かわしまようこさん vol.3 沖縄の個人リトリートに行くことに
純粋な「行きたい」を本当にやってしまうまでの道のりは、
晴天ならば光の速さで。
そうでなければ鉛のような重力を引きづりながら。
「それでも」という思いはそれでよかったのか
答えなんてわからない。
濃霧の中、全てのことを引き受ける気持ちだけは覚悟を持っていった。
いや、持たなければ耐えられなかったのだと思う。
きっかけを作ってくれたのは私の学生時代からの恩師の手紙でした。
2022年に入院したことも施設へ行くことも、ほとんど誰にも言わずに旅立った私でしたが、唯一事情を話していたMさんからの。
「沖縄に行きませんか」と書かれた文字を見て
直感的に、かわしまさんのことが頭に浮かびました。
かわしまさんに会いたいと。
2024年年明けにかわしまさんへリトリートの問い合わせを入れ、電話の方が伝えやすいからと直接お電話にて詳細を聞きました。
でもそこから、私は迷走していました。
ことをすすめながら、いつもブレーキをかけてくる自分との戦い。
ちなみに、リトリートってそもそも何?
調べてみるとそうありました。
振り返ると発病してからの人生はほぼリトリート。
そんな気づきも 涙
かわしまさんへ問い合わせを入れた時の状態といえば、
日帰りの外出ですら疲れて食べ吐きして寝込む、
家族構成の変化についていけず摂食障害や発達障害の症状がひどく週に2日は寝込んでいる。そんな状態でした。
どう考えてもハードルが高すぎるように感じていたのです。
基本的に優柔不断。決めるパワーも弱い私。
迷いの迷路から出られませんでした。
施設時代から通っているクリニックの主治医に言われていたのは、
「あなたの場合はデメリットを引き受けて自分で決めること」
今までは誰か、何かに依存することで、自分のことを全てあけ渡して決めてもらうか、自分で全てを抱え込んで自滅することが多かった。
でも、それをわかっているのとできるのは違ってできないんですよ 涙
そういう自分との戦いも。
そういう自分を散々持て余しながら
施設や病棟で訓練して学んだことは、
「決めてもらうのではなく、相談しながら自分で決めること」
そういえば今まで読んできた本の中にも、そのヒントがあったなぁと思い出して
昔買った本を引っ張り出して一休みしたりもしたりして。
受験生がマンガに逃げるような感じですね。
暮らしのおへそ vol.25 の中で見つけた禅僧の南直哉(みなみじきさい)さんの言葉。今でも時々思い出します。
ビギナーの私には、第3者の存在が必要です。
結局、その時もいつも相談している市の保健師さんにも何度もお話しして、考えをまとめるお手伝いをしてもらいました。
「まず、行った時と行かなかった時の自分の感情を想像してみて」
そう言われました。
「沖縄へ行ったらそれがどういう結果であっても、食べ吐きをしながらになってしまったとしても自信になる。行かなかったら、自分はまたダメだった・・・と病気の殻に閉じこもるだろう」
と素直に思ったことを信じました。
もう決まっているって体が言ってる。
そうとしか感じられなかった。
心とは裏腹に。
ここまでは説明できるけど、ここからは理屈じゃない。
あとは自分がどうしたら楽か
どうしたら関わる人と気持ちよく過ごせるか
何をどこまで話すか
安全に自分が旅行をするためにすること、準備できること、伝える必要があることを自分でわかって、人に説明する必要がありました。
でも、初めての経験。右も左もわかりません。
2022年からの2年間は、障害者としての人生の始まりでもあったからです。
そんな状態をかわしまさんに白状することも。
やりとりの中そんな私にご配慮してくださり、楽しめるように心を整えるカウンセリングもしてくださいました。
セルフケアのレクチャーや、受け取り方の変え方なども。
(これは、また別の記事で詳しく書いていこうと思います。)
一度決めたスケジュールが私の不安がぶち壊してしまうという経験もありました。
飛行機も宿も全てキャンセルした時の「また、ダメだった・・・」という気持ち。その日は丸一日寝込みました。
寝ながら、
「私はこうやって自分の人生の全てを不安や恐れから壊してきたんだ」ということ。そして、「諦めたくない」と気づきました。
その気づきが、決め手となって再び沖縄へ行くという意思を固めてくれました。
濃霧の中で全てのことを引き受ける覚悟。
覚悟なんて本当はいらない、重いだけ。
それでも吹き飛ばされるよりは、まだマシ。
カウンセリングを重ねる中で、
そんな自分の気持ちに寄り添ってあげたいと思うようになっていきました。
長い間止まっていた車を動かすような力を見つけていく作業の辛さって半端ない。
全然まとまらない記事を読んでくださりありがとうございました。
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