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愛情を、宝箱に

インターネットの世界はわたしの生命線です。

小学3年生のときに、仲の良かった女の子がいました。いつも笑顔が可愛くて、周りには素敵なお友達がいて、トレンドに敏感で人当たりがよくて、チアダンスをやっていた、わたしはその女の子のことが大好きだったんです。

当時、その子や周りにいた女の子のなかで、わたしを「仲間に入れてくれた」子たちがはまっていたものがインターネット。ブログやYouTube、ニコニコ動画、知らない文化のことを知ったわたしは、何の気なしに音楽を再生したり、ブログを書いたり、好きな歌をお友達と一緒に歌ったりして、それがすごく楽しかったのを覚えています。

最初はちょっとだけませていて、女の子らしく、みんなの輪の中に入りたいことがネットに触れるためのモチベーションでした。その頃から友人関係で悩まされてばかりだった、うまく人に馴染めない自分が、やっと「一緒にいてくれる」人たちを見つけられたから手放したくなくて、そうやって必死に覚えたのがインターネット。初めはそんな風にちょっとだけ冷めたもの、ちょっとだけ頑張って、いじっていたツールでした。

その子たちが「してくれる」と思っていたから不健康だったな。自戒です。今思うと多分みんな、わたしといることを素直に楽しんでくれていた気がします。素直に受け取れる自分にはあのときまだ、掠りもしてなかったから。


次第にインターネットの音楽が好きになっていった。いわゆる、初音ミクとか。まだあまり自分をさらけ出すことは安心して出来ないので、少しの距離感を持って書きますが、わたしはネット文化がとても好きです。

ボーカロイドというソフトを使って、一般の人も垣根を知らずに音楽を創れるその世界には、わたしの知らない大人のひとの姿がたくさんありました。

音楽の世界だけではありません。例えばブログひとつにして、わたしみたいに世の中に馴染めないという違和感を持って生きているひとは、大人のなかにもたくさんいると知りました。家の中や、教室がすべてじゃない。大人ってなんでもできる天才じゃないんだ。それは小学3年生、学校と家の往復がすべてのわたしにとって、本当に落ち着く居場所を見つけた過程だったように思います。

確かに教室でその子たちといることは楽しかったし、わたしにとっては夢のような世界線でしあわせだったのだけれど、やっぱり心からは馴染めませんでした。それからは、ずっと同じ。高校とかめちゃくちゃ青春して、楽しくて、心から分かり合える友人だって出来たけど、だけど結局わたしのなかの、集団でいるときの「違和感」だけは、どうにも拭いきれませんでした。



インターネットはわたしの生命線です。どんな自分でいたいと思うのか、家と学校と、リアルのコミュニティだけでは知り得なかった、世界のカタチを見ることが出来ました。親に従うだけが世界ではない。私は自分なりの信念を両手にぎゅっと握って、義務教育の期間を耐えるように過ごしました。

大きくなると趣味趣向が変わっていってもおかしくないことであって、あのころ私にインターネットを教えてくれた友人たちは、別のジャンルの「すき」に分岐してばらばらになっていきました。わたしは未だにこの場所にいて、世界を広げたり拡大したりで楽しんでいます。ただきっと、あのなかでインターネットにこんなに夢中になって留まったのは、わたしくらい。

他のひとも他の「すき」で楽しそうだから素敵だけれど、わたしはのめり込むきっかけを与えてくれた彼女たちに感謝しつつ、さみしさもちょっと感じたりしています。今はみんなどうしているのかなあ。楽しい時間を過ごしたことには間違いないので、懐かしさとともに思い出します。

リアルよりネットの友達が多いというと、わりと不健全に見られがちですが、リアルの友達もネットの友達もわたしにとっては大切で、変わりありません。出逢いかたが違っただけだから、フラットに見て間違いないんです。

SNSの使い方には気をつけなくちゃいけないけど、それさえ出来ればこんなに素敵な世界が広がっているのだと、知っていたから生き延びられました。

広い世界を教えてくれた、素敵なツールにありがとうを言いたいです。
読んでくださって、ありがとうございました。




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