見出し画像

イノシシの生きていた証①

※この記事では生物に関して生々しい表現が出てきます。苦手な方は今回の記事はご遠慮いただければと存じます。

この記事は複数回に渡って書いていきたいと思っています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー







2021年を振り返ってみると、イノシシを捕獲し、止め刺しをして、解体するということを何度も体験させていただいた年でした。(師匠の罠で捕獲したものがほとんどでした。)

画像1
つい最近自分が捕獲したイノシシです。

※人間の都合でイノシシの命をいただくので、イノシシの可食部位は人間の食用に、人間が食べられない部分はペットフードにしたり、機械を用いて堆肥への転用を試みたり、皮は革製品に転用したり、その命を最大限活用して生かすための取り組みをしています。

私たちの活動の中でも特に辛い場面は、イノシシの命を止める時で、「止め刺し」と言います。

「箱わな」や「括りわな」という「わな」で捕獲をし、一般的に電気止め刺し機、稀に猟銃などを使いイノシシの命を止めます。(最近では「罠ガール」というマンガも出ているので興味のある方は是非ご覧になってみてください。)

ここまで入っているのに、なかなか捕獲できません。イノシシは本当に賢いです。

生きているイノシシのいのちを自分の手で止める。これからも生きていくことができる生物のいのちを奪うことは、できれば誰しもがやりたくないことです。

ただ、獣害対策を行っていく上で、人間都合ではありますが、誰かがやる必要があるとも認識しています。(他にも誰かがやらないといけないことが世の中にはたくさんありますよね。それをやってくださる方がいるから世の中回っているんだと思います。感謝です。)

免許をもっていてイノシシの捕獲までは多くの人ができるのですが、止め刺しをしっかりとやり切れる人が少ないのが今の現状です。
それぐらい大変で、辛い工程なので皆敬遠しがちになります。

農家さんを獣害から守ったり、住民の方々を守る上で重要な意味を持つ止め刺し。慣れない行為の中で気づいたことを書いていきたいと思います。

イノシシのいのちを奪うことにポジティブな感情は一つもありません。自分は趣味で狩猟を行うことはしたくないと思っています。
ざっくり言うと、狩猟は趣味で、駆除は農家さんや住民を守るために、増えすぎて里に降りてきてしまう個体を減らしていくことに重点を置いています。

イノシシを止め刺しするときに電気止め刺し機を主に用いるのですが、電気を流してイノシシを絶命させます。その屠体を箱わなから出すのですが、その時、イノシシの温度を感じます。この温度というのがイノシシが生きていた証の一つとして強烈にのしかかってきます。

つい数秒前まで生きていたので当たり前なのですが、自分がイノシシのいのちを止めた実感が沸々と湧いてきます。この工程は何度経験しても慣れません。(慣れたくないなとも思っています。)

また、美味しくいただくために、放血という工程が必要になります。血を体外に出すのですが、この瞬間も生命の命を止めてしまった実感が湧いてきます。イノシシの生きていた証をここでも目の当たりにします。

自分が直接被害を受けた訳ではないのにも関わらず、目の前のイノシシのいのちの営みを電気を使って止めるというのは本当に辛いものがあります。

自分が被害を受けていたら、少し楽になるかもしれません。

イノシシからしたら「私があなたに何かしましたか?」と考えていると思います。

事実イノシシは私に何もしていません。でも逃すわけにはいかないので止めます。逃したら2度と罠にかかりません。矛盾だらけであり、動物愛護の観点からみたら非難されるかもしれません。

イノシシとヒト、どちらも同じ生物であり、尊い命であることに間違いありません。

ではなぜイノシシの命を奪うのか。自分なりに考えてきてはいるのですが、多くの人が納得できるような答えはまだ持てていません。この先も考え続けていこうと思っています。

最終的にはイノシシとヒトが棲み分けをして共存共栄できる世の中が理想なのですが、その実現をしていく過程で、崩れている生態系バランスを少しでも元に戻していくことはお互いが棲み分けしていくためにも必要になると考えています。

どれだけそれらしいことを言っても今は、自分がヒトであり、同じ生物種の農家さんを助けたいというところに行き着いてしまいます・・・。

今後は農家さんを守る活動をしつつ、自然と野生動物とヒトが共存していく方策を見つけていきたいと考えています。

もののけ姫のアシタカの言うことが農家ハンターの活動をしていく上で以前よりも深く理解することができるようになりました。

映画「もののけ姫」のアシタカのセリフにこのようなものがあります。


「森と人が争わずに済む道はないのか、本当にもう止められないのか」
「森とタタラ場、双方生きる道はないのか」

(モロとの掛け合いで)
「お前にさんが救えるか」→「分からぬ‥‥。だが、共に生きることはできる。」
「サンは森で、私はタタラ場で暮らそう。共に生きよう。会いにいくよ。ヤックルに乗って。」

アシタカでさえまだ答えが分からないので、私の答えは一生でないかもしれません。

イノシシとのいのちのやりとりを経て、私にできることは頂いた「いのち」をできるだけ活用すること(いのちを繋いでいくことに活用すること、人の役に立つようなものにすること)、できるだけ多くのことを学び取ること、そしてこの経験から得られた経験を他の人に伝えていくことだと感じています。

(そのような経緯でこの記事を書かせていただいています。)

イノシシを止め刺しする時に、この個体にも親がいること、このまま生きていれば子孫を残すこともできたかもしれない、そんなことを考えます。

でも里に降りてきたイノシシがもたらす農家さんへの被害や自動車との接触、人との遭遇や事故を減らすためには必要であるとも感じます。(人馴れしているイノシシばかりであれば話は変わってきますが、そうでないイノシシが多いのが現状です)

年々獣害被害というものは全国的に広がっており、被害額も増えてきています。獣害を受けて廃業する方、収入が激減する方も多くなっている現状があります。

自分の祖母が農家だったこともあり、もし祖母が一生懸命育てた作物が収穫直前に被害に遭ったら…と考えるととても悲しくなるのですが、そのような被害が全国各地で現実に起こってしまっています。

他にも、このイノシシが食べてきた植物のいのち、虫のいのち(虫が食べてきた植物のいのち)、植物を成長させてくれた太陽光のエネルギーなど自分が作り出すことのできない豊かな自然なしでは有難い事象がたくさん広がって繋がっていることに想いを巡らせるようになりました。

改めてヒトの生命は様々な動物の命の犠牲の上に成り立っていることを感じるようになったのも、これがきっかけだと思います。

イノシシがたくさんのことを教えてくれました。自分が学ばせていただいたこともイノシシの生きていた証ですね。本当に感謝です。

長くなってしまったので、今回はこの辺で終わりたいと思います。
読んでくださった皆様ありがとうございます。次回も宜しくお願いします。

次回は電気止めさし機でいのちを止めたイノシシがお肉になっていく過程をお話ししたいと思います。


この記事が参加している募集

#最近の学び

182,163件

#SDGsへの向き合い方

14,785件

サポートしていただけたら、実験用具を買うか、実験用の薬品を買うかまだ決めていませんが、生徒さんたちと授業のために使いたいと考えています。