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西の魔女が死んだ

『西の魔女が死んだ』という本があった。
私もだいぶ昔、一度は読んだ記憶がある。
細かい内容はよく覚えていないけど、温かい気持ちになった記憶はある。


でも、今日書きたいはその本の事じゃない。
私にとっての「西の魔女」が亡くなったのだ。


その人と最後に会ったのは、たぶん7年くらい前になる。
最後に連絡を取ったのは5年前くらい。

私の西の魔女は今年の夏、8月に急に倒れてそのまま亡くなってしまったらしい。
まだ67歳だったとのこと。早すぎる。
今日、ある人からの連絡でその事を知った。



西の魔女は、
私が新卒後、4年間勤めた幼稚園の副園長だ。

そこは私立幼稚園で家族経営。
園長の妻である西の魔女が副園長だった。
2人にはひとり息子がいて、息子もそこで先生をやっていた。
(ちなみに教育実習もここの園で、実習担当は息子だった。イケメンだったけどかなり癖あり。)

園長はとても学のある人で、私はここで保育の基礎や大切な事をたくさん学ばせてもらったと思っている。
が、勤めている時は、求められるレベルの高さやプロ意識を持て!的な体育会系な雰囲気に押しつぶされていた。

できない先生は「あなた向いていない」と排除されていったし、私の同期はほぼ毎日職員室で怒られていて、3ヶ月でさよならとなった…。

園長も保育熱心なのと、血の気が多いのとでカッとなるタイプで、職員室の雰囲気がピリついている事も多々。
おまけに、40代独身だった主任は更年期だったのか、いきなり泣いていたりイライラしていたり情緒不安定。

そんな職場環境の中、1年目から担任を持つことになってしまった私はどんどん心をすり減らしながら何とか勤めていた。




そんな時、そんな弱っている私を何度も救ってくれたのは副園長である西の魔女だった。


彼女は、いつも上機嫌な人だった。


地肌は黒めで目はクリクリでキラキラ。
髪はフワッとした天然パーマのショートカット。
太ってはいないけど、ずっしり感のあるお腹とお尻。
外国人だとかハーフとかではないのに、彼女は外国人のおばあちゃんみたいな雰囲気があった。

ぱぱっと描くイラストや絵はめちゃくちゃオシャレで可愛いくて、
園だよりには彼女のイラストがセンスよく散りばめられていた。

ピアノもめちゃくちゃ上手く、ジャズなんてお手の物。
編曲もパパっとでき、園で皆が弾いている楽譜はほとんど彼女の編曲の曲だった気がする。
(めちゃくちゃオシャレなひょっこりひょうたん島とか…!)

行事の時にはよく先生達で人形劇をやったのだが、その人形の顔や身体、衣装までもが西の魔女の手作りの物ばかり。
しかも、かなり完成度が高く、服もめちゃくちゃオシャレな生地やボタンが使われていた。

そして壁面装飾。
ここの園はよくある保育雑誌にあるようなプリプリしたキャラクターのような物は一切なし。
担任は、自分のクラスの壁の壁面装飾の図案を何案か考えて西の魔女にチェックしてもらい、手直しをしてもらったりアドバイスをもらっていた。

そして実際に作っている最中にもアドバイスをもらうのだが、彼女がちょこっといじったり、線を加えたりするだけで魔法のようにステキな物に変わるのだ。
まさに魔法だった!!


他の先生達も絵が上手かったりピアノがすごかったり、運動が得意だったり。
何かしら光るものがある中、私は何もなかった。
なかったと言うか、今思うとなかったと思い込んでいただけなのかも。

当時はそんな風に思っていて自分に自信もなく、いつキレるか分からない園長にもビクビクしていたので、西の魔女は尚更私にとって何だかキラキラした存在に見えた。


何でそんなに何でもできるんだろう。
何でこんな重苦しい職員室の雰囲気なのに、そんな大声で笑いながら話ができるんだろう。
何でそんな日々の小さいことに感動できるんだろう。
何でそんなにいつも一生懸命なんだろう。



余裕のなかった当時は、あまり感じられていなかった気がするけれど、彼女は私をとても気にかけてくれていたし、励ましの言葉をいつもいつもかけてくれていた。
私が行事でピアノを弾き、結構ミスってしまっても、「今日のピアノよかったよ~!ちょっと音外れてた時もあったけど。笑」と褒めてくれたり。



とてもとても愛のある人だった。


もちろん子どもにも愛が溢れていたし、素晴らしい保育士だった。
どんなに手のかかる子どもでも、それを個性として面白がって捉えられるところ。
子どもの細かい声を聴いていて、それを拾って面白い活動を考えてしまうところ。
落ち込んでいる子や荒れている子がいたら、ただただ一緒に花壇で花を植えたり、可愛い指輪を折り紙で作る魔法を教えてあげていたりするところ。
子どもともいつも対等に接したり話したりしているところ。



パッと見ると、彼女はいつもいつも子どもにも魔法をかけているように見えた。

彼女がチョロっと何かをするだけで、声をかけるだけで、子どもの目が輝くのだ。



私にとって彼女は私にない物をたくさん持っている人で、光の人に見えた。

勤めている時は、魔女とか思った事はなかったが、幼稚園を退職した後、私は彼女の事を
「何だか魔女みたいな人だったな。てか、魔女じゃん!」と何故か辞めた後に魔女のイメージとなった。笑
しかも、北でも南でも東でもなく、西のイメージがぴったり。笑


私はそこに勤めて3年目の頃、神経がかなり磨り減っていたのもあるけれど、大好きな祖母の死も重なり、鬱状態になっていた。

そんな私を気にかけてくれて、あえてあっけらかんと明るく声を掛けてくれていた西の魔女。

結局私は、父が病気になってしまってと嘘の理由を作り、逃げるように何とかそこの園を辞めた。

(園長には何故かかなり引き止められ、本当は3年で辞めたかったところを4年間頑張った。。
今思うと、かなり精神的に落ち混んでいる状態で35人の子どもの担任を1人で持っていたので、責任も重かったし簡単に年度途中で辞められないのも相当辛かった。)

辞める間際も相当ギリギリな感じで勤務していたので、西の魔女が色々とサポートしてくれていた覚えがある。


辞めた後も数年、西の魔女はあっけらかんとした感じで、私の実家に年賀状を送ってくれていた。




そして、最後に連絡を取ったのは、私が保育園に勤め始めた事で、何かの手続き上、前に勤めていた園に私の勤務歴の確認の必要があるとなった時だった。

保育園の園長から、そこの幼稚園の園長に連絡を入れてもらうと、そこの園長は「個人情報なので本人の許可なしに教えられません。」と怒り口調だったと。

恐らく、園長は、父の病気で栃木に帰っていたはずなのに、また東京に出てきて、しかも近くの保育園で働いているなんて。父の病気も嘘だったんだな!となったんだと思う。

私にメールが届き、「いきなり保育園から連絡が来たので驚きました。近くの保育園に勤めているんですね。でも、顔を見せに来たりしなくて大丈夫です。連絡もこれでお終いにします。」と来た。。
かなりご立腹の様子だった。

しかし、その後西の魔女からもメールが来た。 「またこっちに出てきて保育園で働いてるんだね!元気そうで安心したよ!確認が取れたから保育園の方に連絡しておくからねー!」とまたまたあっけらかんとしたメッセージ。
きっと西の魔女も私の嘘は気付いていたはずだし、園長がご立腹になっているのも知っていたはずだけど、そんなメッセージを送ってくれた彼女の優しさ。



本当に本当に強くて優しくて大きな愛ある人だった。



私は西の魔女がいた幼稚園を辞める時、彼女にきちんとお礼を伝えられていただろうか。

最後のやり取りのメッセージの時、彼女のそんな態度やそんな言葉に何度救われてきたかを伝えただろうか。

普通にお礼は言っていたかも知れないが、きっと本当に伝えなければならなかった気持ちや言葉は伝えきれていなかった。



今彼女の事を書きながら思い出してみると、私は彼女から本当にたくさんの愛をもらっていた事を感じる。

朝、職場に何とか辿り着く事に必死だった私。
笑顔が仮面のように張り付いていた私。
常にいっぱいいっぱいだった。



私は彼女に少しは愛を返せていただろうか。



そこの幼稚園を辞めて7年以上経つ。
そんなに経つのに、たまに西の魔女のことを思い出すことがあった。



温かい記憶と、キラキラした目。
大きな笑い声と楽しそうにピアノを叩く姿。


そんな彼女が亡くなったのは信じられない。
あんなに生命力の塊みたいな、キラキラした人が。



きっと魔法で透明人間にでもなって楽しんでいるんじゃないかな。魔女だからね。

園長が泣いている姿を見て、「ほーら!もっと私を大切にしとけばよかったね!ヒッヒッヒッ。」って笑ってるんじゃないかな。





あなたは光の人でした。愛の人でした。





何回言っても言い足りないけれど、
本当に本当にありがとうございました。










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