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緑のいる暮らし。

植物が自分のそばで育ってゆくのを
眺めているのは楽しい。
昨日まで何もなかった土の上に、
ある日とつぜん
黄緑色の芽が顔を出す。
いかにも真新しいすべすべした葉と、
うぶ毛の生えた茎。
双葉の上に
茶色い種殻の帽子を乗せていたりすると、
愛おしくて思わず声をかけてしまう。



ほんの小さな種は宇宙。
1ミリしかないような堅い種の中に、
秘密を抱えている。
種よりも何倍もぐんぐん育って、
時には見上げるほど大きくなる。
そんな魔法の葉や花を、
いったいどこに隠し持っているのだろう。

種から育てたものだけでなく、
野菜の切れ端から出てきた葉だって
たまらなく愛おしい。
捨てるはずだったにんじんの頭の部分を、
水を張った平皿に入れておくといい。
ある日繊細な葉が伸びてきて、
台所に立つ喜びに加わることになる。


切ってもまた芽を出す豆苗も好きだ。
朝の出勤前。
彼らは出窓を背にして、
部屋の明かりのある方へ揃って頭を向けていた。
ところが夕方に帰宅してみると、
彼らはみんなで窓の外の
夕陽を眺めているのだった。
朝よりも確実に背が伸びている。
そして申し訳ないけれど、
美味しくいただく。
ありがとうの気持ちで。




植物は
じっとして動かないわけではない。
部屋の中にいても
光のある方に顔を向けたり、
腕を伸ばして蔓の巻きつく先を探したり、
花を開いたり閉じたりして
ちゃんと活動しているのだ。
ひょっとしたら、
私のひとりごとを聞いているのかもしれない。


悲しい時、
薄暗い部屋に入って
明るい花がひとつぱっと咲いていたりすると、
私はうれしい。
心を照らす明りが灯っているかのよう。
それは彼らの優しさなのかもしれない。
だから私も優しい言葉を、
水とともにシャワーのように
彼らにかけてあげたいと思う。






卵の殻でできた鉢の中にいた
小さな小さなポトスは、
十年以上前
近所のフリーマーケットの片隅で
十円の札がつけられていた。
とても頼りなげな姿だったけれど、
なんだか気になって買って帰ったのだった。
それが今やどうだろう。
自由奔放に、好きなように伸びている!
茎を何度も切り戻し、
それを挿し芽にして株を増やし、
部屋は緑で満たされている。
育つ環境がポトスの好みだったのだろう。
立派な同居人となり、
私の暮らしを見守ってくれているのだ。

植物の言葉が話せたら、
どんなにかいいだろう。
彼らには彼らにしかわからない言葉を使って、
仲間同士、内緒話をしているのだと思う。
そう想像して鉢植えの葉を見つめると、
何やら不思議な気持ちになってくる。


そこにはたしかに、
息をして生きているものの
気配がある。
私たちは木や草を
ただそこにあるだけのものと
思ってしまいがちだけれど、
本当は意思や感情を持った存在だとしたら。

そんな気持ちで
植物と向き合ってみる
秋のはじまりの日。




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