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掌編小説「雨に降られる」

うわー、傘さしてる。
ブラインドの隙間から外を覗き見ると、通行人が傘をさしていた。その割合は7割。という事は、確実に雨が降っている。

最悪。全部やり直しじゃん。
クローゼットのハンガーに掛けられた洋服を、手当たり次第にめくってゆく。
メイクも髪もやり終えたのに、最後の最後で全部台無しになった。

雨。
着ていくつもりだった洋服は、店にディスプレイされているのを一目惚れして買ったものだった。
白いワンピース。
肌の白い自分に合う、真っ白なスノウホワイトのワンピースだった。ロング丈で、くるぶしまであって、ふんわりとしたやつだ。

頼みにするつもりだったのに。
突然命綱を外されて、空中に放り出された気分だった。
白は雨だと着られない。
絶望的になる。
買いすぎて捨てられなさすぎてパンパンになった洋服から、自分に似合いそうなのを必死になって探す。
頭がパニックになっているから、思考が停止して選べない。気に入ったから買ったはずなのに、どれも自分には似合わない気がして涙目になる。

遅刻できないのに。早く決めないといけないのに。
何で自分はこんなに器用なんだろう。
いつまで経っても選べない気がして、洋服をめくる腕が痛くなる。

今日は、ゼミ合宿の打ち合わせで太田君と会う事になっていた。
夏休み、大学の所有地である箱根の施設で合宿をする事になって、私と太田君が資料を作る係に選ばれたのだ。
何という事はない。私の苗字が岩倉で、単にあいうえお順に選ばれただけだったのだが、私は生まれて初めて自分の苗字に感謝した。
太田君が気になっていたからだ。

太田君は眼鏡をかけていて、あたしンチのゆずひこみたいにパーマがかった髪をしていて、ふわふわの髪の毛の左側がいつも跳ねている。
大袈裟なほど跳ねているから寝癖かと思っていたのだが、見かける度にいつも跳ね続けているので、出会って2ヶ月経った後、どうやら癖毛らしいと結論するに至った。

髪の毛の不思議が恋だと気づいたのもその頃だ。
「ねえ、LINE教えてよ。太田君、スマホ出して」
とある昼下がり、学食で唐揚げ定食を食べている太田君の隣りに女の子が寄ってきて、目の前にスマホをかざした。
読者モデルをしているという噂の綺麗な子だった。オルチャンメイクをしていて、何も食べてないんじゃないかと疑うぐらい細くて足の長い子だった。
何で太田君に話しかけるんだろう、と訝ったが、同じ学科の子だから、太田君とは知り合いかもしれなかった。

私は丁度太田君から3つ離れた席の向かいに座っていたから、会話も2人の表情も筒抜けだった。
太田君は何て答えるんだろう。
気になった。
同じゼミでも滅多に会話なんてしないから、太田君のLINEなんて私も知らなかった。ただ毎週同じ時間、同じ教室に集まって90分を共有するだけの間柄に過ぎなかった。

太田君は男の子だから、美人な子に話しかけられたら嬉しくていやらしい顔をするんだろうな、そう思って観察したのだが、太田君はいやらしい顔どころか綻びもしなかった。
「俺LINEやってないから」
「え?LINEやってないの?嘘でしょ?じゃあどうやって友達と連絡とってるのよ」
「電話とか、ショートメールとか」
「ショートメールって」
女の子の顔が一瞬曇った。声音が低くなり、重心が下がりそうになるのを堪えたように見えた。二の腕かと見紛うような、細い脚で。
10センチはある細いヒールが目に入った。
「じゃあいいわ、Twitterのアカウント教えて」
「Twitterもやってないよ」
「Twitterやってないの?じゃあインスタ教えてよ」
「インスタもやってないよ」
「嘘でしょ?じゃあSNS何やってるのよ」
「Netflixとか」
「NetflixはSNSじゃないじゃん。何なの?太田君て変わってるね」
女の子は溜息を吐くと、向こうへ行ってしまった。
明らかに怒っていた。パンプスのヒール音が鳴り響く。つま先に施されたルビー色のビシューが蛍光灯を反射して、周囲に光を振りまいていた。
慌てて視線を戻すと、太田君は何事もなかったかのように唐揚げを頬張っていた。
皮の部分を割るパリ、という音が鼓膜に伝わって、狂いそうになった。

今時LINEもTwitterもインスタもやってない大学生。
確かに相当変わってる。
嘘かもしれない、女の子がそう疑ったとしても仕方ない。袖にされたのかも、そう怒りを感じたとしても。

にわかには信じ難い。
だが、太田君ならあり得るとも思った。頑固な癖毛の太田君なら。
普遍的にくるくる髪の太田君なら。

太田君は普段どうやってコミュニケーションを取ってるんだろう。どんな高校生活を送ってきたのだろう。フォローするとかされるとか以外でどうやって人と仲良くなるのだろう。どうやって人との距離を縮めるの。

ふと、相互フォローでフォロワー数多いのはダサいと馬鹿にしていた高校の同級生の顔が浮かんだ。凄くくだらない男の子だった。上から目線で誰かを見下しては笑ってるくせにいつも過去に付き合った女の子の話ばかりしている、中身がない男の子だった。

「何か用?」
唐揚げを咀嚼していたはずの太田君が突然こっちを向いた。
太田君は確実に私を見ていた。
目が合う。
やばい。どうやらさっきのやり取りを見てたのがバレてたらしい。
嫌われたかもしれない。陰険な女だと思われたかも。

太田君は真顔で、表情が読み取れない。
どうするか。
私は意を決した。こうなったら開き直るしかない。
「Netflixで何見てるのかなと思って」
直球で言った。堂々とすれば不信が和らぐかもしれないと期待して。
案の定太田君は斜め上を見て、考える素振りをした。眉間に皺は寄っていない。
上手くいった。私は一安心した。
グラスから水滴がこぼれ落ちるのを指で拭って、私は太田君の言葉を待った。
「M1とか、ヴァイオレットエバーガーデンとか」
太田君は引き出しから答えを探すように暫く考え込んだ後、そう口にした。
M1。確か12月にやってるお笑いの大会だ。
太田君はお笑いが好きなのか。知らなかった。
「M1?太田君お笑い好きなの?誰が好きなの?」
「ランジャタイ」
「ランジャタイって何?面白いの?」
「面白いよ。凄い変わってて」
「太田君が面白いって言うなら面白いんだろうね」
「そんな事ないけど。でもランジャタイは面白いよ」
太田君は微かに笑った。
ランジャタイを思い出して笑ったのかもしれない。だけど目の前の太田君の口もとは、確かに緩んだ。
ランジャタイ。
魔法の呪文なのか。
太田君はどうやら普通の男の子だった。

その後、ランジャタイがどうやらヘルメットみたいな髪型をした黒スーツの男の人と、黄色いジャージ姿の狂った男の人のコンビであるらしいと知った。テレビにもちらほら出ていたので、Twitterでフォローして見逃さないようにした。
中学生みたい。
中学生みたいに太田君を追った。


かろじて泥跳ねの目立たない、ラベンダー色のスカートとシフォン素材の白ブラウスを着る事にして、慌てて着替える。
これじゃ好きになって貰えないかもしれない。
絶望的になりながら家を出る。

ほんの少しの差が命取りになるかもしれない。
白いワンピース以外じゃ好きになってくれないかもしれない。
2人で会えるのに。大チャンスなのに。2度とないかもしれないのに。
だから奮発して、セールになってないのを買ったのに。
雨を呪いたくなる。
髪も爆発して、ボブヘアが膨らんでしまってる。
ランジャタイ。
ふと単語が浮かぶ。
そうだ。伊藤さんに似てる。今の髪型、ヘルメットの伊藤さんにそっくりだ。

待ち合わせはお茶の水駅で、そこから神保町まで歩いて本を探す事になっていた。
雨のせいで全力を出せない自分を悔やみながら改札を出ると、そこには太田君がいた。

駆け寄ると、太田君が手を振った。
「岩倉さん?」
「太田君、待った?」
「いや。さっき着いたとこ」
「良かった。めっちゃ待たせたかと思っちゃった」
「時間通りじゃん。岩倉さんは」
太田君は何か変だった。こっちを見てるようで見ていない。目が合わない。よく見たら怪訝な顔をしている。
もしかしてああ言ったけど、大分前にここに着いて、イラつくほど待ってたのかもしれない。
不安に駆られていると、太田君がポツリと言った。
「実はさっき眼鏡落として、レンズが片方外れちゃったんだ。だから殆ど何も見えないんだ」
「え?」
反射的に太田君を見ると、確かに左目のレンズが無くて、瞳がダイレクトにこちらを覗いていた。
「何も見えないの?」
「利き目、左なんだ」
「何?利き目って」
「左で物を見てるんだ」
太田君は大真面目に言った。
レンズが1つ外れた、滑稽な眼鏡で。
「何それ。可笑しいー」
思わず声が大きくなってしまった。
近くにいたスーツ姿の女性が怪訝な顔をしてこっちを振り向いた。

可笑しい。
必死になって洋服を選んだ自分が。
笑えてくる。
どのみち見られなかたのに。どうでも良かったのに。

「やっぱ太田君って変わってるね」
「そうかな」
「変わってるよ。凄い変わってる」
「別に変わってないけど」
太田君の髪は相変わらず跳ねている。
というか、湿気を含んで更に厄介な事になっている。左側だけうねって、猛獣使いのようになっている。意思を持っているみたいに。
「丸善寄ってから三省堂行こうか」
太田君が言う。
レンズの外れたフレームから、色素の薄い瞳が溢れる。初めて知る太田君にハッとなる。

いつの間にか雨が止んでいた。
水溜りに太田君が映っていた。
自分も入ろうと、そっと側に寄った。

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