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とある休日、近所を本気で散歩してみた

只今、3度目の緊急事態宣言で、楽しみを与えてくれる殆どのお店が閉まっている。
楽しいところには人が集まるので当然といえば当然かもしれないが、GWという長い休みなのに本当にする事がない。

もっと言えば、私はお笑いライブを見に行くのをライフワークにしているのだが、お笑いライブは先月の25日から無観客配信でやるのを余儀なくされているので、私の翼はGWの大分前からもげている。

毎日の感染者数を見ていると緊急事態宣言は延長になりそうなので、私が推しに推しているライジング・アップというお笑い事務所の方々にお会いできるのはいつになるか分からない。今月中にお会いするのは難しいのではないかと思えてくる。

そうなると私は彼らに会えるまでに何とか1人で生き延びなければならず、当面自立しなければならなくなってきた。
楽しみを他に見出さなければ、同じ時間、前向きにネタを書いていたりP1グランプリというコンテストに出ていたりする彼らと並列になれない気がする。
なるべく自分で自分を回せるようにして、再会した時には魅力的な自分でありたい。
これは、女としての密かな意地でもある。

私は、自分の両手を広げた範囲で自分を楽しませる事にした。
無理がない範囲で。生活を変えることなく。
私は毎日8000歩歩く事を日課にしていて、GW中も当然それを実行していたので、試しに本気で近所を散歩してみる事にした。

本気、というのは、普段自分の歩くせいぜい数メートル先しか見ていなかったところを、意識的に視界を広げて眺めるという事である。

そう決意して家を出ると、早速、道路を渡るのに邪魔としか思えなかった車が、走り抜けてゆく際、実はぐんぐん影を伸ばしているというのを発見した。

横幅と同じだけの太い影が、スピードに合わせてぐうんと長く伸びる。
道路に、どこまでも続く果てしない直線が広がる。

小学生になったみたいだ、と思った。
理科の課外授業でこういうのがありそうだ。
無意識に目を止めて何気ない日常を解明する作業。
私は面白くなりそうな予感を胸に、更に歩いた。

暫くすると、今度はバスケットコートで小学生だか中学生の男子が遊ぶ姿が目に入った。
20人ぐらいいる。
彼らは半袖にハーフパンツという出で立ちで、各々ボールに向き合っている。

何でハーフパンツを履いているんだろう。
私の頭に疑問が浮かんだ。
何でバスケってハーフパンツを履くのか。
深く考えた事がなかったけれど、目の前の少年たちは皆ハーフパンツを履いているので、バスケはハーフパンツを履いてする事になっていると思われる。
そうなると、その理由が知りたくなってくる。
どうしてなんだろう。
誰が決めたのか。

と、少年たちが一斉にボールをバウンドさせ始めた。
不規則に、ボールが弾む音が鳴り響く。
20個の音がばらばらに飛び散るのは壮絶で、その場にいられなくなる。
ただバウンドさせているだけの鈍い音でも、20個連なると異様な音になる。
ばあん、ばあんと身体に響く。
それが規則を追えないなると、これはもう手に負えなくなってくるのだ。
どの音も追えず、苦しくなる。

私は少年たちに別れを告げて、また前に進んだ。
大分歩いて、次に目に留まったのは公園のフェンスに伸びた蔓だった。
何かの植物の蔓が、歩道側から公園のフェンスに絡まっている。
その様は身を乗り出している観客のようで、私は思わずハッとした。

生きている、と思った。
植物には命があります、という生物学的な話ではなく、確実に意思を持って絡まっている。
覗いているのだ、公園で遊ぶ人々を。
同じ人間として興味を持って眺めているのだ。
それはもう人間なのだ。

蔓は自分を人間だと思っている。
私は確信した。
そうでなければ、こんなに好奇心を持って眺められるはずがない。

目眩がした。
散歩とはこんなにも大変な行為だったのか。
本気で対峙したら、発見がありすぎてなかなか前に進めない。
普段は早く歩いて早く帰るとか赤信号に捕まらないようにとか合理的な事ばかり考えているので、合理的なものしか目に入らないようになっていたのか。

自転車が危ないとか、iPhoneの充電が足りるかなとか、帰りに寄るスーパーのレジが混んでいたら嫌だなあとか、現実的な事ばかり。
目的があって歩いているので、目的に沿わない事には意識が向かない。
さりげなさがすり抜けるほど、無機質な生活を送っていたのか。

散歩は冒険だった。
本当は、わざわざ遠くに楽しみを捕まえに行かなくても、世界は直ぐ側に広がっていた。
私は、両手を伸ばし、空を掴む。

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