Suzu

気の向くまま、ポツポツと。 写真もたまに撮ります。

Suzu

気の向くまま、ポツポツと。 写真もたまに撮ります。

最近の記事

問いかけ。

わたしはなにがしたいの?って 心の中で何度も何度も問いかけ続けている。 何百回、何千回、何万回でも ひたすらに問いかけて、思いついたら挑戦して 失敗しても続かなくてもまた繰り返し問いかけてみる。 振り出しに戻ったと感じても 以前と全く同じスタート地点はなくて。 ぐるぐると思考が巡ってまた同じこと考えても それもまた、違う視点だったりして。 わたしは不器用だから、きっと これだ!ってものしか情熱を注げない。 わかってるから、愚直に、ひたすら 何度も何度も何度も何度も

    • 好きなことをする。

      わたしは誰かに尽くすのが好きだ。 正しくは「愛を配るのが好き」なのかもしれない。 だけどそれはただ単純にその行為が好きというよりかは、自分のためにやっている気がしている。 「情けは人の為ならず巡り巡って己が為」という言葉通りに、わたしは誰かに優しくした分だけ自分も優しくされたいのだ。 以前は偽善ではないかと思っていたが、最近は自分のためで何が悪いと開き成り始めた。 世界で一番大事にすべきなのは自分だと思うし、もしそれと同じくらいに大切なひとがいるのならば、幸せ2倍でお得

      • 違い。

        そもそも、わたしは生まれた時から”ふつう“ではなかった。 自閉症スペクトラムと診断されたのは2年ほど前。 診断される前から、環境、ルール、人間関係に馴染めずに、ストレスで体調を崩すのは珍しくなかった。 わたしはどこか、ふつうの人とは違う。 違和感はあっても、その違和感をどう表現すればいいのか、わからなかった。 少数派であろう自分が間違っていて、多数派であろう人が正解だろうと、それだけを信じていた。 周りに合わせられない自分が悪い。 完璧にできない自分が悪い。 とにかくそ

        • 断片的な記憶。

          まともに愛されてこなかったのではなく、愛されようとしてこなかったというのが正しいのかもしれない。 酔っ払うと、感情の蓋がゆるんで暴走する。 自分を大切にしようという気持ちがどこかへ行ってしまう。 すべては人任せ、天任せ。 きっと、それでも大丈夫だよって言って欲しいだけ。 赤ん坊のように甘えてるだけ。 (何にもできなくても愛して欲しい。 存在するだけで愛して欲しい。) でもわたしの寂しさはわたしだけのもので、世界で、それがあるからこそ味わえた世界観もある。 これまでわた

        問いかけ。

          退屈、空白、余白。

          なんとなく、いつもするゲームがする気にならない。 ねむい、とてもねむい。 でも何か、書きたい。 そんな気分。 「反応しない練習」を読んでみた。 さらっとした文章。好きなタイプ。 著者の変わった経歴になんとなく惹かれる。 きっと、自身で色々と悩んでなやんで、たどり着いた先なのだろうと、そんなことを感じた。 過去は過去。いまは、いま。 妄想は現実ではない。 ふとした瞬間に、過去や妄想に囚われている自分に気がつく。 ゲームも、きっと、その妄想から逃げる手段だったのだろう。 暇

          退屈、空白、余白。

          退屈さん。

          退屈はこの世の中で1番厄介な敵かもしれない。 ありがたいことに週の半分ほどは休んでいるので、精神的に余裕がある。 金銭的には…まぁ笑 最近感じるのは、室内で過ごすことによってルーティン化されるものが多いことや、また地方ならではの空気感。 新しいこと、刺激は、エンターテイメント。 でも、特にすごい欲しいものがあるわけじゃなくて。 満たされてる、割と。 だからこそ感じる、退屈さ。 愛しいものだと思うんだけど、ね

          退屈さん。

          さがしもの。

          こんなことを書くのは恥ずかしい気がするが、わたしはずっと運命のひとを探している。 または、真実の愛。 すべてをゆるされたい。 そしてそれができるのは、愛だけだと思う。 でも、誰かにゆるされても自分がゆるせないとな、とも思ったりする。 自分が本当に自分のことをゆるせたら、もしかしたら運命の人も真実の愛も見つかるかもしれない。 わたしは本当に、本当に純粋で、ひとに笑われても、それでも、諦めることはないだろう。 どんな道を歩んできたとしても、たどり着けばそれが正解になるだ

          さがしもの。

          期待。

          「アルケミスト 夢を旅した少年」を読んだ。 前兆。 虫の知らせ、予感や閃きとか 私は割と信じる方だ。 その時代の流行りまたは風向きは肌身で感じる。そしてそれが変わる前兆があると、言葉が頭の中に浮かんだりする。 (つぶやいてみたりするが、多分あまり理解されてないだろうな。) ただそういうものがあっても、一番欲しい確信というものはいまだに得られてないと感じる。 これだ、この道をいきたい、という、そういう確信をずっと求めている。 それを北極星のように道標として歩んでいきたい

          期待。

          SNS detox.

          土砂降りの雨の中スニーカーで出勤したらスニーカーも靴下もびしょ濡れになってしまって、素足で仕事してる。 解放感あって、いい。 ふと、TwitterもFacebookもInstagramもみない生活をしてみようと思い、iPhoneからアプリを消した。 ただ見ないで置けばいいじゃないかと思われるかもしれないが、無意識で開いてしまう気がして、消した。 実際、朝起きてから数時間で、何回か無意識に開こうとしていた。 習慣って恐ろしい。 (かなり弱い繋がりからの) 孤独、孤立。 元

          SNS detox.

          sanctuary(聖域)

          私の心の中には聖域がある。 誰にも侵されたくない、私だけの聖域。 私は自分の性認識が曖昧なタイプだ。 なくてもいいと思っている、極端に言えば。 と、いうより、私に「女性性を持っている」という眼差しを向けられるのが、なんとなく、苦手。 表面的な部分で判断して、あたかも私全部が”女性”であるかのように捉えられるのは、はっきり言えば癪に障ることがある。 女性体であれば、中身も女性である。 というのは、大半のひとの認識なんだろうな。 それはこれまで人間が作り上げた認識で、本当に

          sanctuary(聖域)

          細やかな愛。

          例えば、メニューに松竹梅とランクがあったら松を頼んでくれたり、例えば、奥の席を譲ってくれたり。 細やかな気づかいがとてもとても嬉しかったりする。 デートのお金は相手にすべて出してもらっていたので、私はお金で好意を返すことができない。 もちろん、プレゼントもいいと思うのだけれども、それだと味気なく感じて、考えた結果マッサージをすることにした。 (まったくもってエロくない、普通のやつだ。ご期待に沿えなくて残念。) 側から見たら、歳の離れた男女がいちゃいちゃしてる様は異様に見え

          細やかな愛。

          「目合ひ(まぐわひ)」について。

          わたしは「対話」するのが好きだ。 対話することによって、相手の本質や自分の本質に触れたいと思う。 深く対話して本質に触れられた瞬間、己が身体から解放されるような幸せを感じる。 とても甘美な瞬間だ。 対話するときは、相手の目を見つめたい。 目はそのひとの本質が一番出ると、信じている。 相手のことを見つめると、わたしの目には相手が映っている。 そして、見つめ返してもらったとき、その目にはわたしが映っている。 目が合っている。 そして、その目はまさしく、鏡だ。 お互いにお互いを

          「目合ひ(まぐわひ)」について。

          表現。

          メモ程度、追加していく。 「月に吠える」を読んでいる。 最初の北原白秋の紹介文の「譬へばそれは憂鬱な香水に深く涵した剃刀である。」という表現に、背筋がぞわぞわした。 そんな表現ありなんだというか、これが表現か!という感じもした。 (そして突然、自分の文が恥ずかしくなる。) そういう感覚の表現も、していきたいなと思ってる。 詩も書いてみたい。 ボイトレも通ってみたい。エアシルクもやってみたい。 写真も好き! わたしは、自己表現が好きだし 何にもならなくても、続けていきた

          表現。

          優しさ、について。

          どうして優しくするかと聞かれた時、優しくされたいからと答えたけど それは昔の感覚で、いまは違うかもしれないと、ふと気がついた。 すれ違うひと、コンビニの店員さん、職場のひと。 ぶっきらぼうなひとより、柔らかい雰囲気のひとのほうが、わたしはいいと思うから自らそう振る舞っている。 …やっぱり自分のためかもしれない。 でも利己的っていう感じも、しないんだよな。 あ、でもできることしかしない。 中途半端に、手を出さない。 それはひとつの「優しさ」だと思ってる。 でもみんな、そ

          優しさ、について。

          他者愛。

          わたしは家になりたい。 愛する人たちがほっと安らげるような、そのひと自身でいられるような、そんな存在でありたい。 わたしの愛、特に他者愛を定義するとしたら、こうなると思う。 期待をせず、見返りも求めず、慈しみを持って接すること。 わたしが出来る限りのことを、愛しいひとにすること。 そのひとが望むままに生きることをたすけること。 それはきっと、わたしがそう愛されたいと望んでいるんだろう。 条件付の愛は悲しい。 ありのままを愛したいし、愛されたい。 肯定をしたい、して欲し

          他者愛。