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魔法を教えてくれてありがとう1

今まで出来たことが、少しずつ出来なくなっていく。決して回復することもなく、確実に進んでいくもの。酸素を吸って二酸化炭素を吐き出す身体なら、それは宿命だ。  

近頃は
実家に帰省するたびに
両親がコビト化しているのだった。
あれ、何ヶ月か前に会った時より
さらに小さくなっている?
コビトが二人、
広い庭で雑草取りをしていた。  

腰の曲がった草の妖精コビト(母のことだ)が、
皺だらけの手で
お煎餅やら蜜柑やらを、
台所と部屋を何回も往復して
運んでくる。
いいよいいよ、私がやるから。座っていてよ。
そう言っても
草の妖精は、
私の顔を見て何やらニコやかに
嬉しそうにしている。

今回は、草の妖精(母)のことを書く。
母は私に似た感性を持っている。
いや、私が母に、似ているのだろう。  

思い出すのは、浅い春の季節。
霜柱が溶けてぬかるんだ畑道を、
幼い私は母と買い物に出かけた。
太陽の光は柔らかくて、
遠い空では
姿の見えない雲雀が鳴いている。
風も友だちだった。
母は暖かくなり始めた日差しのせいで
気分が良かったのか、
歌を歌いだした。
周りには母と私以外、誰もいない。
誰の目も気にすることなく
私たちは畑の真ん中で
大きな声で春の歌を歌った。  

雲雀の子
雀の子
飛びながら何を見た
ほーよほよよ
ほーよほよよ
春がよんでるよ

あの土手に
寝転んで
お弁当たべたいな
ほーよほよよ
ほーよほよよ
春はすてきだよ

(『春がよんでるよ』小林幹治 作詞
ポーランド民謡)  

のどかな歌詞だけれど、
メロディラインは暗い。
この不思議な感触の歌は、
今でも私の中で一番の春の歌だ。
その光景は、
私の人生で最も幸せな時間の象徴として
心に刻まれている。

鮮やかな夕焼けを見た驚き
皆既月食の紅い月
五月雨の退屈な午後
紅葉が音を立てる道
雪だるま作りに夢中で
手がしもやけになった冬。
子供の日の私は、
母のおおらかさに見守られ
何も心配することもなく、
世界は愛に満ちていると
信じていた。
自然と友だちになる魔法を教えてくれたのは
母だった。

寝る前には
即興で作ったお話を
私が寝つくまで語ってくれた。
それがとても面白くて、
眠るどころか
次の展開が待ち遠しくて
目が冴えてしまったものだ。  

⁂  

だんだんと体がいうことを聞かなくなり、
物忘れが増えることで
母は落ち込むようになった。
あの世から
いつお迎えが来てもいいように、
と言いながら、
押し入れや物置の整理を始めた。
要らない物を捨ててしまうと、
残された物は本当にわずか。
がらんとした部屋を見て母は
「ああ、死んでいくんだなって思ったら、
悲しくなってきちゃった」
と言って涙を流した。
私は内心ひどく動揺して、
荷物の整理なんてやめなよ、
そんなの後でどうにでもなるんだからさ、
という訳の分からない慰め方をしながら
背中をさすった。
その背中のあまりの小ささに
私は怯んだ。
やがてこの人が何処へ行くのかが
想像出来てしまって
怖かった。    

この人の手が私を抱き上げ
この人の手が作ったご飯を食べ
この人の声で励まされて
私は生きてきたのだ。
母はずっとフルで働いていたので、
反発できるほど
いつも近くにいてはくれなかった。
母がフルで働くのには
金銭的な理由の他に、
同居していた姑の厳しさから
逃れるためでもあったのだと
だいぶあとになってから知った。
幼い私は
もっと母にそばにいて欲しかったけれど、
働くことで母がストレスから
逃れていられたのならば、
それでよかったのだと思う。
今なら本当に、それで良かったなと思える。
寂しかったし
話を聞いてほしかったし
人に言えない深刻な悩みに
気づいて欲しかった
けれど。

母の母親は
ある日、行方不明になった。
いくら待っても
何日待っても
母親が帰ってくることはなかった。
母の父親は早くに死んでいたので、
母と姉と兄弟たちは
突然いなくなった母親を想い
途方に暮れた。
湖の近くで見かけた、という人がいた。
身投げでもしたのだろうか。
真相はわからない。
死んだ確証もなく
生きている保証もなく
そのつかみどころのない不在は
埋まらない穴を
心に穿った。
私の母は
ずっと心に穴を抱えたまま
生きてきた人だった。



いづれ
そう遠くはない日に
お別れはやって来るのだろう。
年齢を考えても、
それは容易に察しがつく。
人は必ず老いる。
そして誰もが死んでゆく。
当たり前のことだ。
例外は、ない。

受け取ったものの多さに見合うほどには
私は母にまだまだ返せていないから
それはずっと先のことであるふりをしたいのに。  

母さん。
庭にあるあの紫陽花の
枯れかけた古い株から
緑色の新しい芽が出ていたよ。
赤ん坊が握りこぶしを開くように
柔らかな葉を広げたよ。
今年もきっと咲く。
あの紫陽花は
きっと咲くから。

⁂  

父の話は
全く別の意味合いを持つ。

それはまた今度、記すことにする。








文章を書いて生きていきたい。 ✳︎ 紙媒体の本を創りたい。という目標があります。