Re: 【超短編小説集】ズブロッカ★ぶすRocker
「ふえる」
晩飯は蕎麦でもたぐろうと思い鍋に火をかけて、ぱらぱらと乾麺の蕎麦を湯に入れた。
非常にだらしのない調理だなと思いつつ、小口に切った葱とばら肉も同じ鍋に入れてしまう。
味や食感を考えれば別々に調理するべきなのだろう。だが自分しか食べないのだから洗う手間を優先して一緒に茹でてしまうのがラクで良い。
ふえるわかめを鍋にひとつまみ入れたところで尿意を催した。
トイレに向かう一瞬コンロの火を止めるべきか迷ったが、買い物に行く訳じゃないし大丈夫だろう。そう思った。
トイレに入ると、便器の内側に付着した汚れが気になり薬剤で洗い流した。
洗い流した直後に水が止まらなくなってしまったので、タンクのフタを開けてゴムボールの位置を直してからキッチンに戻ると、なぜかコンロの上の鍋が増えていた。
増えた鍋を前に、増えた俺が困惑した表情で立っており、それをみてぼうっと立っている俺を増えた俺が後ろから押した。
増えた俺は増えた鍋の中に転落していった。
鍋の中には蕎麦と葱、ばら肉とわかめと増えた俺が躍っていた。
振り向くと俺も便所も増えており、俺たちは困惑しながら右往左往するしかなかった。
とにかく煙草を吸って落ち着こう、そう思ったが手も足も指も増えた俺の身体は非常に扱い辛く、どうにかこうにか増え続けてミルフィーユの様になった窓ガラスを開け切った。
増え続けるベランダを見ながら、このマンションも隣のマンションも増えているし、月も地球も太陽系も銀河系も増えているのが目視できた。
俺は増え続ける手指をどうにか増え続けるポケットに入れて、増え続けるタバコを取り出して増え続ける口に咥え、増え続けるライターで増え続ける火をつけた。
やれやれ、腹が減ったな。
増え続ける煙を吐きながら、七味の買い置きがあったかどうかを思い出そうとしたが、増えているんだろうから少なくても平気だなと思い直した。
***
「いぬ」
昼休みに休憩室でスマホをいじっていると後ろから声をかけられた。
「いぬ、好きなの」
振り向くと職場では人気の高い同僚の女性が立っていた。
その同僚女性はおろか、他の同僚に話しかけられる事もあまりない自分としては高揚するとともに酷く動揺してしまい、吃音気味に「猫よりは犬派なんだ」と答えた。
素直に犬が好きだと言えば良かったのに何をしているんだろう、と脳内で反省会を始めようとしていたところ、彼女はそんな事を気にもせず
「そう、うちにも犬を飼っているの。見に来ない?」
と訊いてきた。
「え?ぼくが」
裏返った声で答える。
「厭だった?」
彼女は笑う。
「そ、そんなことは」
ぼくはまともに視線も合わせられずにいると「じゃあ決まりね」と言って彼女は行ってしまった。
何かの罰ゲームか何かだろうかと思って辺りを見回してみたが、誰か隠れて撮影をしている雰囲気は感じられなかった。
結局ぼくは仕事を終えると彼女と一緒に電車に乗って、そのまま彼女の棲む家に向かう事になった。
そこは最近になって開発目覚ましい駅からほど近いマンションで、自分たちの給料で入居できるのか怪しいなと思った。
もしかしたら彼女は何か副業をしているのかも知れない。前向きに考えれば投資などだし、悪く考えれば良くない仕事だ。
良くないと言うのもぼく自身の主観でしかないから別に彼女に禁止もできないし、そもそも彼女の勝手だし、ぼくは彼女の何者でもないし、何者かになる予定も無いし、なれる可能性も無いのだから彼女がどうしていようと構わないはずなのだけど、彼女が良くない仕事で知らない誰かに触られているなんて事を脳内で早口に考えるぼくは
「ここだよ」
と言う彼女の一言で思考を中断させられた。
エントランスからカーペット、そして彼女の部屋の玄関前まで毛足の長いカーペットが敷かれていた。
カーペットは綺麗に掃除されていて、ゴミはひとつも落ちていない。
仮に彼女に「きみ、今夜はここで寝てね」と言われてもぼくは喜んで横になってしまうだろう。
そもそも自分の万年床より良さそうだ。
そう考えていると「ここで寝られる、とか思った?」と彼女が笑った。
あまりの生活レベルの違いから、虚勢などはどうでも良くなってしまい、むしろいくぶん余裕の出てきたぼくは「まさか、冗談よせよ」と笑ってから今のは粋がり過ぎたかも知れない。
実はそうなんだ……などと笑っていた方が素直で良かったんじゃないだろうかと再び脳内反省会を始めたが、いつも通り後の祭りだ。
会話の選択肢はやり直せない。
通されたリビングの革ソファで縮こまっていると、彼女は「着替えてくるね」と言って自室に入っていった。
その隙に部屋を見回すと、調度品は統一感がありハイセンスだと感じた。
スチールラックと適当に買い足した本棚、あとは炬燵机と座椅子で構成された自分の部屋とは全く違う。
美人は美しい部屋に棲むものだ、などと考えてみたが、もし彼女が倉庫の様なところに棲んでいて、巨大なキャンバスにでたらめな絵を描いたりしていたら本気で好きになってしまうかも知れない。
そんな倉庫に住む彼女には、できれば絵の具だらけのツナギを着ていて、雑なインスタントコーヒーなんかを飲んでいて欲しい。
ときおり筆を洗うバケツと間違えてマグカップに筆を入れてしまって舌打ちを……
「お待たせ」
再び彼女の声で夢想を中断させられた。
振り向くとそこに立っていたのは、膝まであるビニールブーツと太ももを覆う網タイツ。
そしてハイレグカットでオープンバストになっているビニールボンテージに身を包み、タッセルの下がったニップレスを揺らし、肘まであるビニールの手袋をした彼女だった。
髪はオールバックになっている。
顔は濃い化粧をした上で目には白いコンタクトレンズをしていた。
首には鉄の棘がついたチョーカーを嵌めており、ビニール手袋をした手からは黒い針金で固定された鋭い棘がついている犬用の首輪が伸びていた。
だがその首輪には何もいない。
あまりに異様な状態でぼくは何も言えずに固まっていた。
「ほら、可愛いでしょう」
彼女は白い目で僕に微笑んだ。
「可愛いです」
ぼくは愛想よく答えた。
もうどうしようもない。
たぶんどう答えてもダメだろう。ワンチャンスはおろか、せめて彼女の乳首でも見えたらよいのに。
でも彼女はご丁寧にビニール製で銀色の房がついたニップレスをしている。
未練たらしく彼女の谷間を凝視していると、彼女のビニール手袋から針金と棘付きの首輪が伸びて僕の亀頭に巻きついた。
そして一気に締め上げると小さな音を立てて亀頭が外れた。
そしてその針金と棘付きの首輪が食べてしまった。
なんだかわからないけれど、彼女はこうしてお金を稼いでいるだなと思ったし、それはそんなに悪い事ではないなと言う気がした。
あとの事は彼女に任せておけば大丈夫だろう。
消えていくぼくの亀頭を見ながら亀頭がなくてもセックスはできるのか考えていた。
でもたぶん、無駄なことだ。やり直しは効かないし、どの選択肢からやり直すにしたって望み薄だ。
***
「くちさけおんな」
夜道を歩いていると不意に声をかけられた。
「わたし綺麗?」
女だった。
「そうなんじゃない」
適当にあしらう。
「これでも?」
女が問い返す。
「ごめん、目ェ見えてないからワカんねぇんだわ」
おれは杖を掲げてから、サングラスを外して見せた。
女は深く恥入り、男の目となり手足となって生きる事を決めた。
***
「帰宅」
先輩が仕事終わったら一緒にかえろうぜと言うのでさっさと仕事を終わらせてエレベーターに乗り込んだ。
おれたちを乗せた箱は上へと昇って行き、すぐに屋上階についた。
煙草でも吸うのかと思っていたが、先輩はエレベーターを降りるとそのまま歩き出して
「まぁ狭いところだけどあがれよ」
などとふざける。
おれも「お邪魔します」なんておちゃらけてみたが、先輩はそのまま柵を越えてドアを開けるパントマイムをすると屋上から落ちていった。
おれは一緒に還りたくなかったので再びエレベ
ーターに乗り込んだ。
お疲れ様でした。
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