心理カウンセラーが見る、大豆田とわ子という女性
ドラマ「大豆田とわ子と三人の元夫」にハマっております、心理カウンセラー・スズキチサです。
言わずもがなこのドラマの大黒柱である大豆田とわ子。
大豆田とわ子という女性の魅力を、心理学の視点から、勝手に読み解きます(ただ単に私が楽しいだけ)。
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大豆田とわ子という女性が、元夫3人(後半からは恋のお相手を加え4人の男性)を従えて、ストーリーを展開させていく。
彼女の才能である、セクシュアリティ(生命力)と女性性の豊かさは、
まるで、いつでもそこにあり、どんなときも受け入れてくれる大きくて穏やかな海のようであり、
ただ優しくやわらかく、全てを包み込む、聖母のようでもある、
と、私は感じている。
実際に、なんのアポイントもなく、自分勝手に頻繁に大豆田宅に訪れる元夫たちを、
門前払いすることなく、いつも部屋の中に受け入れる、大豆田とわ子。
どんなタイミングで訪れようとも、必ず彼らの話を聞く、大豆田とわ子。
毎回繰り返されるこのシーンで、とわ子の懐の深さが伺える。
感情の感じ方・伝え方が分からない元夫たち、そして、新しい恋のお相手である小鳥遊大史が、
大豆田とわ子と出会うことで、
感情の在処を知り、そして自分の感情が動くことも、誰かに伝えるということも知っていく。
心理学では、男性はもともと、感情を感じずらいと言われている。
傷ついた経験を持ち、男性性(自立)が強い人であれば、尚のこと、
この「感情を感じられない」(感情を感じることを止めているとも言える)という傾向が強くなる。
そして、そんな男性が「感情」の存在を知るのは、
女性と繋がって、女性が感じている感情を感じた時、とも言われている。
大豆田とわ子は、この感情の解放をいとも簡単に、4人もの大人の男性に与えているのだ。
すごい、セクシュアリティエネルギー(生命力)とヒーラー(癒し)の才能。
理論や思考で生きようとする男性に、
少しも怯まずに、優しく深く強い愛(感情)で、生き方を伝えていく、大豆田とわ子。
【8話】では、
自分の生きる意味を見失い、一皿のカレーを食べさせてもらうことを機に、自分の感情ではなく理論・思考で
「社長」という存在に従っていくことを「次の生きる意味」として選んできた小鳥遊大史に、
大豆田とわ子が同じように、一皿のカレーをご馳走することで、彼の心の縛りを解放させるシーンは、
「大豆田とわ子」という女性としての強さに、観ている私も心を動かされた。
愛の大きさが凄いぞ、大豆田とわ子。
そう、気になるところは、その愛の大きさゆえからなのか、
大豆田とわ子が抱える「罪悪感」だ。
彼女は繋がりを持った人たちの人生を、全て背負っている。
ストーリー内では、なぜとわ子が罪悪感を抱えているのかは描かれていない(はずだ)から、明確ではないが、
元夫たちや小鳥遊大史からは愛を受け取らず、
自分が愛を与え続け、さらには人の人生を背負うという(犠牲)行為は、
心理学的に見ると、自分に「罪悪感」を感じている場合が多い。
※「罪悪感」と「愛」の量は比例するという見方があるから、
大豆田とわ子が「愛」の才能の持ち主であることは間違いないのだけれど。
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※「罪悪感」と「愛」の量は比例する
自分の中に罪悪感を作り出す例
◯誰かを傷つけてしまった、壊してしまった
◯誰かを助けられなかった、役に立てなかった
◯誰かが困っているのを知っていて、何もしなかった、見捨ててしまった
など。
罪悪感を作り出す心理的な要因はさまざまで他にもあるが、例にある「誰か」が自分にとって大切な愛する人であればあるほど、その感情は大きくなる。
ゆえに、罪悪感と愛の量は比例すると言える。
また、相手に愛があるからこそ、自分の行いに罪悪感を感じるとも言われている。
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今後の展開で、とわ子のその罪悪感の秘密が描かれるのか、それとも観る側の勝手な想像と妄想と解釈に任せられるのかは、分からないが、
「人生は楽しんでいいに決まってる」と、
大豆田とわ子も自分にそれを許していけるストーリーが描かれることを、期待してしまう。
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こんにちは、心理カウンセラーのスズキチサです。
「私、罪悪感が強いかも」と感じたら、
自分を許して、愛のある人生を選んでください。
ひとりで向き合うことが難しければ、その罪悪感から解放されるお手伝いを、スズキにさせてください。
6月の個人カウンセリングの募集をしております。
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