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大人になったら『ローリンガール』が私の歌になった。

もう一回、もう一回。「私は今日も転がります。」と、少女は言う 少女は言う
言葉に意味を奏でながら!

『ローリンガール』

私はボカロ全盛期にオタクをしていたので、wowakaさんの『ローリンガール』は歌詞を覚えてしまうほど聴いた。聴いていた当時、私は中学生で、歌詞の意味までは理解できなかった。ただ曲調がカッコよかったし、頭に残る曲だったのでよく聴いていた。

だけど大人になって最近、急にこの曲の意味が分かった気がした。

この曲は、自分を曲げずに夢を目指してまっすぐに生きるが故に、続く失敗の連鎖で疲れ切ってしまう不器用な女の子を歌ったものだ。

曲中ではその"夢"がどんなものなのかまでは語られないが、ローリンガールの初音ミクは何か誰にも譲れない夢を持っている。だけどその夢は簡単には手が届かない。それ故の1番の「もう失敗、もう失敗。間違い探しに終われば、また、回るの!」である。失敗しても間違いを正し、次の挑戦に立ち向かう。

「まだまだ先は見えないので。息を止めるの、今。」

先の見えない状態っていうのは怖いものだ。努力をしたからと言って、その夢がちゃんと叶うかどうかも確信が持てない。だけどこのミクは辞めない。失敗に失敗を繰り返し、それでも努力を続ける。この曲で「転がる」という言葉は、努力をして失敗して、さらにまた努力をすることなのではないだろうか。失敗するたびにゴロゴロと坂道を転がり落ちていくイメージだ。

2番の冒頭でも、「ローリンガールの成れの果て 届かない、向こうの色」と歌い、ミクの夢はまだまだ叶わないことを表している。

だけど2番のミクもまだ辞めない。
「もう一回、もう一回。私をどうか転がしてと少女は言う、少女は言う 無口に意味を重ねながら!」
自力で転がり続けることに疲れてきて、それでもまだ何とか動こうとしている。

「どうなったって良いんだってさ 間違いだって起こしちゃおうと 誘う、坂道」
努力を続けても結果の出ない日々で、だんだん何が正解で何が間違いなのかも分からなくなってきている。ヤケクソになって、「間違いだって起こしちゃおう」と思えてしまう。

「もう少し、もうすぐ何か見えるだろうと。息を止めるの、今。」
あと少し手を伸ばせば届くかもしれない。これで最後の頑張りになるかもしれない。そう信じてまた息を止める。

しかし続くラストのサビでは、歌詞がこうなる。
「『もう良いかい?もう良いよ。そろそろ君も疲れたろう、ね』息を止める(やめる)の、今。」

それまでは「息を止める(とめる)」だった歌詞が、「息を止める(やめる)」に変わってしまうのだ。

これは、転がり続けた=努力と失敗を繰り返し続けたミクが、ついに人生に疲れ切ってしまい、その夢を追うことを辞めてしまうことを指す。さらに強い表現をするならば、努力と失敗を繰り返した人生に疲れ、命を絶ってしまうとも読み取れる。

ミクの夢は叶わなかった。

「夢は叶う」と歌う音楽が多い世の中で、こんな歌詞の曲はかなり珍しいと思う。だけど、現実世界を生きている私たちにとっては、このようなシビアな結果の方が、リアリティがあるような気がする。

中学生の時はこの曲の意味が分からなかった。
だけど大人になった今なら分かる。

この記事では詳しくは書かないが、私は5年近く、たった1つの大きな夢を追いかけていた。その夢はあまりにも大きすぎて、人に話すのは恥ずかしくて、自分の中だけで抱え込んで生きてきた。だけど「絶対に叶えてみせる」と息巻いて、努力を続けてきた。

その5年間の私の人生は、まさに「転がり続けた」という表現がふさわしい。努力の全てが失敗に終わった。でも、失敗する度に「もう一回、もう一回。」と次のチャンスを探した。時には自暴自棄のようになって、体当たりのような行動もした。もう何が良くて何が悪いのかも分からなかった。その努力の日々はずっと辛かった。本当に叶うかどうか分からない、先の見えない日々はとても怖かった。まっすぐに夢を追いかけすぎて、辛い失敗を繰り返しすぎて、いつの間にか精神が蝕まれ、鬱が進んだ。

そして5年の月日が流れ、私の夢は叶わなかった。

全てに決着が着いた時、私はすっかり疲れ切ってしまっていた。鬱が酷くなってボロボロだった。ずっと一人で転がり続けた少女の人生は、どこに向かって生きていけばいいのか分からなくなってしまった。

「こんなに努力して、失敗して、ボロボロになっても叶わないのならもう死にたい」そう思った。

私は死ぬ勇気が無いので死ねなかったが、電車に乗れなくなり、外に出られなくなり、本当に死んでしまいそうな精神状態だった。5年間夢のために生きていた私の人生は突然終わり、ある意味死んだも同然だった。

そうして最近になってようやく少しだけ傷が癒えて、偶然懐かしいボカロ曲が入ったアルバムを見つけ、『ローリンガール』を数年ぶりに聴いた。すると不思議なことに、歌詞がするすると私の中に入ってきた。分かる、分かる、この曲のミクの気持ちが。転がり続けた少女の人生が。その生き様と苦しみが。

いつの間にか私は、『ローリンガール』のミクの人生を生きていたのだった。「この曲は私の曲だ」、そう思えた。

中学生の頃、ボカロキャラに憧れの気持ちはあったけれど、ボカロの曲はファンタスティックで少し現実離れしていて、リアルの人生と重ねて捉えることは少なかった。私は初音ミクにはなれないのだ。そう思っていた。

だけど私はいつの間にかミクになっていた。ミクになれていた。そう思えば、苦しかったこの5年間の自分に、少しは「許し」のような気持ちが湧く。私は生きるのが下手くそだから、これからも転がり続けるだろう。そしてまた疲れてしまうんだろう。だけどそんな時に、「今の私はローリンガールなんだ」と思えたら、少しは楽になれるかもしれない。






自分の書いた言葉を本にするのがずっと夢です。