涙と感謝の離任式【適応障害の初任教師】
昨日、私の勤務する小学校で離任式でした。
私は今年で教員を退職します。
新卒で教員となり、1年での退職です。
適応障害になったことをきっかけに、もっと自分に正直に生きてみようと思って、退職を決意しました。
正直、この日はすごくすごく無理をしてしまいました。
病み上がりの心では溢れ出る感情をコントロールできなかったです。
先生方の前で何度も涙を流しました。
さすがに泣き虫の私でも人前で泣きすぎ。
自分でもそう思いました。
あいつどんだけ泣くのよ…って面倒がられてないかなとちょっと心配になりました。
でも、それだけ素を見せられるくらい素敵な方たちばかりな職場であると心から痛感しました。
本当、この職場を捨てるのはもったいない。
こう思っているのは私だけじゃない。
同じ職場でこう思っている人たちばかり。
でもだからといって、捨てるのが惜しくて教員を続けるというのも、それは違う。
もう決めたんです。
この日も卒業式と同様、忘れられない人生の大切な1ページになりました。
この気持ちをまた、ここで記そうと思います。
(気持ちが募りすぎてすごく長い記事になってしまいました…!所々読みにくいかも…!気軽にお付き合い頂けたら嬉しいです)
☆前回の卒業式の記事はこちらです。たくさんのスキをありがとう☆
子どもたちへ離任の言葉
まずは修了式から。
式が終わるにつれて私の心臓のドクドクもピークに。
あぁ…やばい心臓壊れそう。
そんな極限状態で壇上を上がりました。
児童からの花束贈呈は、かつて私が担任をしていたときの6年生の子でした。
たとたどしく緊張の面持ちで渡してくれて、何だか心がほっこりと温かくなりました。
離任式のあいさつでは、こんなことを明るく元気に話せました。
うまく伝えられたな、と思えたあいさつでした。
ほかの先生からも良かったよ!と言ってくれたのですごく嬉しかったです。
そのあと、ステージの中央に離任する先生方の花道を作り、音楽とともに子どもたちに見送られながらの退場でした。
心から笑顔になれました。
ありがとう、ただそれだけです。
お手紙のプレゼント、子どもたちとの別れ
特に仲のいい4年生の女の子が2人います。
その子たちからお手紙をもらいました。
嬉しくてありがとー!と軽く抱きしめてしまいました。
そのまま4年生のクラスへ。
この2人とは休み時間に「ジェスチャーゲーム」をするのが恒例でした。
昨日の夜ご飯や今日の朝ごはんは何なのかジェスチャーして、それを当ててもらうクイズです。
4年生の教室の前の廊下で私もジェスチャーしてたので、わらわらと子どもたちが集まってきます。
この時のお題は私の今日の朝ごはん。
卵かけ納豆ご飯でした。
ベットから起きて、ご飯を茶碗によそって、冷蔵庫から納豆と卵を取り出して…とひとつひとつジェスチャーするたびに元気な声が飛び交っていました。
こういう純粋に子どもたちと心から通じ合える時間が何よりも愛おしく、大好きな時間でした。
いつも子どもたちが私を笑顔にしてくれました。
多少辛くたって、やっぱりかわいい子どもたちは教員という仕事を頑張るエネルギーになると心から感じた瞬間でした。
最後は玄関で靴を履いて帰るだけ。
2人の女の子が私の手を繋いだままで一向に帰ろうとしません。
別れが惜しいのは私も一緒でした。
私は何度だって北海道に遊びに行くから。
まずは5月に遊びに行くから。
そう伝えたら、私も5月に札幌でバトンの発表をすると笑顔で話していました。
そっかぁ、練習がんばってね。
私もこれから頑張るから、一緒にがんばろうね。
うん!と強く頷いてくれて、私の手を離して帰っていきました。
姿が見えなくなるまで、お互い手を振り続けました。
ありがとう。大好きだよ。
言葉が出ない職員室離任式
離任式の職員室版です。
先生方に感謝の気持ちを伝える場面です。
ただ、もう子どもたちへのあいさつで私の気力と体力はなくなっていました。
ヘトヘトです。
震え声でポツポツとしか話せませんでした。
お休みをもらったことでたくさんの方にご迷惑や心配をかけたこと、本当に申し訳ないです。
次の道も決めました。
新たな環境で前に進んでいきます。
こんなことを伝えた。
神妙な面持ちで先生方は話をきいてくれました。
どれだけ感謝の気持ちを伝えても、どれだけ言葉を尽くしても伝えきれない思いで、目が潤んでいました。
ドキドキな送別会
学校の近くの居酒屋でお別れ会をしました。
まずもって、私はお酒がまったく飲めないので「居酒屋」という場所に馴染みがありません。
みんなお酒を飲んでわーわー楽しそうにしている…。
私も周りに座っている先生とたわいもない話で盛り上がりました。
すっごく楽しかったです。
でも、どこかで無理をしていて胸がキュッと苦しくなっていました。
順番にまた離任する先生からみなさんの前であいさつをすることになりました。
私は1番最後で、何話そう、緊張するな、どうしたらこの感謝を伝えられるだろうか…と胸がドキドキずっとうるさかったです。
前で話す先生方の話を聞いて泣きそうになったり、先生方からのメッセージが書かれた色紙をもらっていて私ももらうのかな…と期待と緊張と不安で体は強ばっていました。
本当にこの場所から離れちゃうんだな。
本当に教員という仕事を辞めちゃうんだな。
悲しいな、寂しいな、辛いな、もっとここにいたいな。
やばい、泣きそう。
また挨拶の言葉が出ない…涙のあいさつ
みんなの前に立つ番が回ってきました。
プルプル震えながら立つ私を見て「がんばって」と温かな声援をもらいました。
もうすでにその温かさに泣きそうでした。
12月から再び体調を崩し、地元で3ヶ月間療養したときの話、
家族がいるのってきっと普通じゃないから、いつもありがとうと伝えた話、
ずっと次の仕事何にしようと考えてた話、
その間にコロナにかかってしまい大変だった話、
でもそのコロナの期間で急に降ってきたように次の仕事これにしようと決められた話、
大学生のときに北海道をバイク旅したときに出会った方から素敵な言葉を頂けた話、
(それは「やりたいな、行きたいなと思ったら実際に行動しちゃえばいいんですよ」という言葉です)
私は「働く時間や場所を自由に」という夢を達成するために、リモートワークをしたいと伝えた話、
IT業界のWebマーケターという仕事を目指すと伝えた話、
上手くまとめられず、聞きにくかったであろうこんな話を静かに聞いてくれました。
本当にありがとうございました、と最後に伝えました。
ここで涙が溢れ出て制御できなくなってしまいました。
そして、同期の男の子からメッセージの色紙をもらいました。
正直な気持ちで、本当のところはもっと一緒に仕事がしたかった、同級生の存在は大きかったと言ってくれました。
まったく同感すぎて、同じように思っていてくれたことが嬉しくて、それなのにこの場から離れようとする自分にただ悲しくて、涙が溢れて止まりませんでした。
もう待って無理だって。
本当に、本当にありがとう。
止まらない涙。どうしよう、ねぇ聞いて?
もう限界でした。
一旦この涙を冷やそうと思って1人で誰にも言わず外に出ました。
きれいな北海道の冬空を見ながら声を上げて泣きました。
一体、なんの涙なんだろう。
北海道という大好きな場所を離れる寂しさ?
ここで出会えた素敵な先生方や子どもたちと離れる寂しさ?
新たな環境に踏み出すのが怖くて不安?
たびたび先生方に迷惑をかけた申し訳なさ?
わからない。
とにかくもう、全部いろいろだ。
例えるならば、大好きで愛しているのに離れなければならない運命に見舞われた、みたいな。
そんなドラマティックかな?
やっぱわかんないや。
だから、涙が止まらない。
送別会はもう終わる。
帰るにも帰れない。1人になりたくない。
ねぇ、誰か、そばにいて?
誰か話を聞いて?
そんなわけで二次会に行こうとしていた同期の彼を捕まえて冬空のもと話を聞いてもらうことにしました。
といっても何も言葉は出ません。
泣くことしかできませんでした。
私とは何もかも違う考え方もった彼。
いろいろ適当だし、目立ちたがり屋で、雑だし、変なやつだと思いました。
そのくせに話は最後まで聞いてくれる優しさがありました。
やっぱり同期という存在は大きかったのでしょう、本音を話せる大切な友達です。
私は彼を通じてネガティブに深刻に考えすぎてたと何度も思わされました
だから、とても救われました。
そして立派に私は情緒不安定になったので、この思いをカラオケで発散したいと思い、一緒に二次会に参加することにしました。
二次会のカラオケ、いろいろ限界です
思えばこういう「二次会」というものも人生初めての経験でした。
飲み屋のカラオケも初めてでした。
夜の飲み屋街、酔いのまわった楽しげでフワフワしたノリは私を圧倒させるのに十分でした。
わぁ…なんかすごいことしてるかも、私。
こんな経験も、ありかも。
知らない世界に来てしまったような、いけないことをしてしまったような、不思議な高揚感がありました。
とりあえずカラオケ自体は好きなので、一曲私も歌いました。
フー!と合いの手を入れられるのも案外楽しいなと思いました。
聞いているのもすごく楽しかったです。
(先生含め、声を出す仕事をしてる人ってなぜか歌上手くない?)
そして少し手持ち無沙汰になった頃、もらった色紙を開封してメッセージを読んでみました。
私の体調を気遣う声や、大丈夫だよという声、私のこれからを応援する声がたくさん書かれていて、再び涙が舞い戻ってきました。
楽しげな声を背景に1人で泣くのはもう勘弁だな。
よし、帰ろう。
22時、どんどん場が温まる中で私は先に帰りました。
軽く、最後のあいさつをしました。
手元にあったマイクをとって、最後のありがとうございましたを伝えました。
辛いこともちゃんと過去になる
帰ってきてから私はこう思いました。
辛いこともちゃんと過去になると。
今日はとんでもなく感情が錯乱してました。
いろいろ感情が交差していたけれど、1番心に重くのしかかるのは「辛い」という気持ちでした。
この1年はとにかく辛かった。
でも、年度始めに抱いていた辛さや適応障害なりたての辛さは、すでに薄れていることに気づきました。
1年近くかけてやっとその辛さを受け入れられてきたのかもしれません。
どこかですでに「過去の話」になっている。
それなら、今日の「辛さ」だってきっと「過去」になる。
1年後の今日はきっと、この辛さを過去に変えて、また一歩強くなっているんだろう。
こんなにも辛さを味わうくらいなら、楽な方へいけばいいじゃないか。
そう言う大人もたくさんいる。
確かに楽だけど、なぜか私は茨の道を選んで自分で「辛い」道を進んでいる。
きっと辛さを乗り越えた先には、かけがえのない宝物が手に入るって、どこかで私は思っているのかもしれない。
それは何よりも自分の人生と真剣に向き合っている証だし、人生を諦めない強さでもあると信じてる。
私の大切な人たちは、私のことを時に「強いひと」だと言ってくれることがある。
私はとても泣き虫で、へなちょこで、ストレス耐性もない弱いやつだとずっと思ってた。
今日という日を通して、私は少し強くなれたのかもしれない。
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