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月が綺麗ですね→Watch your back!

表紙

#Copilot ImageCreator デザイナー

どうも。チャットgptとチョットだけ会話してみました、落語家の #立川談慶 師匠いさめるように「ちょっとだけ」信用して。利口者は時々与太郎のように真っ直ぐ前を向いたまま嘘をつきます、笑ふべし。

子どもに対して
「元気がないね。どうしたの?」
「学校や友達のこと、話してみない?」
「怪我やあざ、痛くない?」
「お母さんやお父さんと仲良くしてる?」
「何か困ってることがあったら、相談してね」
親に対して
「子育て、大変だよね。私もそうだったよ」
「子どものこと、心配だよね。私も気になってるんだ」
「子どものこと、よくわからないことがあるよね。私もそうだったよ」
「子どものこと、一人で抱え込まないでね。私にも話してね」
「子どものこと、専門家に相談してみるのはどう?私も一緒に行こうか」

#Copilot

彼奴(きゃつ)がどのサイトから持ってきた例示なのかが解りませんが(調べようとしたら大量のアフィリエイトが付属される重いサイトばっかり😅)児童虐待が疑われる児童、及び虐待を行う親への「声かけ」の具体例だそう。


信頼できない語り手、という言葉があります。米国の文芸評論家ウェイン・ブースという人が初めて紹介したそう。主に小説や映画で語り手や主人公として物語を進めるも、その語りが後半で矛盾を孕んでいる事が明かされる、行動に最初から口にする善意とは別の意図がはかられている。そういう人物を指します。個人的に印象深いのは映画ユージュアル・サスペクツのかの人物でしょうか?あれはロープを巻いた柱の視線をさも人間のものの様に描写したから反則、騙された人間はそう感嘆するものです。

旧来的な新聞の一面報道、ニュース番組やワイドショーは、それぞれの質はともかくこの信頼できない語り手が犯罪者であった場合、こぞってその部分を取り上げます。

「そんな事する人だと思わなかった」
「まさかそこまでとは…」という周辺の人物の言質を取ることで信頼できない語り手である犯人の実像に迫ろうとします。

社会意識の向上により児童虐待に関しては以前より何倍も犯罪を防ぐための関心、関与が払われる事は記事からも解ると思いますが、容疑者は、信頼できない語り手は最大の嘘で、最後にそれをひっくり返してしまいます。

「自分の子供だから、愛している。」

殺人事件の親族殺人割合は現在40%ほどで、永年で知人や他人のケースを圧倒します。関係が深い人間同士は愛してるとか、愛し合うべきだとかで殻を被せると最後の段階まで行ってしまう事が有るのは常識。ここについては、少々反社会的かもしれませんが「無償の愛」とか「慈愛」なんてものは信用してはいけないと思います。無償の愛、慈愛、信じていたのに…信頼できない語り手への信頼。騙されたものの言い訳です。

最近の少学校では不審者対策に逆転の発想で登下校の際知らない大人にもきちんと挨拶しようという指導がされているようです。そして知らない大人が「どこに住んでるの?」等と応えてきたら決して個人情報を教えてはならないとも指導されてるそう。ははは信用できないよな俺、利口な子供達。んじゃ、最低限地域の大人の方とは面識を合わせつつ、なにか疑いの角があったら冒頭の様な言葉をかけるとしましょ。小説の中ではない現実世界の信頼できない語り手として。

#もしもの備え

#ふるさとを語ろう
#これからの家族のかたち

#毎日note #毎日日記 #エッセイ

1. 実際の読者(Actual audience) 本を読む、肉体を持つ現実世界の人々
2. 著者の読者(Authorial audience) 現実世界の著者が書くテクストの宛先である、架空の読者
3. 物語の読者(Narrative audience) 詳しい知識を所有する、模造された読者。
物語内の「語り手」に対する、物語内の「聞き手」
4. 理想の物語の読者(Ideal narrative audience) 語り手の言うことを受け入れてくれる、批判的でない読者

#Wikipedia 信頼できない語り手 より

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