテンアメリカ文学への最初の入り口は、ガルシア=マルケスの著作だった。
ガルシア=マルケス『ある遭難者の物語』
コロンビア海軍の船からカリブ海へと転落し、10日間漂流したとある男の話。
ジャーナリスト時代のガルシア=マルケスが新聞に発表した、実話を基に描かれたノンフィクション作品…と言われているが、かなり脚色はされていると思われる。しかし、『百年の孤独』ほど魔術的リアリズムの要素は色濃くはない。的確かは分からないが、ある意味、トラのいない『ライフ・オブ・パイ』と言えるかもしれない。
短くコンパクトにまとまった中編小説であるため、ガルシア=マルケス入門には持って来いの作品だ。
パウロ・コエーリョ『アルケミスト』
こちらも中編小説。自分はスペイン語で読んだが、原語はポルトガル語(ブラジルの本)。
サンティアゴという名の羊飼いの少年が、夢に出てきた宝物を探しに旅に出る、愛と時折絶望と希望の物語。
体感『星の王子さま』に似た、夢物語のような、時には哲学的な話だ。
読後感が大変良く、これ以降に読むラテンアメリカ文学作品で心が傷付いた時に読みなおしたい本だと個人的に思う。
ガルシア=マルケス『予告された殺人の記録』
高校1年目の終わりに読むのも、やはりガルシア=マルケスの中編小説。
町をあげた婚礼の翌日、新郎が滅多切りになって発見されるところから物語が始まる(…はず)。閉鎖的な田舎で住人の誰もが殺人予告や犯人を知っていたにも関わらず、防ぐことができなかった摩訶不思議な殺人事件にまつわる事実を基にした話。
こちらも、ジャーナリスト時代のガルシア=マルケスが書いたものだが、『ある遭難者の物語』よりは若干幻想的な要素が多い。
登場人物が多すぎる+関係が複雑すぎ、全体を俯瞰して把握しずらいため、当時はクラスを上げて相関図を作りながら読んだ覚えがある。
【番外編】ガルシア=マルケス『十二の遍歴の物語』
どうにもラインナップにガルシア=マルケスが多い気がしてならない。が、実際に読んだので記載しておく。
『十二の遍歴の物語』は、国語の先生に「暇なときはこの中からいくつか短編を読んでおいて」と雑に紹介された短編集。
全12編の短編から構成されるこの短編集は、不条理な物語が多いが、どれもまとまりが良い。
特に「電話をかけに来ただけなの」「雪の上に落ちたおまえの血の跡」などは、読了後、絶望のあまり天を仰いでしまったのは記憶に新しい。
高校2年目
高校2年目に入ると、短編・中編小説を主軸に国語の授業は進んでいく。
ここからは、ただ作品を読むだけでなく、事前に著者や時代のことを調べてから、作品に向き合って行く授業スタイルだったことを覚えている。
この時、膨大な短編小説を読んだのだが、ほとんど忘れてしまったため、思い出せるものだけリストアップする。
ネサワルコヨトルの詩集(邦訳なし)
……と、これまでの近現代文学からかなり時代を遡り、高校2年目の最初に読む古典は、15世紀テスココ王国(現:メキシコ)の「詩人の王」ことネサワルコヨトル王の詩…と伝えられている作品群。アステカの三国同盟を結んだアステカ帝国の立役者でもあるが、自分が知る限りのネサワルコヨトルはどちらかと言えば、詩人としてのネサワルコヨトル。
原語はナワトル語で書かれているが、悲しきかな、読むことができないため、履修時は、スペイン語でいくつかの作品を読んだ。
一番驚いたのは、古さを感じない詩的表現の数々(スペイン語版が現代語訳されている可能性も否めないが…)。ナワトル語で発音すると、本当に歌の様な響きで、耳心地が良かったのを覚えている。
ソル・フアナ『ロス・クラシコス』
これまでとは打って変わって、最初に読むのは17世紀の古典作品。ヌエバ・エスパーニャ(現:メキシコ)の修道女ソル・フアナ=イネス・デ・ラ・クルスの詩集だ。
スペイン語圏で、一番古い女性作家と言われる彼女は、少し変わった人生を歩んでいる。少し前まで、Netflixで彼女を題材にしたドラマシリーズが存在していたのだが、今はラインナップから無くなっている。脚色はされているものの、彼女の半生を知るには丁度いい映像作品だったのだが……。
原語はスペイン語。驚くのは「これ、現代に書かれたのでは…?」というくらい、フェミニズム的(と言うのが正しいのかは分からないが)視点で、描かれていること。(単純に彼女自身、カトリック教会という男社会に思うことがあったのはあるだろうけれども)
余談だが、次項目で言及するオクタビオ・パスが彼女について読み解いている本もある。
オクタビオ・パス「青い花束」「波との生活」
いずれもメキシコの国民的詩人オクタビオ・パスの『鷲か太陽か?』に収録されている短編小説だ。
「青い花束」は、メキシコの田舎を訪れた旅人が、強盗に遭う話。が、この強盗犯が求めるものが狂気的で…という少し背筋が凍るような一遍。
「波との生活」は、海の波を「恋人」に見立てた幻想的な愛と失恋のシニカルな短編。
2作とも、ヨーロッパ滞在中、シュルレアリスムに大きく影響を受けたパスが書いた初期の作品で、ラストまで読み終えたら、もう一度最初から読みたくなるタイプの小説だ。
余談だが、この短編集の中で、自分が一番気に入っているのは、「青い花束」だが、二番目に気に入っているのは、「天使の首」。「天使の首」は、スペイン語だと1つの文で構成される、まるで思考回路をそのまま文章にしたような短編小説。熱にうなされた時に見る悪夢のような作品だが、こちらもおすすめだ。
カルロス・フエンテス「トラクトカツィネ」
メキシコを代表する作家カルロス・フエンテスによる短編小説。邦訳版は、河出文庫の『ラテンアメリカ怪談集』に掲載されている。
「トラクトカツィネ」は、メキシコ通史を少し知っているとオチが楽しめる(恐ろしく思える?)、呪われた屋敷についての一遍だ。これ以上はネタバレになるので何も言うまい…。
ちなみに、我らが鼓直大先生が編集したこの『ラテンアメリカ怪談集』に収録されている作品はどれも面白く、また、ラテンアメリカ文学の幅広さを教えてくれる。好きな作家を見つけるには丁度いい入門書のような本だ。
イサベル・アジェンデ『精霊たちの家』
高校2年目の最後を飾るのは、イサベル・アジェンデの長編小説『精霊たちの家』。
南米チリと思しき国で、一代にして富を築いたエステバン・トゥルエバと、彼の妻、娘、孫娘、の三世代に渡る大河物語だ。
よく「『百年の孤独』の二番煎じ」と揶揄される本作だが、似通ったテーマを扱いつつも、『百年の孤独』とは全く違う着地点に是非注目してほしい。読み比べるのも面白いだろう。
本作は『愛と精霊の家』という題名でハリウッドで映画化されているが、映画版は3世代を2世代にぐっと短縮しているため、少し物足りなさを感じるが、ラテンアメリカの空気感を知りたい人には丁度いい映画だ。(ただし映画のレーティングはR18のため注意)
高校3年目
高校3年目では、主に20世紀の長編小説などを扱う。小説などのフィクションの他、エッセイなどにも触れた覚えがある。
フアン・ルルフォ『燃える平原』
現代ラテンアメリカ文学において最重要作家と言われているフアン・ルルフォによる短編集。
「魔術的リアリズム」の先駆者とも称される(※諸説あり)フアン・ルルフォの作品のほとんどは、「革命小説」と呼ばれるジャンルに属す。
メキシコ革命前後を舞台とした作品群は、どれも当時の農民たちの生活や心象を鮮やかに描き出す。米国へ出稼ぎに行く息子を引き止める父親の物語「北の渡し」や、新興宗教の教祖の旧友が教祖は大嘘吐きであると証言する「アナクレト・モローネス」など、ルルフォの短編小説で描かれる会話劇は目を見張るものがある。
どの作品も短いが、20世紀初頭メキシコ社会のやるせなさを凝縮したような作品で、読後の満足感は高いだろう。
フアン・ルルフォ『ペドロ・パラモ』
上項目で述べたフアン・ルルフォの唯一の長編小説『ペドロ・パラモ』は父親探しの話だ。
作中の「私」が、その名前だけを頼りに、コマラという廃村に足を踏み入れるところから物語は始まる。生と死、過去と現在が交差するコマラを舞台に、キュビズム的な叙述で、ペドロ・パラモを中心として描き出した愛憎劇。
断片的な物語が散りばめられた本作を読み進めるにつれ、パズルのピースが徐々に埋まっていくような快感がある。
最重要作家であるにも関わらず、ルルフォの作品は驚くほどに少ない。出版物されている本は、『燃える平原』『ペドロ・パラモ(後述)』『黄金の軍鶏(未邦訳)』の3冊のみ。
余談だが、自分がラテンアメリカ文学にハマったのは、間違いなく、ルルフォの作品を読んでからだ。あのガルシア=マルケスも尊敬したルルフォの物語は、どこか人を虜にするような説明しがたい魅力があるのだろう。
ホセ・アグスティン『墓』(邦訳・英訳なし)
ホセ・アグスティン著『墓(La tumba)』は、一部の地域では禁書扱いになっている問題作。
60年代のメキシコシティを舞台に、シニカルな人生観を持つ反抗的な少年が、不良行為や非行に走り、その末に辿り着くのは…? とまるで『ライ麦畑でつかまえて』を思わせるような作品だ。
出版当時、とても論争になったという本作だが、自分は、クラスの不良たちが読後、本作の終わり方について愕然としていた顔が忘れられない。
残念ながら、2024年になっても邦訳も英訳もないため、『La tumba』を読む際は、スペイン語で読むしかなさそうだ。
オクタビオ・パス『孤独の迷宮』
高校2年目の図書一覧にも出てきたオクタビオ・パスによる長編エッセイ。
歴史や言語、文化を通して、「メキシコ人」の彷徨えるアイデンティティを問う、パスの代表作とも言えるだろう。
原語で読む『孤独の迷宮』はかなり難解だったし、日本語でも難解だ。
授業で読んだのは「メキシコの仮面」「死者の日」「マリンチェの末裔」の三篇。この三つだけでも抑えておくと、今まで読んできたラテンアメリカ文学作品に通ずるテーマ「孤独」を読み解く鍵になると、個人的には思っている。
これを読み終えたクラスメイトたちは、自分たちが抱える違和感に「答え」を得たような、どこか安堵の表情を浮かべていたのを覚えている。
ガルシア=マルケス『百年の孤独』
高校の国語のフィナーレは、満を持して『百年の孤独』。
今まで培ってきた教養をもってして挑む本作は、中等教育における、いわばラストダンジョン。スペイン語が母語であってたとしても、読み解くのが難しい。
あらすじは、皆さんご存知、架空の村マコンドを舞台に、業を背負った一家の100年にわたる年代記。
この本を読むにあたって、ラテンアメリカ通史に目を通しておくと、いくぶんか物語の咀嚼が楽になる。家系図・相関図は常に参照すると良いだろう。
『百年の孤独』の最後の一文を音読し終えた直後、クラスが歓声と感嘆の声沸き立ったのは、かなり印象的だった。それくらい、驚きに満ちた作品だったのだ。
【おまけ】高等教育などで読む作品
ここからは、大学などで読むと言われている作品などを少しだけ紹介しよう。
カルロス・フエンテス『アルテミオ・クルスの死』
高校2年目の図書一覧にも出てきたカルロス・フエンテスの長編小説。
動乱のメキシコ革命を生き延びたアルテミオ・クルスが、いかにして経済界の大物に成り上がったかを描く一代記。今わの際にあるアルテミオ・クルスが自身の一生を断片的に振り返る形で語られる。
本作は、一人称パート、三人称パート、二人称パート…と、3つの叙述形式が交互に繰り返されるという不思議な構成の小説だ。時代があちこちに飛び、時系列順ではない叙述に最初は戸惑うかもしれないが、徐々に慣れていくことができるだろう。この点に関しては、時代が明記されているので、『ペドロ・パラモ』よりは親切だと思う。
『わがシッドの歌(エル・シードの歌)』
「ラテンアメリカ文学ではない」というのはさておき、高校ではさわりしか読まなかった『わがシッドの歌』は、中世スペインに実在したシッドという騎士の叙事詩。イスラーム勢力支配下のスペインを舞台に、騎士シッドがレコンキスタにて活躍する…という典型的な騎士道物語。
スペイン語文学の古典も古典。
セルバンテス『ドン・キホーテ』
こちらもラテンアメリカ文学ではないが、スペイン語文学で最難関とされているのが、セルバンテスの『ドン・キホーテ』。
『わがシッドの歌』などの騎士道物語のアンチテーゼとして書かれたこの作品は、世界最古のメタフィクション小説とも言われている(諸説あり)。老人ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャが、付き人のサンチョ・パンサと共に騎士道を極めるため、奇想天外な旅に出る…というあらすじは、誰もが知っているだろう。
ちなみに記事の作者は読んだことがない。
おわりに
ここまでで、二十弱の作品を紹介してきたが、いかがだっただろうか。
これ以外にも読んだ覚えのある作品が何作かあった筈だが、残念ながら、忘れてしまった。人の記憶は儚い。
学習ノートを処分する前にリスト化しておけば良かった…などと後悔するのであった。
『百年の孤独』は、高校の最後の課題図書になるくらいであるから、間違いなく必読だ。
しかし、作品内の社会・文化に親しいラテンアメリカ人たちも、『百年の孤独』に辿り着くまで、前提として、これだけの作品を読破する(読破しなければならない)と思うと、本作を完読するのは容易いことではないだろう…というのが正直な感想だ。自分自身、課題図書でなければ完読できていなかった可能性の方が高い。
もし『百年の孤独』をキッカケにラテンアメリカ文学に興味を持っていただけたのであれば、この記事に上げた図書もぜひ手に取ってみてほしい。
ようこそ、ラテンアメリカ文学の世界へ!