【小説】パープル=反復横跳び・ヘイズ
その日はクソの様に眩しく晴れた日だった。
しかしそれがレンブラントの描いた景色に似ているのか、ヴィンセント=ファンの描いた空に似ているのかも俺にはわからなかった。
つまり俺はゴキゲンだったし、犀コーにハイってやつだった。
だからなんだっていい。黴くさいチョコレートじゃなけりゃ、それが白い脂だろうと五香粉の茂みだろうと構わない。穴があれば入れたい、そう言う日だった。
空は自他の境界が曖昧な女のメンタルに似て青と白の区別がつかないでいたが、ベーコンの教皇じみた太陽の叫びだけは自己主張を控える事なく、怪しい光をわずか10分ほどの超特急で地表に叩きつけている。
小麦とトマトだからサラダだろと言うツラをしたピザと、メイドインチャイナの漢方薬より黒いコーラで膨張した腹から出た屁くらいでは空は汚れず気温も上がらない。
世界はクソだ。まだ闘う価値とやらは感じられない。
だがクソをクソと言ってもクソ仕方ない。
そんなものはクソ叡智のクソ敗北だ。クソApple社があのクソロゴにクソAppleと書き加えるのにクソ似ている。
何に抗い何に従うか?
結局は金だ。前払いの学費を無駄にする訳にはいかない。単位の為。卒業の為。
つまり就職の為に金を払っている訳だ。
世界はクソだ。まだ闘う価値とやらは感じられない。
両耳にピアスを付けておきながらゲイじゃないと言い張るヴェトナム産まれでユダヤ教徒の黒人教授が喋るだけのクソ授業を終えて寮に戻る。
「激死鬼人!」
ドアに貼られたメモを剥がす。
どうせエリックだ。放っておけば良い。
鍵を開ける。ドアを開く。
大麻の臭い。ピザの臭い。最低でも三日はシャワーを浴びていないジェレミーの臭い。
世界のクソはここから始まっている。
少なくとも世界がクソなのはこの部屋が在るからだ。
「窓を開けるぞ」
返事を待たずに雨染みだらけの窓を押し上げる。
埃だらけになったサーキュレーターを外に向けて回す。巻き込まれた毛でサーキュレーターの軸が細い悲鳴を上げる。
部屋の中の腐った空気が勢いよく出て行く。あばよ、良い夢を見るんだ。
俺は冷たく乾いたペパロニとパイナップルのサラダを炭酸の抜けたぬるい漢方薬で流し込む。
「今のはゲップか?それともハローって言ったのか?」
夢現の境界を反復横跳びしていたジェレミーが小麦粉とトマトのサラダより薄いベッドに身を起こす。
「いまお前が火を付けているのは煙草かマリファナか訊くのと同じくらい馬鹿げてるな」
ジェレミーが肩をすくめる。
「さっきエリックが来てエロ本を返せって言ってたぜ」
何で日本人のお前が台湾人から日本のエロ本とビデオを借りてるんだ?
ジェレミーが調べ物では開いたことのない新鮮な辞書を破いて巻いたマリファナを俺に差し向ける。
「ハンバーガーとピザばっかじゃ腹を下すんだよ。たまには寿司を食いたくなる」
「ヤンに頼めばどうにかなるだろ?」
「知らんのか、日本の寿司にはキムチを入れないんだ」
「そう言うもんかな。何でもいいけど、さっさと返してやれよ。いちいちエリックの相手するのが面倒だ」
「そうしてやりたいのは山々だが他の奴に貸しちまって手元に無いんだ」
名前も忘れたアフリカ人にな、と付け加える。
奴らの名前は発音し難い。アフロ、それが名前だ。
ジェレミーの指に挟まれた辞書を咥える。
紫色の煙を肺に満たす。花畑にクソをぶち撒けるような気分になる。
ジェレミーが言う。
スシは良いな、お前もたまにはビターなチョコレートが食いたい時あるだろ?
俺は曖昧に笑って答えた。
別に興味は無い、ウォシュレットの無い国は臭そうだ。
ジェレミーは笑っていた。
お前の国だって凱旋門すら糞尿臭いって話だ。
マリファナを返しながら言う。俺も反復横跳びを始める。
「地下鉄は精液とホームレスの臭いで充満してるね」
「行く気にならねぇよ」
ジェレミーが笑う。
俺も笑おうと努力をする。実際に笑っているかは知らない。
お前の国の小説だと俺たちのスシガールだって洗ってない猿みたいなもんだと書かれてた気がするけど、そんなもんだろ。
ジェレミーが笑う。
俺も笑っていたはずだ。
「何か食いに行こうぜ」
腹を空かせたジェレミーが言う。
「目を赤くしたままでか?」
「寂しいんだよ」
冷えたピザに用は無い。
気の抜けたコーラをひと口飲む。
ゲップが出る。
サーキュレーターを通して世界旅行に出る。
あばよ、良い夢を。二度と帰ってくるんじゃないぞ。
「呼吸はセックスだな」
「少なくともコンドームを付けなくて良い」
寿司が喰いたい。緑茶が飲みたい。煎餅が喰いたい。焼酎が飲みたい。煮魚が喰いたい。米酒が飲みたい。
「それをホームシックって言うのさ」
ジェレミーが辞書で巻いたマリファナを食べながら言う。
「だから俺はこうやって誤魔化してるんだよ」
ママンのヴァジャイナに還りたいんだよと言うジェレミーはベッドの上で丸まっている。
お前が食べたページにそう書いてあったなら、もう大丈夫だよ。
俺は自分の犀を取り出して見せる。
ピザをコーラで流し込みながらこの男の名前は本当にジェレミーだったかを思い出そうとしだが、パープルヘイズに酔っ払ってしまったのでやめた。
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