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【小説】のび太 THE 世田谷線1994

「のび太くんに似てるよね」
 空手教室のある三軒茶屋に向かう途中の電車で見知らぬ男が急に話しかけてきた。
 話しかけてきた、と言うよりは俺を見て勝手にそう感想を述べただけでつまるところそれはその男の独り言に過ぎない。
 だが周囲の乗客はその感想を聞いて笑った。確かに笑ったのだ。

 なるほど、俺は背も小さく痩せていて貧弱そのものと言った体つきだったし何より視力の悪い事が判明して眼鏡をかけはじめた頃だった。
 確かに野比のび太そのものだったろう。
 いくら空手を習おうと暴力性が身につく訳でもなく俺は読みかけていた本に再び視線を落としただけだった。

 その男を何度か見た事はある。
 世田谷線沿いのどこかにある施設に通う男だ。その施設がどの駅にあるのかは知らないし知ろうとも思わないが、下高井戸から三軒茶屋の間のどこかにあり何度か彼らの姿を見た事がある。
 幼い頃から見ていれば馴れるもので、別に恐怖などを覚えたりしないものだが今日は運が悪かった。あろうことか俺について言及した上に、周囲の乗客も同調して笑ったのだ。

 人生最悪の日だな、と思った。
 電車の天井に張り付いた換気扇はぬるい空気をかき混ぜ、木製の床と緑色をした長椅子から埃を舞い上げている。
 そしてそこに座る人間たちの疲弊が少し緩和したのは俺が嗤われたからだろう。
 救いがたい現実だ。

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