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ブックカバーと電車

雨の日に電車に乗ると、たまに本を読んでいる方に出くわすことがある。読書(というよりも小説)が好きな私は、彼ら彼女らが何を読んでいるのかどうしても気になるが、一様にブックカバーを装着しているので表紙を覗くことが出来ない。「見せてくれたっていいじゃん」と憤慨した私であったが、手許を見ればバリバリにブックカバーが付いている小説を持っている。

ブックカバーとは便利なものである。「自分の好きな本を自分だけが知っていたい」、「人の視線を気にしたくない」、また「衆人環視のなかで読むには相応しくない本を読みたい」など様々な希望を叶えることが出来る。ブックカバーは自分の世界に入るときに欲しい大切な相棒と言える。

一方で、ブックカバーをつけてしまうともう外部との接触が出来なくなってしまう。周りの人は自分の読んでいる本がどんな本なのか知る余地もないし、自分自身は本に集中しすぎて周囲の事物・人物を意識しなくなるからである。

つまるところ、ブックカバーは読書を読書たらしめるに絶大な効果を発揮する一方で、読書をより閉鎖的・主観的な活動にしてしまうわけだ。


ある日のことである。

早朝こそ晴天が輝いていたものの、午後になると次第に雲行きが怪しくなってきた。やはりと言うべきか、私が帰ろうとした頃には本降りになっており、已む無く大学最寄りの駅から電車で帰ることになる。

帰りの電車は込み合う。車内に雨特有の湿気と乗客の熱気が混じり合い、何とも言い難く不快な雰囲気が漂う。生憎急な雨のせいで本を持ってきていなかった私は、手持ち無沙汰に車内の広告を見上げていた。

さて私の目の前に、一人の女子高生がいた。俯きがちに本を読んでおり、私は彼女が何の本を読んでいるのか(ちょっぴり彼女自身のことも)気になった。が、例に漏れず、ブックカバーが我々を隔てている。少し興ざめし、再び頭上を睨んだ時だ。

ぶっ

突然間の抜けた音が鳴り、車内の空気が一瞬静止する。「何いまの音」「誰か屁こいたんちゃん?」と遠慮ない騒めきが広がった。ある人は薄笑いを浮かべ、またある人は「自分じゃない」とでも言うかのように顔を顰める。取り敢えず誰も彼もが好奇心むき出しに周囲を見渡していた中で、一人だけ別の行動を取っている人がいる。

本読む彼女である。

火が出るんじゃないかというくらいに顔を真っ赤にし、俯いていた顔をさらに下げていた。誰からどう見てもその音の発生源であることは明らかであった。その素直すぎる反応に少しいじらしく感じ、そして可哀想になる。幸いというべきか、周囲の人たちは彼女の挙動不審な様子に気づいていないようだ。取り敢えず手持ちの荷物を少し上に上げて、さりげなく彼女の顔を隠すようにした。

と、そのときである。

彼女は何を考えたのか、自分が今まで読んでいた本から桜のブックカバーを取り除き自分の手提げ袋に仕舞うと、未だ冷め止まぬ赤い顔をプイと反対方向に向けて肩を怒らせながら本を読み始めた。一瞬のことで頭が真っ白になっていた私は、「彼女が何の本を読んでいるのか」を覗き損なたことに気が付き地団駄を踏んだ。

いつもであれば、この時点で「彼女は何を読んでいたのか」という謎を諦めていただろう。だが今回だけは、どうしても彼女がどんな本を読んでいるのか気になってしまった。大人しそうで、雨の電車内で読書を嗜み、ちょっとした失敗にすごく挙動不審になり、何を考えたのか急にブックカバーを外す……。そんなミステリアスな彼女は、一体どんな本を読むのだろうか。

私は、あまり良くない行動だとは思いながら、彼女が背を向け読んでいる本を盗み見た。読んでいくうちに、この本は小説ではなく学問書であることに気づく。「小説以外は門外漢だからなー」と残念に思っていたが、二ページ流し読みしていくうちに過去に読んだことがある本だということに気が付いた。その本の題名は、いとも簡単に思い出す。

「エウレカの確率」シリーズのうちナッシュ均衡が主題の話だ。

私は一時期、経済学にドはまりしていたときがあって、面白そうな題名の本を片っ端から読んでいた時期があった。と言っても、最後まで読破した本は数えるほど少ない。その数少ない本の中でも特に印象が残っていたのが、「エウレカの確率」シリーズであった。

私は彼女の読んでいる本の名前に気づいたことに感動してしまい、思わず「エウレカか」と呟いてしまった。狂騒する電車の車輪にかき消されるような小さな声だったが、当の彼女には聞こえていたらしく驚いたようにこっちを振り返る。そしてゆっくり首を振ると、次の駅で雨の街へと降り立ってしまった。


冷め止まぬ興奮を胸に帰路につく。家で一息ついた私は、少し思い立ったことがあって、本棚から本を探し始めた。本と埃とが雪崩のように降ってくるし土台に置いてある図鑑が異常に重いしで難航に難航を重ねた本探しであったが、やがて一冊の本にたどり着く。重厚なブックカバーに覆われたその本の題名は「エウレカの確率 経済学捜査員とナッシュ均衡の殺人」である。

久しぶりに読み始めた本であったが、やはり問題提起とストーリー付けが面白くすいすいと読んでしまう。うやむやであったナッシュ均衡についても(ほんのほんの少しだけ)理解が深まる等、この本を読むことで得られたものは計り知れなかった。

ただ一点残念な点を挙げるとするならば、

彼女が読んでいた本はその本ではなかった。

どうやらナッシュ均衡という言葉に持っていかれたせいでこの本だと決めつけてしまったのだろう。彼女が読んでいた本の謎を解くカギは、あの電車の中に忘れてしまったらしい。そしてあの雨の電車はもう永遠に来ないと思うと、取り返しのつかないことをしたように感じられて仕方が無かった。

私は、かつて好きだった本を片手に茫然とした。何分経っただろうか、ふと「ぶっ」と間の抜けた音ではっと我に帰る。どうやらブックカバーがしなったせいで変な音が鳴ったらしい。

ちょうど近くにいた妹が、顔を顰めてこう言った。

「ちょっと、おならしないでくれる?」

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