別れと出会いの足音がきこえる
所用を済ませ、エレベーターで上がった先を少し歩く。
先生の部屋には明かり灯っていたけれど、コンコンッとノックをするも返事はなく、留守にしているようだった。
Slackを開こうとスマホを開くと容量不足で雲マークがついていて。ダウンロードしようとするも大学のWi-fiは役に立たない。仕方なく近くのソファでパソコンを開くと、昨日、先生から確認の連絡が来ていた。
「明日12時半から、データ&同意書受け渡しミーティングでよいですか?」
という一文に、「はい。今お部屋の前にいます」と返事をしようとして、ふと、先ほど訪ねた実験室から実験関係の書類をまとめたファイルを取ってき忘れたことを思い出し、7階から6階へ引き返す。
ぼんやりと歩いていると、前から私のあだ名を呼ぶ声が聞こえてきて、顔を上げるとそこには教授がいた。
「ちょっと他の実験で今までここにいました。いきましょか。」という教授に、「あ、同意書だけちょっと取って来ます。」と答えて、急いで実験室へ向かった。
実験室には誰もいなかった。私が電気をつけない限り真っ暗で、椅子も書類も本棚も綺麗に整理されていて机の上はパソコンしかなくて。あれ、この部屋こんなに広かったっけなって、ガランとした部屋を見て思った。
先月まではこの部屋を訪れると、机の上は書類で散らかっていて、椅子はいろんなところに引き出されていて、そこには必ずゼミの誰かがいた。
そんな日の「実験が終わったらすぐ帰ろう」とか「今日はここまで論文書き進めるぞ!」とかっていう予定は、彼女らとの談笑で守られることなく消えていった。
お昼になったら実験と実験の間に近所のイオン中のコメダ珈琲でランチをしたし、時間がない日は一緒にセブイレで買ったパスタを食べた。夕方には帰れるはずの日でも、「遅くなっちゃったからご飯食べて帰ろうか〜」と言って、いつの間にか21:00になっていたことがたくさんある。卒論に忙しくてバイトには入れないのに、ストレス発散で「1人で食べたら4200円でも3人で食べたら1400円なんだよ、お得だよね」なんて言って、お金だけは飛ぶように消えていった。
先生の部屋で、16人分の書類を1枚1枚、PCを開いてファイルを1個ずつ1個ずつ、確認していく。
先生は「よかった、ちゃんと全部ある。完璧ですね」と満足げに頷いて、画面を確認しつつ、卒業式後の大学主催のパーティーに出席するか、とか、パリの話とか、いろいろなことを少しずつ、しゃべった。
そして、顔を上げてまっすぐ私の方を見て「ありがとうございました。(私のあだ名)がゼミ生でよかったです。」と言った。
「私も、先生のゼミでよかったです。」と言おうとしたけれど、鼻の奥がツンッとしそうで、「ありがとうございます。」としか言えなかった。
「ありがとう〜」と何度も言ってくれた先生に「お疲れ様です〜」と何度も返したけれど、「審査会、休まんようにね〜」と言った先生に「もし審査会の日に体調不良になったらどうなるんですか?(笑)」なんて返していたら、なかなかパシッと帰れなくて、お互いに「お疲れ〜」なんて言って無理やりその時間を終わらせた。
ドアはゆっくりと、でも確実にしまっていった。
大学生活が終わってゆく。
コロナではじまり、第一志望でもなく後期で受験したこの大学での学生生活に、期待なんてしていなかった。私立という環境には中学の時に「合わない」と学んだ。
簡単に入れる大学ではないといえど、私立大学だから内部で勉強せずに入学したお金持ちの子ばかりが来るのだと思っていた。入学当初は、第一志望だった国立に転入しようとすら思っていた。
そんな風に腐っていた私に、予備校の校舎長は言った。
「たしかにこの大学には内部生もいる。その中には(私の苗字)さんが恐れているような人もいるかもしれん。だけど(私の苗字)さんのように、賢い高校から国立を目指してあかんくて入学する人もいる。
大学って、これまでの環境と全然ちがう。きっと(私の苗字)さんの周りには、そういう子たちが集まってくると思うし、そういう子たちと仲良くなれる。ここでやっていこうという気持ちさえあれば(私の苗字)さんはきっと、楽しい大学生活が送れるはずだよ。」
心理学部は他の学部に比べると小規模で、グループワークも多くて、サークルに入らなくても自然と友達ができた。
友人たちのなかには履修やゼミが違って、いつも一緒というわけにはいかない人たちもいる。毎日のようにLINEしたりもしないし、お互いの全部を知り尽くしているような関係ではないかもしれない。
「誰かと誰かがクラス一緒で知ってて仲良くて」が10通り合わさってできた遊びに行くメンバーは5人。だけど、5人で集まれたことの方が少なくて、いつも誰かしらがいない。
遊ぶとなっても、日にちが決まれば途端に連絡を怠けて、場所や集合時間もギリギリ前日に決まるくらいのいい加減さで、みんな集合時間ギリギリに来るし、なんなら遅れてくる。なにをやるかなんて当日も考えちゃいない。ゲーム好きの昼夜逆転人間が多くて、朝から集まれないのも特徴。
ご飯を食べれば、しゃべりながらだから食べ終わるのが遅くて、食べ終わってからも席を立たなくて、店員さんが何度も水を注ぎにくる。
仕方なく店をあとにして「どこに行くー?」と言いながら「一旦、本屋でも行っとく?」となれば本屋に着いた瞬間、全員が単独行動をはじめる。本屋に行かずに延々と歩いてしゃべっている時もある。
各々マイペースすぎて、しゃべっている途中に寝たり、突然「ごめん、ログインボーナスもらう。」と言ってスマホを開いたりもする。
そんな姿に「おいー!」とツッコミを入れつつも笑って、帰り際には「ではまた。」「じゃあね!」と言って、手を振ったりペコペコしたりしながら別れる。別れたあと、インスタにその日のことを載せることもあれば、載せないこともある。
ほんとうに次があるのかな、と毎回少し不安になるけれど、ちゃんと次があって、誰ひとり欠けることなく誘い誘われて、集まる。「24日の13:00に大阪駅の連絡橋」以外のことが何も決まっていなくても、遅刻しても、「会う」という約束だけはきちんと守る。
彼らといると、相手のすべてを知っている必要なんてないんだなと思える。四六時中連絡をとっている必要も、会っているときに常に一緒にいる必要もない。相手の個性と人生を尊重して、友達でありたいと願えば、ゆるく、けれども強い信頼関係で繋がってゆけるのだ。
この4年間、昔の縁が切れることはあっても、大学でできた人間関係で嫌な思いをすることはなかった。私の周りには真面目さを嗤うような人はいなくて、真面目でちょっと変わり者な、愉快な友人たちに恵まれた。彼らといるといつだって楽しかった。いつのまにか第一志望の大学に入れなかったことも転入学も、どうでもよくなっていて、「この大学で、彼らと4年間過ごしていたい」と心から思っていた。校舎長の言う通りだった。
JRが13:30まで止まっていたから、13:30まで大学にいることにした。
大学は「ひとり」が気にならない環境だと聞いていたから、4年間「ひとり」で行動するかもなぁとぼんやり考えて、それでもいいやと思っていたことを思い出しながら、1階の廊下を歩いた。
4年間、いつも誰かといたわけではない。
その「誰か」が決まっていたわけでもない。
ひとりで歩いた日だってあった。
なのにひとりで歩くと違和感があった。
まるで毎日一緒だった「誰か」が欠けて、ひとりぼっちになってしまったかのようだった。
大学生活が終わってゆく。
終わらないでほしい、と必死に手を伸ばしても、時間は止まってくれやしない。コロナ禍で失われた1年半が戻ってくることもない。
出会いと別れの季節が近づいてくる。
私は春から東京で、別々の道を歩むといえど関西に残る友人たちとはこれまでのようには会えなくなるだろう。
だけど、彼らとの絆はなくならないでほしい。
東京で彼らのような友人ができるだろうか。
ひとり暮らしは寂しくないだろうか。
東京は寂しい街、ではないだろうか。
新しい環境は、楽しいだろうか。
彼らは会えなくなっても、私と友達でいてくれるだろうか。
私とまた会ってくれるだろうか。
最終学年の冬と春は、いつだって少し不安で、寂しい。
だけど同じような感情を、4年前にだって感じていたはずで。それを乗り越えて今があるのだということを、忘れずにいたい。
異動、転勤、転職、産休、育休、退職。
これまでに比べて分かりにくいかもしれないけれど、社会人になっても変化はあって、別れと出会いはいつだってセットだから、
これからも別れの際に、今のような気持ちを持っていたい。
そんな人生を歩んでいきたい。
1月31日は卒論審査会。
3月20日は卒業式。
4月3日は入社式。
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