どうか、末永く、お幸せに。
結婚を控えた貴方に捧げます。
職場の同僚が、今年の三月を以て退職する。
その知らせは青天の霹靂だった。
「えッ!!何処かに転職するんですか?」
「ううん。彼女は寿退社だから。」
私は、彼女になりたかった。
私にないものを沢山持っていた。
サンリオモチーフやゆるキャラのグッズを持っていても嫌味にならない穏やかな可愛さ。
ジルスチュアートが大好きで、可愛いお花のリップや、パウダーブルーのハンカチがとってもよく似合っていた。
ふんわり天然系だけど、女子から不思議と嫌われることはなく、「あの子、本当に可愛いよね」と評される天性のバランス感覚があった。
彼氏がいるけど、職場で自慢話をすることは終ぞなかった。
何年かの交際期間を経て、結婚する時にやっと上司に報告した。
おっとりしているようにも見えて、本当は芯が強く、一度注意されたミスはしない。
私の事を何度も助けてくれた。
でも恩着せがましくなく、さらりと吹き抜ける風のようにさりげなかった。
私は要領が悪かったので、よく叱られた。
眠れないまま朝を迎えても、翌日彼女の顔を見ると、安心した。
私が上司とそりが合わず、退職を考えた時は、そっと連絡をくれた。
上司からも愚痴を言われてたから、板挟みに苦しんだと思う。
私にくれたものは沢山ある。
でも、こんなに優しい彼女だったけれど、それは仕事仲間だったからだ。
私と仕事外で付き合うことは絶対にない。
「仕事として優しく接するけど、それ以外のところで私に踏み込まないでね。」
そんな声を、私は敏感に感じ取っていた。
変わった人を糾弾することは絶対にないけれど、例えば身障者の方を見たら、さりげなく目を逸らす。
そんな優しい人にありがちな残酷さを持っていた。
彼女は、人との距離感を適切に保ち、自分の置かれている状況を的確に判断できる理知的な女性だった。
だが、それを同僚に悟らせることはせず、理知的な女の本質を、柔らかなピンクベージュの繭で覆い隠していた。
例えば、彼氏と南国のビーチで遊んでいたとしても、連休明けはそれを見せることはしない。
普通、遠距離中の彼氏と久しぶりに会ったらすることは一つだが、その情事の欠片すら職場に滲ませることはない。
よく漫画で、「あっ。昨日彼氏と会ってたでしょ。何か楽しそうだもん。」などのセリフがあるが、彼女にそんな素振りは微塵もなかった。
常にフラットなのだ。
その穏やかさが、何故かほんの少し憎かった。
彼女には、今時の女性によくある自己顕示欲が全くなかった。
どちらかと言うと、目立つのが嫌なタイプ。
嬉しかったことはその人とだけに共有し、綺麗な思い出は二人だけの秘密にしようね。
そう微笑みを浮かべる桜色の唇がありありと想像できた。
情事の欠片すらないと先ほど述べたが、彼女には秘匿された色気のようなものが密やかに香っていた。
重いパッキンを持って来て、「もう無理……!」と息が切れた声で小さく言う彼女。
そこには彼に組み伏せられた時、そうなるのだろうなと思わせる確かな色香がほんのりと香った。
薄暗いバックヤードで作業をする時、レースのワンピースの襟ぐりから黒いレースの下着が覗く。
私はそれを見たとき、見てはいけないものを見たような気持ちになって、パッと目を逸らした。
彼女が隠している「女性」としての本質がそこに宿っている気がしたのだ。
私は、取返しのつかない言葉を言ってしまったことがある。
そして、その言葉は私に棘として返って来た。
それは、ある晴れた昼下がりのことだった。
私と彼女は、いつものようにお喋りをして、話題は結婚に移った。
結婚式についての話を振られたように思う。
私は、言ってしまったのだ。
「でも、結婚式とか、よっぽど仲良くないと正直興味なくないですか?」
「だって、ご祝儀何万円も出して、人の幸せ見るなんて。」
「私、よっぽど仲良くない人じゃないと行きたくないなぁ」
未だ、結婚なんて関係ないと思っていた。
結婚は、もう少し大人になってから。25くらいだろう。
今にして思うと、本当に残酷な言葉を口に出してしまった。
それは、思っていても口にしてはいけない言葉だった。
果たして、彼女は言った。
「ふぅん。そもそも、呼ばれるんですかね」
私は一瞬、言葉に詰まり、彼女を見た。
彼女の真っ白な頬が強張っているように思えた。
その時、私は無意識にだが、悟ってしまった。
彼女は、私が何を言っても飲み込んでくれる、優しい聖母ではない。
心に傷を負ったら、反射的に棘を返してしまう、只の女性なのだ。
皮肉にも、私は完璧な繭を鋭いナイフで抉り、その結果彼女の本音が流れ出した。
その当時は、「私を呼ぶ気はないのね。別に口に出して言わなくてもいいのになぁ」くらいに受け止めていた。
しかし、上司に彼女の結婚について聞いた時、私は頭が真っ白になった。
私、あの時、なんて言った?
後になって分かったことだが、彼女はその時丁度プロポーズを受けた頃だったようだ。
ぐるぐるとあの時の言葉がリフレインし、私は動けなくなった。
私は言ってはいけないことを言ったのだと。
しかし、私は彼女に謝れないまま、というか結婚式の話題も触れられなかった。
元より、彼女は自分のことをあまり話したくない人だったのだ。
本当にすみません。
私は心の中で彼女に語り掛ける。
ふと、彼女のふっくらとした指に光るものを見つけた。
それは、美しい愛の証だった。
彼女が、唯一、自分が愛した人と一緒に作った愛の証だった。
私は何も言えなかった。
本当は、貴方と本気で話をしてみたかった。
2年一緒に働いたのに、何も話せなかった。
貴方がどんな考え方で生きて来て、どんな言葉を飲み込んで来たのか、私に知らしめて欲しい。
貴方に謝りたいのです。
私は、貴方に辞めて欲しくありません。
貴方は、仕事をする上で、職場に必要不可欠な有能な存在です。
いつも穏やかで、周囲を良く見れる、気遣いの出来る優しい人。
どうか、自分を矮小化しないで。
貴方は、寿退社で辞める、そんな器じゃない。
確かに、貴方の仮面には寿退社が似合います。
でも、男性の幸せの為に、笑顔で自分を犠牲にしないで欲しい。
貴方は、自分で気づいてないかもしれないけれど、可能性で溢れている、私にとっての憧れの人。
なんて、小娘の戯言でしょうか。
そして、最後に私に教えて下さい。
高校で初めて彼氏が出来て、何人かの人とお付き合いした後に今の彼氏と結ばれた。
なんでそんなにとんとん拍子に物事が進むんですか?
私に教えて下さい。
私、全然出来ないんです。
人が当たり前のように出来ていることが私には出来ないんです。
居なくならないで。貴方にもっと教えて欲しい。
とうとう彼女が背を向ける。
私は唇を引き結んだ。
そして、いつもの笑顔で彼女に歩み寄る。
「どうか、末永く、お幸せに」
彼女はふんわり微笑んだ。
「またふざけてそんなこと言って。」
指輪が鈍く光っていた。
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