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小市民悪魔主義者、自称早稲田大学准教授の生活と意見。(5)


ぼくは「准教授」に教えてあげたかった。誰かと食事をするときに「おいしいね」、「うん、すごくおいしい」というようにオウム返しするだけで料理のおいしさは増すものなのだ。恋人とふたりでなにかの体験をするときも同じこと。「たのいしいね」、「うん、すごくたのしい」、「ちょっと怖いね」、「わたしも怖い」、そんな他愛もないオウム返しがどれだけ大事か。社会言語学はこれを同調の原理と呼ぶ。脳科学者はこれをミラーニューロンの働きと考える。



それはサルだって同じこと。ある小雪の舞う冬の日、ぼくは近所の動物園のコモンリスザルを眺めながら檻の前でウイスキーの小瓶を舐めていた。コモンリスザルは小顔で赤ちゃんの肌のような薄紅色の耳を持ち、黄土色の手足と、長い尻尾を備えたサルとリスのあいだみたいな南米の動物である。やがて7匹のコモンリスザルたちが樹の枝の上に並び、ぼくを見ながらいっせいにぼくがウイスキーの小瓶をちびちび舐める所作のマネをした。ぼくは驚いた、これが世に言うサルまねか! サルだって同じなのだ、生きてゆくうえでまねがどれだけ大切か測り知れない。ところが「准教授」はこれができない。相手の所作をまねすることも、相手の言葉のオウム返しも、場にふさわしい服を着ることもすべてできない。



霊長類は相手の所作をまねすることで、相手の気持ちを察する。また、〈まねること〉から〈学び〉がはじまる。おそらくからだが先なのだ。ヒトのおしゃべりでさえも舌そのほかの運動である。ダンスはおたがいの身振りのまねとずらしの応酬である。すべてはからだのふるまいであり、同時にそれがこころの表現なのだ。



知性もまた身体能力とともにある。「准教授」は少しくらい運動をすればもっと生活の質は向上するだろうに、しかしかれは運動にもスポーツにもまったく関心がない。結果かれにはからだの動きのパターンがあまりにも少なくかつまた固定化していて、結果かれのこころの働きも少なく、その働きも歪んでいる。またかれは美術や音楽の楽しみ方も知らない、もちろん感情移入ができないからである。「准教授」のあのみすぼらしく珍奇な恰好も、「服の着方にもTPO(暗黙の社会的コード)があって、大学にせよ高額レストランにせよ、行く場所にふさわしい恰好をしましょうね」という暗黙の社会コードをかれが理解できないからだろう。すなわち、すべてのかれの不幸はかれが人まねをできないことにはじまっている可能性がある。隣接話題としては、かれが料理を作れないことにもあるいは深刻な問題が潜んでいる疑いがあって。なぜって、どんなかんたんな調理であってもいくらかなりともマルチタスクであり、脳のさまざまな部分を使う。たかが肉を焼いて野菜炒めを添えることさえも、「准教授」を怯えさせるだろう。





また、連日連夜肉ばかり食べ続けるかれの食生活はかれの大腸に負担をかけあちこちにポケットを作り糞をため込み、いつしかそれらはかちかちの万年糞になり果て、とうぜんかれの腸内細菌叢は凄惨をきわめ、かれを文字どおり腹黒にもしたでしょう。ここでもまた、からだはこころ、こころはからだなのだ。もしもかれが「コスパ哲学」(とやら)を信奉していなかったならばミルトンの悪魔主義はむきだしになって、結果早稲田大学英文科教授会で無差別大量殺人事件が起こっていたとしてもなんの不思議もなかっただろう。



ある日かれはこの世界への胸いっぱいの怒りと憎しみとともに、大学関係者によって徹底的に棄損された自尊感情を回復させるべく一計を案じた。それがSNS、学外、そして飲食店で、偽名を使って「早稲田大学准教授」という虚構を演じることだった。そしてかれは幹事になってSNSで見知らぬ人を集めて食事会を開催するようになる。それはかれの性交相手の調達にも役立った。短いあいだながらかれはそれなりの人物として遇され、さぞや有頂天だったことだろう。かれは心のなかで嗤ったはずだ、「さすが愚民どもだ。学問に興味はなくとも、肩書だけは大好きなんだな。ならば愚民らしく偉大なわたしを好きなだけうらやむがいい。だはははは。



ところがかれの自尊感情回復大作戦が成功した期間はあまりにも短く、あっというまにかれの偽名と肩書詐称と貧乏はすべてバレてしまった。こうしてかれは「自称早稲田大学准教授」と呼ばれからかわれるようになる。そのたびにかれは「しつこいなぁ」とぼやく。傷心のかれを慰めてくれるのは焼肉、はたまたひよこのロースト、ヤモリのから揚げ、トド刺、鳩刺、牛の睾丸の網焼き、そして全国の駅弁、はたまた『銀河鉄道999』と新幹線だけなのだ。




しかし「准教授」はおもっただろう。「一敗地に塗れたからといって、 それがどうだというのだ?  すべてが失われたわけではない。 まだ、不屈不撓の意志、 復讐への飽くなき心、 永久に癒すべからざる憎悪の念、 幸福も帰順も知らぬ勇気があるのだ!




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