見出し画像

真面目に生きてるって人ほど、なぜか器が小さいよ・・・

こんにちは!メディアアーティストのウズです!( ^ω^ )

今週から徐々に桜がチリチリになり始めていますね・・・

アニメとかで見る桜吹雪ってやつがですね、散歩の時何回も出現するわけですが、ほんとその度に日本って良いなと思うわけです。

いや、海外にも桜はありますし、桜吹雪もあるんですが現状行けないし、実際に海外で桜を見てもなんかこう、違うんですよね。笑

何が違うかは分からないのですが、五感全てがなんか刺激されないというか・・・

ちょっとそのあたりは渡航がまた出来るようになったら検証します笑


さて、桜が散るけど新社会人は生まれた今週。

久しぶりに人の多い都内とかを見ると、顔をキラキラさせているもの、うわ〜社会人なっちまったよっていうもの、まだ大学生感が抜けていないものなど、たくさんの新社会人が見受けられました。

正直1年と少しくらいしか会社で働いていない僕からしたら、キラキラさせている人とは一生友達になれないんじゃないかなんて思う一方で、大学生感が抜けていない人とも友達にはなれないな〜なんて思ったのが最初なのですが、コロナ禍である今でも社会に期待と不安を滲ませる人が多いって純粋にすごいなと思います。

大学の教育は本当にリアルな社会のすがたを見せないですよね。

というか、見せてないだけかもしれませんが個人的には学生のうちにもっと社会人の黒い部分をいっぱい見ておくことが必要だと思うんです。

そういう黒い部分があって、今の社会が成り立っているということを学生たちは知らされていないのではないかと。


まあそれはそれで、ピュアということになるんでしょうけど。。笑

社会奉仕のために〜、誰々の役に立つために〜で会社は活動をしているわけですが、実際にそれを軸に真面目に働いてしまうと損をすることになる現状をもっと誰かが説明すべきだと思う一方、そういう真面目な人がいないと今がないというのも事実なんで、私みたいな非力な立場は結局閉口するわけです。

人々の現状を維持するためには、公的機関や私的な会社媒体がどうしても必要なので、当然それら媒体の第一目的はどうしたって社会奉仕に繋がることが多いです。

企業のCSRがまさにそうですよね。

ただそれがもっと細分化されて、一個人レベルの話になっていくと話は変わっていくと思っていて。

「自分の人生をどんな風に歩みたいか。

そしてその人生をどんな社会の中で過ごさせてやりたいか。

ここを根本的に考えた結果、日本という社会を選び、その中でもOOな社会貢献をしているこの会社で過ごせれば、自分が理想とする社会に近づけられるし、自分もまた幸せになれるのではないか。」


私がもし再び会社に入るのなら、こういった考えで会社選びをするのだが、そこまで深く考えないで、ただ真面目さが取り柄だけの人はいずれ自分の器も小さくなる危険を孕んでいると私は思っている。

人一人が出来ることなんて、結局大したことはない。

真面目過ぎれば過ぎるほど、社会というのは人を利用し、会社は人の時間を奪っていくものだ。

人間は弱い。

そんな弱い人間が社会と会社に勝てるわけがないのだ。

必ず心が負けて、どんどん自分に余裕がなくなる。


真面目な人ほど器が小さいというのは、ある意味心の領域が狭いということに繋がっている。

器が小さくても、生きてはいけるが、人としての価値はどんどん下がるし、生きる過程が苦しくなる。


それで良いと思う人なんていないだろう。

年代性別出身問わず、どんな人だって器はいつだって小さくなり始める。

働き方や人生観一つで変わってしまうのが人だ。

器が見えないくらいに小さくなる前に、自分の今と次をみて生きることが大事だと私は思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?