Suzuki Junko

アラ還女子。大阪出身。19歳の時に北海道に渡り、2000年から新規就農で放牧酪農経営を…

Suzuki Junko

アラ還女子。大阪出身。19歳の時に北海道に渡り、2000年から新規就農で放牧酪農経営を始めました。2023年秋に次の新規就農者に牧場を譲って引退します。夫は俳人の鈴木牛後です。

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  • 牛と暮らした日々-そこにあった句

    俳人である夫-鈴木牛後の俳句と、その背景や生活についての私-Junkoのエッセイです。23年間の酪農生活とそこから生まれた俳句。1年間の連載を終えて完結しました。

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牛と暮らした日々-そこにあった句#00 はじめに

2023年の秋、牧場をやめることになった。 サラリーマンでいう定年退職である。 自営業なので定年はないが、他の農業と違って酪農は60歳にもなると、かなり体がきつくなる。周りの酪農家も60歳前後で離農している。 息子たちは後を継がない。去年、夫が60歳を迎えたのを機に後継者を探そうと役場に連絡したら、すぐに(本当にすぐに)見つかった。その、跡を継いでくれるKさんが、私のエッセイを読みたいと言ってくれたのだ。 俳人の夫が2018年に全国的な俳句の賞を受賞した。上京した授賞式で

    • 牛と暮らした日々-離農するという事#50 あとがき(後編)

      2022年5月。 Kさんがやって来た。 後継者(研修生)が来ると、こんなに楽になるんだ。 体が楽になるのと同時に精神状態も楽になった。 目指す方向が一緒で話が合う。例えば、酪農は放牧を主体に経営するとか、春分娩を目指すとか、ニュージーランドの種牛を使うとか、価値観が一緒で話していて楽しかった。 酪農に夢がある前向きな若者と一緒に仕事をしたり教えたりするのも楽しかった。うちの息子たちだと嫌々手伝っていたので教えるのも苦痛だったが、Kさんは自分が経営者になるので熱心さが全然違

      • 牛と暮らした日々-離農するという事#49 あとがき(前編)

        私は、もともと友人が少ない。 それなのに、就農して酪農をはじめたら、仕事の時間や休日が街の人と合わないので、イベントや集まりに行けなくなり、それまでの友人とは疎遠になった。 酪農家の集まりは昼間で時間が合ったから、就農した当初は参加していたが、色々あって、それもだんだんと行かなくなった。 ネットで繋がっていた友人とも、交流サイトを次々にやめて削除を繰り返すうちに疎遠になった。 就農当初はうちに視察や見学に来ていた農家さんや研修生もだんだん誰も来なくなった。 子供たちは全員

        • 牛と暮らした日々-そこにあった句#48 大脱走(おまけ)

          数年前の8月。ある暖かい夜だった。 牛舎仕事はいつものように滞りなく進み、まもなく終わろうとしていた。 夫は夜の放牧に牛を出し、後の糞の掃除をしていた。 私は牛乳処理室で、今晩のおかずは何にしようかなどと考えを巡らせながら、バケツを洗っていた。 いつもより少し遅い夜8時頃だった。 (今晩は牛がよく鳴いてるな…)と、のんきに窓の外を見た。 その時…… 牛が。 牛がそこにいた。 えっ?ここは放牧地でもなく、牛道でもないのに? しかも1頭2頭ではなく、わらわらといる。

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        牛と暮らした日々-そこにあった句#00 はじめに

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        • 牛と暮らした日々-そこにあった句
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          牛と暮らした日々-そこにあった句#47 牛の死(最終回)

          春の雪融かして牛のたふれけり  鈴木牛後 (はるのゆきとかしてうしのたおれけり)   ※たおれる=斃る=倒れ死ぬ 『牛死せり片目は蒲公英に触れて』という一句。 2018年に夫が角川俳句賞を受賞した時、この句が注目された。 「この句は牛に対する作者の愛情が滲み出ている」 「作者はとても牛を愛しているのだろう」 「作者にとって牛は大事な家族の一員なのでしょう」 「牛が死んで悲しんでいることが読み取れる」等々…。 全国的な賞を受賞し、翌年には句集『にれかめる』を上梓してから、

          牛と暮らした日々-そこにあった句#47 牛の死(最終回)

          牛と暮らした日々-そこにあった句#46 雪解け水

          たつぷりの雪たつぷりの雪解水  鈴木牛後 (たっぷりのゆきたっぷりのゆきげみず) 数年前のことだ。3月28日は暖かかった。2日前まで最低気温がマイナス17℃まで下がった日もあったのだが、この日の日中はプラス15℃まで上がった。前日もプラス10℃あって2日連続のぽかぽか陽気だった。 「このまま春になるのかなー」 「この分じゃどんどん雪解けが進むね」 と、昼間は2人でのんびり話していた。 事件が起こったのは、その日の夜だった。 夕方の搾乳を終え、仔牛の哺乳をしようとしていた

          牛と暮らした日々-そこにあった句#46 雪解け水

          牛と暮らした日々-そこにあった句#45 根明き

          犢ほどの根明ありけり牛魂碑  鈴木牛後 (こうしほどのねあきありけりぎゅうこんひ) 「犢(こうし、とく)」とは仔牛の意味だが、酪農業界で「トク」というと、ホルスタインのオスの仔牛を指す。 牛乳を搾る酪農家は、ホルスタインのメスが生まれると大人になるまで大事に育てるのだが、オスが生まれると、だいたい生後2週間から1ヶ月の間に肉牛農家に売る。それがトクだ。 トクが生まれると、残念なようなほっとしたような気分になる。残念なのは今搾っている牛の後継牛にならないから。ほっとする

          牛と暮らした日々-そこにあった句#45 根明き

          牛と暮らした日々-そこにあった句#44 仔牛の哺乳

          待春や乳飲む牛は眼を張つて  鈴木牛後 (たいしゅんやちちのむうしはめをはって) もう飽きた。 何に飽きたかって?白一色の景色だ。かれこれ4ヶ月続いている。 3月中旬。本州では梅や桜の便りが聞かれる頃だが、ここ北海道北部ではまだまだ雪景色で、春を待つ気持ちは「待春」という季語以上に切実なのだ。 でも日中の気温がプラスになって、太陽の光の厚みが明らかに冬とは違ってくるので「春か?春なのか?」と一瞬浮き足立つのだが、外は相変わらず真っ白でがっかり…。 さて、うちの牧場で

          牛と暮らした日々-そこにあった句#44 仔牛の哺乳

          牛と暮らした日々-そこにあった句#43 ネコ

          猫の死を猫には言はぬ寒日和  鈴木牛後 (ねこのしをねこにはいわぬかんびより) 就農した当時、以前から飼っていた4匹の猫のうち、年寄りの2匹は引き続き自宅で飼ったのだが、若い2匹は牛舎デビューさせた。牛舎では牛の餌を狙ってネズミが出るからだ。 でも、もともと家猫なのですぐに家に帰りたがる。いくら牛舎に戻しても、玄関の引き戸を自分で開けて帰ってくる。猫は開けても閉めないので冬はとても寒いし、牛のウンコの上を歩いた足で自宅の床を歩かせる訳にはいかないし。うちの猫は長靴をは

          牛と暮らした日々-そこにあった句#43 ネコ

          牛と暮らした日々-そこにあった句#42 就農当時の話

          牛産むを待てば我が家の冬灯  鈴木牛後 (うしうむをまてばわがやのふゆともし) 就農当時の話をしよう。 2000年10月に私たちは酪農で新規就農した。10年前に離農した跡地に入ったので、古い作りの牛舎の中を改装し、牛はいなかった。なので全て外から導入しなければならなかった。そして、2ヶ月の間に分娩する予定の40頭の新品の牛(初妊牛)を買い揃えた。 これがどんなに無謀な計画だったかは、酪農関係者だと分かってもらえると思う。なにせ60日で40頭だから、ほぼ毎日、初妊牛の分

          牛と暮らした日々-そこにあった句#42 就農当時の話

          牛と暮らした日々-そこにあった句#41 イヌ

          寒暁の家畜車犬の声浴びて  鈴木牛後 (かんぎょうのかちくしゃいぬのこえあびて)   ※「寒暁」とは、凍てつくような寒い夜明けの事。 うちでは、かつて「クリ」という名前のラブラドールレトリバーを飼っていた。新規就農のお祝いに仲間の農家が贈ってくれた子犬だった。 農家になって大型犬を飼うのが夢だったが、新規就農というのは甘くなく、最初の一年はとても子犬の躾をする余裕がなかった。その結果当然、躾の全然なってない犬が出来上がり、「うちのバカ犬が」と話すと犬好きの友人から「クリ

          牛と暮らした日々-そこにあった句#41 イヌ

          牛と暮らした日々-そこにあった句#40 ストーブ

          ストーブを消せばききゆんと縮む闇  鈴木牛後 (すとーぶをけせばききゅんとちぢむやみ) 立春を過ぎても毎日真冬日の当地では、まだまだストーブが手放せない。自分達で3部屋ぶち抜きの28畳に作ったリビングでは、3台のストーブを使っている。薪ストーブと灯油ストーブ2台だ。それぞれに一長一短があって、何と言っても暖かいのが薪ストーブ。真冬でも窓を開けるくらい暖かいのだが、短所はソファで昼寝をして薪をくべる人がいなくなると消えてしまう事だ。 寝室は2階にあって、そこには別に電気

          牛と暮らした日々-そこにあった句#40 ストーブ

          牛と暮らした日々-そこにあった句#39 雪の階段

          節分の牛舎へ雪の小さき階  鈴木牛後 (せつぶんのぎゅうしゃへゆきのちさきはし) 11月下旬から根雪となる北海道では、2月の節分の頃になると積雪量も1メートルほどになる。傾斜地に建っている牛舎なので、夏でも下りで入る牛舎への出入り口が、冬にはもっと低くなってしまう。 忙しさとめんどくささでそのままにしていると、踏み固められた雪が下りのスロープになり、もう、すべるすべる。 夕方、牛舎へ行こうとすると、滑り込みの勢いが余って、待ち構えている牛舎猫達と衝突しそうになってしま

          牛と暮らした日々-そこにあった句#39 雪の階段

          牛と暮らした日々-そこにあった句#38 厳冬期

          氷点下三十二度の人の音  鈴木牛後 (ひょうてんかさんじゅうにどのひとのおと) 北海道でも北の方にある、うちの町は日本で最も寒い地域のひとつで、真冬にマイナス30℃を下回る事がある。 これくらいの気温になると、息を吸った時に、きゅっと鼻がひっつく。歩くと、きゅっきゅっと足音も凍っている。足音、息を吸った感じ、肌を刺す痛みなんかで、「今朝はシバレたな~」と分かるようになる。 こんなに寒い所に住んでいると、体感温度がイカレてくる。マイナスひと桁だと「あったかい」10℃以下だと「

          牛と暮らした日々-そこにあった句#38 厳冬期

          牛と暮らした日々-そこにあった句#37 冬道運転

          ごどごどと除雪車白い夜を押す  鈴木牛後 (ごどごどとじょせつしゃしろいよるをおす) 酪農家に続く道路は、除雪車が来るのが朝早い。集乳時間までには道路を開けなければならないからで、うちでは4時とか4時半に来る。除雪車の音で、目を覚ますこともよくある。 「雪が降ると会社や学校はどうなるんですか?道路や鉄道はどうなるんですか?」と、道外の人に聞かれることがあるが、答えは、 「どうもなりません。」 雪が降っても積もっても、道路も鉄道もすぐ除雪車が走る。よっぽどの吹雪や大雪以外は

          牛と暮らした日々-そこにあった句#37 冬道運転

          牛と暮らした日々-そこにあった句#36 お正月

          牛に口牛に尻ある大旦  鈴木牛後 (うしにくちうしにしりあるおおあした) 酪農家には盆も正月もない。 いつも通り、牛に餌をやり、糞尿の掃除をし、搾乳をしている。 おまけに例年では夫婦2人だけだったので、余計にいつも通りだった。 子供たちは、去年までは帰って来なかった。大晦日まで仕事だったり、冬は天候が悪いので飛行機の欠航が心配だったり、帰省ラッシュが嫌だったり、飛行機代が高い、などという理由だった。(今年はここで迎える最後のお正月なので帰って来た) さて酪農家の家では、

          牛と暮らした日々-そこにあった句#36 お正月