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求ム!アイロン請負人

白状すると、
アイロンをかけるのが苦手なのだ。
木綿の白いシャツにアイロンをかける。
蒸気を当てながら、慎重にシワを伸ばしていく。
襟、袖、カフス、肩ヨーク。
順調だ。
次第に前身頃や後ろ身頃などの
大きな部分に取り掛かる。
広いからといって気安くかけていると、
やってしまう失敗がある。
背中のプリーツのあたりを
気分良くすいすい進んでいたはずが、
どういうわけかシャツは急にヨレて、
折じわをわざわざ作ったかのように
プレスしてしまう。
くっきりとした新しいシワ。
慌ててその部分に
霧吹きで盛大に水をかけて湿らし、
何度もアイロンを往復させるのだが
後の祭り。
出来てしまった几帳面な折じわは
消えないのだった。
もう一度洗濯しないと
このシワはとれないのだろう。


矢野顕子さんの楽曲に
《そこのアイロンに告ぐ》
というものがある。
聴いていただくとすぐにわかると思うのだけれど、
物凄い曲なのだ。
アイロンかけのちょっとした緊張感を
連想させるメロディ。
私がアイロンをかける時には
頭の中では大抵、この曲が鳴っている。
そして折ジワを作る。
どうしてだ。

「そこのアイロンに告ぐ」歌詞
歌:矢野顕子
作詞:矢野 顕子
作曲:矢野 顕子
そこのアイロンに告ぐ ただちに熱くなれ
他のなにも考えず なにも要求されず
そこのアイロンに告ぐ 密かに熱くなるべし
涙も汗もあとかたもなく 今すぐ ただひたすらに

200万人分の赤ん坊のおしめを喜んで乾かす
地球を等しく覆う布のしわを伸ばして

そこのアイロンに告ぐ ただちに光はなて
他の光によらず 自ら輝いて
そこのアイロンに告ぐ ただちに熱くなれ
何も言わず誰にも見られず 今すぐ ただひたすらに さらに


アイロンかけはおそらく、
精神を集中するのには良い作業かもしれない。
別のことを考えながらやると、
ヨレてしまうのだろうから。
苦手だからこそ、
邪心を持たず心を平静にして挑む。
まるで修行のようだな。

クリーニングに出すという方法もあるが、
普段使いのシャツならやはり家でアイロンを、
と考える。

ああ。
私のシャツやブラウスに
気軽にアイロンをかけてくれる
《アイロン請負人》がいてほしい。
アイロンかけに悩んだ時には
洗濯物を三回、ばさばさと振り回す。
するとどこからともなく
アイロン請負人はmyアイロンを携えて現れ、
風のように、ひゅうさらり、と
手際良くアイロンをかけてゆく。
アイロン請負人が去った後には、
パリッとしたヨレひとつない衣服たちと、
蒸気の残り香が漂うばかり。
何かお礼を、と声をかけても、
振り返る背中越しに

「礼ならいらないよ。
俺がアイロンをかけるのは、
そこにシワだらけの洗濯物があるからだ。
アイロンかけに困った時には
また俺を呼べばいいさ。」

と言葉を残し、
次のアイロンかけの現場へ向かう。

カッコいい。
惚れてしまいそうだ。

こんな妄想をしてしまうほどに、
なんとかアイロンを回避する方法はないかと
考えている不埒な私。

(本当のことを言うと私の持ち服は、
アイロンをかけなくてもいいようなカットソーや、ポリエステル生地のブラウスがほとんどなのだった。パンツやスカートもノープレスのものが多い。
でもまったくアイロンの要らないものばかり着て
生きていくことはできない。装うとはそういうものだろうと思う)

アイロン請負人が
秋風とともに私の家に訪れはしないかと、
期待しながら窓の外を見る。
どんなに目を凝らしても
そこには傾きかけた
やわらかな黄金色の日差しがあるばかりで、
アイロン請負人の姿は、影もかたちもない。
仕方なく心を決めて、
アイロンかけに取り掛かるとするか。
ふぅ。


文章を書いて生きていきたい。 ✳︎ 紙媒体の本を創りたい。という目標があります。