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最初で最後の卒業式【適応障害の初任教師】

R6.3.19
今日は卒業式でした。
私は新卒で小学校の先生になり、最初で最後の卒業式を迎えました。
あと1週間すれば、退職です。

今日という日を忘れないために、ここに気持ちを書き留めておきますね。

適応障害になり、合計で約半年学校を休み、1年で教員を辞める私の備忘録です。

同じ状況や気持ちの方に、何か伝わるものがあれば嬉しいです。

 


休職後、初の出勤が卒業式


12月から病気休暇をもらい、今日まで約3ヶ月、お仕事をお休みしていました。
そして今日、久々の学校へ。卒業式に臨みました。

実家が愛知で、勤務先は北海道。
休職中は実家で休み、先週北海道に戻ってきました。

私は年度始めに6年生の特別支援学級の担任をしていました。
6月からは担任を降り、ほかの先生にバトンタッチをしました。

だから、1年目にして自分がもった子たちの卒業式に参列することができ、とても贅沢で貴重な経験をさせてもらえました。

とてもとても感慨深いです。感謝しかありません。


式の最中に感じていたこと

あ、卒業生が入場してきた。先生…。みんな…。
きりっとした顔だな、緊張からの照れ笑いしてる、なんか背丈も見ないうちに伸びてない?大きくなったんだな。

自分のすぐ目の前を通る卒業生の前で、入場の音楽も相まり、すでに目が潤んでいました。

そして卒業証書授与。
ひとりひとり名前を呼ばれて、壇上をあがり、丁寧に証書を受け取って、礼をしながら歩いていく。

彼らは卒業して新たな世界に羽ばたいていくんだ。
私もだ。
私も彼らと一緒に卒業して、新たな世界に羽ばたいていくんだ。

大好きな卒業生と自分を重ね合わせて、胸が苦しくなった。

涙は流すまいと決めていた。
涙の代わりに胸が熱く、苦しく、胸いっぱいの気持ちで式を終えた。

そして6年生の教室を少し覗き(涙流れそうだから教室に行くと決めるまで時間がかかった)、会場の片付けをした後、5年生と教職員で紙ふぶきを飛ばして最後に6年生を送ることを知った。

よし、全力で紙を投げておめでとうと言おう。
よっしゃこい!と覚悟を決めた。

でも待機中に溢れ出そうな涙がついに出てしまった。

あぁ、本当に、今まで本当に苦しかった。
前に進めない自分がもどかしかった。
でも、そんな中私は人生の目標を決めた。

時間や場所にとらわれずに、大好きと思える時間を大切にできるような仕事との関わり方をしようと決めた。  

数少ない大切な人たちと一緒に過ごし、仕事では人間関係を最小限に留めて、穏やかで静かな暮らしをしたい。

大好きな旅を続けるために、どこにいても仕事ができるような環境に身を置きたい。

 決死の覚悟で北海道で教員となり、それ以上の覚悟を持って教員を辞めると決めた。

北海道が何よりも大好きだから、北海道を離れる決断は何よりも苦しく残酷で悲しい。

でも、自分で新たな道に進むと決めたんだ。

そんな思いが溢れだし、涙とともに、泣き笑顔で全力で紙ふぶきを投げ飛ばした。

最後に6年生の先生方が通り、私の担任を代わってくれた先生が飛びつくように私に声をかけてくれた。一気に泣いた。

式後、大好きな先生とハグしながら号泣

私は初任者だったので、そのサポートの位置として再任用の先生がついてくれた。
一番大好きな先生。式が終わって職員室前で目を合わせた途端もう涙を堪えることができなかった。

「ありがとうございます、本当に感謝しています」

「よく頑張った、大丈夫まだまだ若いんだから。いろいろな思いでほかの先生も働いて、きっと辞めたくても辞められない先生もいる中で辞める決断ができたのは凄いことだよ」

ハグしながら声を上げて泣いてしまった。

この先生も今年で退職だ。
新たなやりたいことができたらしい。だから辞めると言っていた。

じゃあ、私と一緒だ。
類は友を呼ぶってやつだからねって言ってくれて嬉しかった。

私は先生にWebマーケティングを学んでWebマーケターになろうと決めたと伝えた。
リモートワークがしたくて、時間や場所にとらわれない働き方、生き方がしたいですと伝えた。

いいじゃん!向いてそうだねと言ってくれた。

そして名古屋にも遊びに行くよ、5月のこの期間東京に行くんだ、だから会おうよとも言ってくれた。

本当に本当に嬉しかった。
私も北海道に行くとき、絶対お会いしたいですと伝えた。

先生と一緒に退職できるなら、私はとても心強いです、とも伝えられた。

3日後に離任式が待っている。
また涙が止まらない日になりそうだけれど、先生がいてくれるなら安心して壇上に上がって最後のあいさつができそうです。

本当に、ありがとうございます。

6年学年団の先生への感謝

私の涙が止まらずにこうして先生とお話してる間にほかの先生方が職員室で卒業式おつかれさまでしたのあいさつをしていたらしい。

涙が少し収まったタイミングで職員室に戻ったら、6年生の先生方が駆け寄ってきてくれた。

卒業式に出られてよかったね、お疲れ様でした、元気にしてた?

とにかく本当にお世話になった6年団の先生を前にした途端に再び涙が復活。
号泣しながらひたすらありがとうございました、とても素敵な式でした、と言葉を重ねるだけだった。

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私はこの1年でやりたいことや叶えたい目標のために大きな決断をし、行動する力があると知った。

きっと誰でもできることじゃない、自分の強みなんだと思う。

人一倍泣き虫で決断の度に心が揺れ動くけれど、それも私らしさなのかなと思う日々でした。

適応障害という心の病気になりながらも生きる希望を捨てず、明るい未来を思い描き、それに向けて具体的な行動に移すことができる。

えらいじゃん、私。

きっとまた辛いことやこれ以上しんどい出来事もあるかもしれない。

でもこの1年の経験があったから乗り越えられたと思える日だって来るかもしれない。

この1年は一生忘れることのない、大切な大切な宝物です。

すごく「生きている」という実感を持てた1年でした。

まだまだこれから。だってまだ20代も前半。

人生は長い。とことん長い人生を楽しんでいこうじゃないか。

辛いことも悲しいことも嬉しいことも全部胸に抱えて、今を大切にしながら前に進んでいきます。


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☆3日後の離任式での気持ちもまとめてみました☆


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