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牛と暮らした日々-離農するという事#49 あとがき(前編)

私は、もともと友人が少ない。

それなのに、就農して酪農をはじめたら、仕事の時間や休日が街の人と合わないので、イベントや集まりに行けなくなり、それまでの友人とは疎遠になった。
酪農家の集まりは昼間で時間が合ったから、就農した当初は参加していたが、色々あって、それもだんだんと行かなくなった。
ネットで繋がっていた友人とも、交流サイトを次々にやめて削除を繰り返すうちに疎遠になった。
就農当初はうちに視察や見学に来ていた農家さんや研修生もだんだん誰も来なくなった。

子供たちは全員家から出て、就職したり結婚したりして関東に住んだ。遠いからと、お正月は天気が悪くて飛行機が飛ばないからと、何かと理由をつけてめったに帰省して来なかった。
夫は俳句の賞を受賞してから原稿執筆などの仕事が入るようになり、書斎を自宅の二階に作ったら、二階から降りてこなくなった。

そしてコロナになった。

子供達の所へ、向こうから来ないならこっちから行くと、年に一度の気晴らしの冬のひとり旅もついに行けなくなった。

私はひとりだった。

自宅と牛舎の往復しかしない日が続き、搾乳中に少し夫と話す以外、誰とも話さない日が続いた。
だんだんおかしくなっている感じがした。理由もないのに不安がわいてきて、泣きたいような溜息をつきたいような重い塊が胸にずっとあった。
死にたいとは思わなかったが、今まで何で生きてこれたのか、そして何が楽しくて生きてきたのか分からなくなっていた。

そして強烈に思った。子供と孫の近くに住みたいと。

就農した当初は新鮮だった。毎日が楽しかった。夫がいて子供たちがいて(気持ち的にも近くにいて)、放牧酪農の仲間がいて、北海道中を見学して回った。新しい事を覚えて忙しくても充実していた。

いつからだろうか。
毎日のルーティンワークに飽き飽きしてきたのは。
今まで誰にも言った事がないけど正直に言うと、最後の方は毎日のつまらなさに吐きそうだった。
吐き気に堪えて夕方の牛舎仕事をしていた。

早く次の場所に行って、新しい事がしたいと思うようになっていた。

後継者がいないので、いずれは離農する事になるだろうと思っていた。でもそれはまだまだ先の話。私が65歳になって年金がもらえるようになってから以降だなと、あと8年後とか5年後とか言っていた。

でも、居抜きで譲る場合、研修&引継ぎに2年かかるし、探し始めても見つかるまで2年くらいはかかるだろうと思っていた。
だから前段階として、役場農林課には話を通しておこうと、いずれは離農したいという事と、後継者を探して欲しいという事を伝えた。

すると、すぐに、本当にすぐに後継者が見つかった。当時の役場担当者も最初は見学だけ?みたいな軽いノリで連れて来たが、私が「譲ります!」と即答し、数年後じゃなく、今すぐにでもと前のめりに話したので、話が急にトントン拍子に進み始めた。(チャンスの神様の前髪は絶対に掴む!)こんなところでおかしくなって、ふさぎ込んでいるぐらいだったら、全てを捨てて次のステップに行く!

以前は、あんなに田舎に住みたかったのに、あんなに農家になりたかったのに、この気持ちの変わりようは何だろうと自分でも思う。でも、生きていれば気持ちは変わる。人生とは心変わりと後悔とやり残し感で出来ている。
そう。子育ても酪農経営も田舎暮らしも、全てが後悔することばかりで全てが中途半端だったなぁ。

いつかは死ぬ(明日かも知れないし20年後かも知れない)という事が、常に頭の中にある。それは年齢からいって順当な事だと思う。
義両親を見送って実兄を見送って、この年齢になると死ぬことも現実だ。

義両親が死んだ時、賃貸で物も少なく、遺品整理がとても楽だった。実両親はまだ生きているが、持ち家で物も多いので亡くなった後、面倒くさい事になるのは今から明白である。

そして私たち。
土地と牛と牛舎と機械は、持っているととてもやっかいな「モノ」だ。
私たちが死んだら、跡を継がない遺族にはやっかいな負の遺産になる。
子供たちに迷惑をかけたくない。

借金で首が回らなくなって離農する訳ではない。(借金は完済している)
まだ年金をもらうには早い。まだ体力もある。
でも、だからこそ思うのだ。まだまだ体力も認知機能も衰えていないうちに、きちんと次に渡すべきではないのか。経営を生きている状態で次に渡すべきではないのか、と。

残りの人生、私は何がしたいのか?
モノは最小限にして、死ぬまでの20年?30年?は、経験する事だけに集中したいと思った。
観て聴いて触って嗅いで味わって。
いらない物は全て捨てて、事業はちゃんと次に渡して、生前整理(老前整理)を済ませて、残りの人生を送りたいと思った。

そして、これらのモノを全て引き受けてくれる(しかも喜んで)、後継者のKさんが見つかった事は、ラッキー以外の何物でもなかった。(つづく)


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