悩みと愚痴は全く違う
こんにちは!映像クリエイターの渦原です!( ^ω^ )
もう11月ですねーー、、
ますます寒くなっていくと思いますが、コロナに加えてインフルエンザも気を付ける時期ですね、
今年は本当に、対策の年となりそうです。。
そして皆さん、予防以外にも普段人には言えないけど悩みってあると思います。
言葉にして良いかわからないけど、とにかく考えこんでしまう事がある、、
と人かく人に相談したい、、
どうしたら解決できるんだろう、、
まあ生きていれば色々と問題は起こりますよね。
今回はそんな悩みと愚痴ってそもそもどんな違いがあるのかを分かりやすく紹介しようと思います。
厳しく言えば愚痴は甘え
まず考えてみて欲しいんですが、愚痴を聞かされて良い思いをする人っていますか?
どちらかというと悪い気持ちになる人が多いと思います。
それはもちろん、話している相手にもよるんですが大抵は聞き役に徹しなければいけません。
おそらく多くの人がここまでは同意できると思います( ^ω^ )
ではなぜ、愚痴を聞いている時、聞き役でいなければいけないのか。
それは愚痴に解決を求めていないからです。
想像をしてみましょう。
愚痴を言う人は、大抵自分が喋りたいことをとにかく相手に聞いてもらうことを求めている事が多いと思いませんか?
会社への不満、恋人への不満、親との関係性、友達とのくだらないケンカ、、
あげればキリがないですが、話手個人の出来事を元に愚痴が生まれますよね。
なので当然聞き手は話し手の状況を細かく知らないですし、把握も出来ていないので無難な事しか言えない状況なのです。
無理をして解決策を提示されるよりも、話し手が同意し安心することを言う必要があります。
そして話し手側もまた相手にただ聞いて欲しいというお願いをするわけですから、時間を奪っていることに感謝の言葉や態度を後日示す必要があります。
結局は自らの甘えた部分を慰めるために、聞き手側に協力を求めたことになる事が多いですからね・・・
悩みは解決をすべきもの
一方悩みというのは、愚痴とは反対に聞き手側がちゃんと話を聞いた上で、適切なアドバイスや助言、態度を与える必要があります。
悩みは愚痴とは違い、相手が解決を求めているからです。
もしくは話し手も解決法がわかっているけど、さらにそれを後押ししてくれることを望んでいる時もありますね。
例えば大人数の場で個人的な悩みを打ち明ける人はほとんどいないですよね。
大抵はどこか静かなところで少人数に打ち明ける事が多いですが、愚痴の場合は仮に話し手が所構わず話していても不思議には感じないと思います。
なので、聞き手側はそれなりに自分で考えた上で解決法を提示する必要があります。
話し手の内容を深く考察し、原因を突き止めていくつかの提示をする。
仮にそれが話し手の考える解決法とは違っても、時には自分の推察を押し通してまでも相手を納得させることも必要になるので、どれだけ相手のことを考えられているかにも直結するでしょう。
現実的には愚痴と悩みの違いを話し手も分かっていない時がある
話し手自身も自分で疑問に思った事があり相手に話を聞いて欲しいと思っている時、それが愚痴なのか悩みなのかを理解していない場合があります。
解決して欲しいのか、それともただ単に聞いて欲しいのか。
自分のことでも、わからない時はわからないので仕方ありません。
また聞き手側も出来るだけ相手が今何を望んでいるのかを考えて発言する必要があります。相手が自分にとって大切な人であれば尚更です。
例えば自分の給与に不満を抱いているようであるならば、、
1、世の中そんなもんだよっと言って、同調を誘う
2、その年でそれくらいあれば、平均よりはあるよ!と比較結果を言う
3、じゃあ転職すれば?と具体的な解決方法を示唆する
1番と2番は愚痴への応対に近いですよね。
結果として話し手の収入に変化は起きないのですから。。
しかしもしそれで満足していなかったら、3番の提案をすべきですね。
ここで聞き手側が投げやりになってはいけません。
具体的な解決法を考察する事は確かにエネルギーを多く消費しますし、相手もまた絶対に実施する確約もないので、ストレスを感じる時もあります。
しかし先ほども言ったように、大切な人ならばそれも含めてしっかりと向き合っていくべきだと私は思います( ^ω^ )
まとめ
現代の社会ではまだまだ人間がストレスをためやすい社会だと私は思っています。
必然と愚痴や悩みが出てくるのはしょうがない事です。
しかしそれらに対して何も対処法がないということもまた虚しいことだと感じています。
心持ちに余裕がある時は、是非相手の立場に立って会話をしたいですね!
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