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生きづらさとは

なんだろうか。私は私しか生きたことがない。ただ言っておくと、私は手帳持ちであり、いわゆるひとつのアダルトチルドレンで、HSPやらMBTIやらの診断テストなんかをやってみても、強力にアウトな結果が出る。生きづらさのオンパレード。

実際、現在進行系で様々な形の闘病生活は長く、とても同世代と同じ目線での話はできない。

そんななかでも、近年特にこりゃマズいなあと感じているのが「わかってほしい」病。こうしてnoteを書いているのもまさにその典型。

明確に治療が必要になった前後からこのかた、あまりにも多く人や物や機会や時間やお金を失ってきた。挑戦しては失敗し、リスク管理しては失敗し、ハードルを下げても失敗し、何もしなけりゃそれはそれで得るものはない。

なまじ上っ面をそれなりに見せることができてしまうのも自分の病質の一部なので、余計にたちが悪い。変な誤解をされるのが嫌で自衛している側面もあるが。

歪だ。失意の恐怖から、なんとかしてこちらの意図を過不足なく伝えようと必死になり、相手のわかってほしいを見落とす。そして、一定の理解者だと思うと、平時の伝わらないストレスが決壊して負担をかけてしまう。これが1番よくない。

ケバブを削ぎ切るみたいに自分のタフネスは失われていて、切れては結び、崩れては積み。毎日それを立て直して確認するように生きている。

孤立は怖い。自分が買い物のレジでことさら礼をはっきり言うのは、少しでも誰かとコミュニケーションしていると思いたいのかもしれない。悪いことではないが。

自分らしさとか理想とかはもうあまり気にはしないけれど、あまりに相対化する第三者が不在だと、無限にスカッシュをやって、ろくろを回しているとか、そんな気分にさえなる。

カウンセリングかな。どこからそんなお金が出るんだよ。

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