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ココアと神様の王国

神様はベッドの中。
遠い洞穴から吹いてくる風みたいな、
深い寝息を立てている。
今、夢のどのあたりを歩いているのか、
時々しかめっ面をする。 

私の神様はわがままだ。
昨日の真夜中のこと、神様は前ぶれもなく
突然やって来た。
冬の雨にずぶずぶに濡れて、
その巻き毛のひとつひとつから
冷たい雫をぽたぽたと垂らして
神様は震えていた。
私は急いで浴室からバスタオルを取ってくると
いわゆる『雨の日に捨てられた仔犬』状態の
神様の頭を手荒く拭いた。
雨水を含みぐっしょりと重いコートを脱がせ、
ファンヒーターの前に座らせた。

私に頭をごしごし拭かれている間、
神様はうっすらと目を開けて
私をじっと見て言った。
「ココア。」
「なに?」
「あったかいココアがどうしても飲みたい。
それでここまで来たんだ。」

たしかに私のココアは特別。
レシピは教えられないけれど、ほんのわずか
湯気の中にオレンジの香りがたつのだ。
「わかった。
とびっきりのココアを淹れるから。
待ってて。」
私が台所でココアを作り、
カップを持って部屋に戻ると、
神様は私のベッドにもぐりこみ
眠っていた。 

神様は、絵を描く。
絵は人々に愛されるけれど、
神様の「ほんとう」を愛するのは
私だけだ。
深い森の奥で、隠れながら恐れながら
ひとり遊びする子供の心。
人々には見えないその子供が、
森の中でこっそりと絵を描き続けている。
私はその子供を愛した。
でも神様が私を愛しているかは、わからない。
なにしろ神様は、気まぐれ。
私のような「にんげん」には
神様の気持ちまでは知ることはできないのだ。 


太陽が昇る。
朝のひかりが神様の睫毛をくすぐる。
神様は少しむずがって、ようやく目を覚ます。
それをたしかめてから、
私は再びココアを淹れる。
そうして甘いだけじゃない湯気の立つ
カップを差し出すと、
神様は二度、ふうふうと息を吹きかけて
ココアを飲む。猫舌。あつつ。

「おいしい。おいしいな、まゆさん」

神様が笑った。笑って私の名前を口にする。
少しオレンジの香りのする、
ココアっぽい息で。私の名前を。

その瞬間、
私の部屋はいつものつまらない場所なんかじゃ
なくなっている。
いつものカーテン、本棚、マグカップ。
なんてことない木のベッド。
それらが明るい春の王国の調度品となり、
色を持つ。
朝陽の中で、眩しく輝くふたりきりの王国。
邪魔する人も、怖い人もいない。
この王国の中で、
私の淹れた秘密のココアを飲みながら、
ふたり、刹那だけど永遠みたいな
朝の時間の中をただよっている。



文章を書いて生きていきたい。 ✳︎ 紙媒体の本を創りたい。という目標があります。