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海上の道2

 ある日僕らはおばあさんと一緒に伊豆へ旅行にいった。旅行といっても、なにもない見知らぬ海岸とちいさな港町へのドライブだった。急な坂道を降りた場所にあるそのちいさな海岸からは、僕やおばあさん、そしてかつておじいさんが住んでいた静岡市の街並みが、駿河湾をまたいで小さく見えた。

 「漁師の人が見つけてくれた。静岡から入った人は、潮の流れでここへ辿り着くんだって。」 

 母はおばあさんに話すふりをしながら、僕にも聞こえるように少し声を大きくして言った。知っていたよ、と振り向く かわりに、僕は浜辺にしゃがみこみ、妹と一緒にきれいな貝殻あつめに明け暮れた。そしてすこしばかり気の利いたこたえのつもりで、おばあさんにそのなかのひとつ、耳を当てると波の音のきこえる白いまき貝を渡した。おばあさんは嬉しそうにそれを受け取って、それからずっとテレビ台のショーケースのなかにそれを閉まった。おかげで何十年たっても、あまりほこりはかぶらなかった。いつでもそうだ。こうしてまき貝の方から、耳に近づいて来てくれたら、いろんなことがもっとはかどる、と僕は思う。

*

 僕がおじいさんのつくった手製の積み木で楽しく遊んでいた頃、それと同じ年頃、つまりおじいさんがまだちいさな子 供だった頃、もちろん多くのことが今とちがっていたが、それでも同じように手元にある些細なものから、おおきな世界へと遊ぶことが出来た。でも僕がおじいさんの棺にむかって大勢の人の前で話し込んでいた頃、つまり弔辞を読んでいた頃、それと同じ年頃、おじいさんはといえば、もう既に丁稚奉公に出て家具職人をめざしたきびしい生活のなかにいた。もしかしたらかつお節の削り方もそのときあみ出したのかもしれない。親方は怒ってばかりで何も教えてはくれなかった。

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 おじいさんは、午前のうちに自転車で街の病院へ行き、悪くなった腕の定期検診をうけた。彼の腕は、長いあいだ酷使 されつづけて、言うことをきかなくなっていた。もっとも、酒癖のわるいその腕が職人道具以外に振りかざされることも 度々だった。僕の母は、自らの父であるこの凶暴な男をそれゆえ憎んだりもした。その日も、50年以上連れ添った夫婦とは思えぬような些細なことから言い争いははじまり、天気図を前にした地方キャスターの声は、1月にしては嫌に寒い日が来ると告げた。

 おばあさんは、彼をひきとめなかったその家に、いまでもひとりで住んでいる。

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