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母と時間屋

ある日学校から帰ってきたとき、我が家の戸口の右上に時計が飾られているのを見つけた。お世辞にも高級とは言えない質素な時計で、百均でも売られていそうなチープな時計だ。

と思っていると、ちょうど母が家から出てきた。私が訝しげに時計を見上げているのを見て、母は「いいでしょこの時計」と嬉しそうに話しかけてくる。聞けば、近所の子供たちが登下校中にも時間が分かるようにかけたのだという。「もう少し豪華なものでも良かったんじゃないの?」と言うと、母は「こういうのが良いのよ」とすまして答えた。



さて翌日。時計を掛けて初めての児童下校時間である。

あまりにも地味なので時計の存在を認識されるか不安に思っていたが、子供の観察眼は流石と言うべきか、初日に「あ!時計だ!」という声が聞こえた。「今は(午後)2時20分!!」「2時20分!!」「急いで帰るぞー」と元気な声が聞こえる。オンライン授業中だったこともあり、子供たちの声が少々煩わしくもあったが、やはり少し愉快な気持ちになった。

それからというもの、我が家は近所の時間屋さんとなった。ある日大学から帰ってくると、10人もの人々が家の前でたむろしている。「おいおい、家族の誰かが何かやらかしたのか?」とビックリして遠くからその人込みを観察していると、全員一心不乱に時計を見つめていることに気づいた。何人かはいい年した大人も混じっている。僕は、腕時計見ろよと思った。

またある日、家の前にうら若きJKがいるのを見つけた。「JKなら大歓迎!」と思っていると、徐にスマホを取り出して、「映え~」と言いながら時計をパシャパシャと撮り始めた。流石に丁重に断ってお帰り頂くことにした。

またある日、おばあさんが我が家の前に佇んでいた。「宗教関連かしら(失礼)」と思って恐る恐る近づくと、おばあさんから「ちょっとお願いあるのですが」と呼びかけられた。聞くところによれば、おばあさんは高松国際ホテルに向かおうとしていたが、道に迷って困っていたらしい。私はおばあさんのために目的地へのナビ係を務めることにした。おばあさんは道中、「時計を掛けている家には、心優しい人がいるって信じていたよ」と仰った。「そういう見方もあるのか」と、私は半ば感心した。

このように、我が家の時計は思った以上に歓待された。近所半径300mの住民にとって、我が家は名物屋敷というかパワースポットというか、そういう地位にまでなった。普段は目立つことを好まない母も、このときばかりは「ほほう」と小鼻を膨らませた。


さて、時計は休むことなく一年半もの月日を刻み続けていたが、ある日突然1時02分を指したまま止まってしまった。いつも通りの下校時間、子供たちが動かなくなった時計を不審に思い、わざわざ家に知らせてくれたのである。母は薄汚くなった時計を取り外して捨ててしまった。母は何故か笑っていた。

母は時計二代目を掛けることはなかった。最初の方は惜しんでいた近所の子供たちも、いつしか時計の存在を忘れてしまったのか、家の前に来ても素通りするようになった。こうして我が家は、時間屋から何の変哲もない民家に戻ってしまった。


なぜ母は、急に思い立って時計を掛けたのだろう。

母の気持ちは未だに如何として知れないが、母はよく昔話をする。
母が子供の頃、夕方五時になれば町中に時を知らせる鐘が鳴り響き、子供たちは別れを惜しみながら我が家に帰ったそうだ。「紅い夕陽の中に鳴り響く鐘の音、切なくて良い響きだったのよ」と母は遠い目をして語った。半都会の僕らの街にはそんな牧歌的な雰囲気など皆無に等しく、おびただしい数の車が慌ただしく帰路を急ぐのみである。

もしかしたら母は、時計を掛けることで、いつかの淡く遠い昔の記憶を追憶したかったのかもしれない。


思えば、母は久しく故郷を訪ねていない。故郷から遠く離れたこの場所で、今日も夕陽に包まれながら晩ご飯を作っている。



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