105 経済の諸概念⑤ 多段階分業と生産性

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前の記事では、狩りという労働(生産)をする人(H1)(H2)と薪採集という労働をする人(M)からなる経済を考察しました(図1)。 (M)はそれ自体では代謝を満たすことができない薪という商品を、代謝を満たすことを期待して体力を消費しつつ行動して手に入れます(この行動は労働と呼ばれます)。交換に耐えうる薪を手に入れること、そしてそれを食料と交換することという二度の「実現」を通して、彼のその日の代謝は満たされます。そして次の日も同じように活動することができます。

上の図では、薪を欲しているのは(H1)と(H2)の2人ですが、考察を進めるにあたって、同じように狩りをして暮らす人間(H3)(H4)(H5)(H6)(H7)を加えることにします。(H3)~(H7)の5人も(H1)と(H2)と同じく毎日、丸1日1,000kcalのエネルギーを費やして狩りをし、3,000kcalの獲物を捕まえ、そのうちの2,000kcalの獲物を自分で食べて、基礎代謝と狩りの消費エネルギーを補うものとします。そして毎日10kgの薪を必要としていますが、それは自己の代謝分を超えて獲得した食料1,000kcal分(付加価値生産分)と交換することで手に入れるものとします。

(M)は1日のうちに薪を採集して山から下り、(H1)~(H7)のような薪を必要としそれと交換するだけの余った食料を持った人のところを巡回して、薪と食料を交換して再び山に登って帰ります。体力・能力と時間の制約で、(M)は1日に30kgの薪を採取して、自己消費分を確保したうえで2カ所に配って回るのが限度だとします。(M)は、薪採取に投入したエネルギーを最初に巡回した2人(H1)(H2)の生産した食料と交換することで自己の代謝を満足(労働価値を実現)させて山に帰るので、(H3)~(H7)には薪は行きわたりません。

そこで、(H3)~(H7)のうちの1人(H7)は山に移り住み、(M)と全く同じ生活を送ることにしました(以下(M)’と表記)。これを図2に示します。すると採取される薪の量が単純に2倍になるので、薪は(H3)(H4)の2人にも行きわたるようになります。

ここでまず注意すべき点は、(M)’は(M)と同様に食料を採集・生産していないという点です。(M)’のような生活を送る人間を増やすことができるのは、(H1)~(H6)による自己消費分を超えた食料の獲得(付加価値生産)があってはじめてなりたつことがわかります。図の状態から何らかの事情で(H3)~(H6)がいなくなると、(M)と(M)’は、少なくともどちらかの薪採集という労働価値は満たせなくなり、生活の一部か全部の時間を狩りのような食料の獲得に充てなければならなくなります。

もう1つは、(M)と(M)’はそれぞれ個別に山と地上を往復していることです。この往復の時間は、薪の採取にも、(H1)~(H6)のいる地上を巡回して食料と薪をマッチング(労働価値を実現)させることにも使うことができません。そのことに気が付いた(M)はあるアイディアを思いつきます。

それは、(M)と(M)’のうちどちらかは山で薪の採取に専念し、もう他方は山から下りて地上に点在する(H1)~(H6)を巡回して薪を2人分の食料と交換し、持ち帰ってくるという役割をするというものです。前者を(M)’、後者を(M)が受け持つものとしてそのタイムスケジュールを図3に示します。(M)’は丸1日かけて薪を採集し、(M)は前日に(M)’が採集した薪を地上に持って降りて食料と交換し、山に帰ってくるものとします。労働時間やその強度からいって消費カロリーはどちらも以前と同じ1日1,000kcalとします。2人合計での薪採集にかける時間が増えているので、1日に集まる薪の量が増えているのがわかります。

図1、2では、(M)や(M)’それぞれの1日の労働の成果物である薪30kgにそれぞれ2,000kcalの労働価値が込められていました。これは基礎代謝と合わせてそれだけ労力がかかったという意味と、明日以降の労働に備えて薪をその分の食料と交換しなければならない、という二重の意味があります。図3のように分業した場合、労働価値はどうなるでしょうか?

(M)’は丸1日かけて基礎代謝と合わせて2,000kcalのエネルギーを消費して薪80kgを採集します。薪80kgの労働価値は2,000kcalで、このうち自家消費分の10kgを差し引いた分を (M)の持ってきた食料と交換して労働価値を満たします。(M)は(M)’から仕入れたうえで自家消費分を差し引いた薪60kgを、丸1日かけて基礎代謝と合わせて2,000kcalのエネルギーを消費して、地上まで下りて(H1)~(H6)を巡回して回って食料と交換して帰ってきます。(M)が行った労働は2,000kcalの価値ですが、この薪60kgにはというと(M)と(M)’2人分の1日の代謝を満たすことが求められますから、4,000kcalの労働価値が込められています。(M)が(M)’の採集した薪に労働価値を付加した形になっています。この様子を図に示します。

図2の時より薪の量が増えているので(H1)~(H6)全員に薪が行きわたることがわかります。ここで2つ注意点があります。

1つは、(M)(M)’それぞれの役割についてです。図2では(M)や(M)’は、食料をじかに獲得はしませんが、その日のうちに食料を獲得している人とじかに顔を合わせて労働の成果物を食料と交換(労働価値を実現)していました。図4では、労働価値の実現の過程は(M)に委ねられており、(M)’の労働の成果物が食料になるかどうかは(M)次第です。(M)’には、1日中薪集めだけをしていて食料が手に入るのかどうかという強い不安が付きまといます。(M)’には常に、午後には自ら自分の分の薪だけをもって地上に降りて自分の分の食べ物と交換してしまいたいというインセンティブがあります。他方の(M)、 (H5)と(H6)にとっては、(M)’が1日中薪採集に専念してもらわないと困るわけで、(M)’を山にとどめておくためには、(M)は毎日少なくとも2,000kcalの食料を(M)’に分配することを保証しなければならないことになります。

(M)’が薪採集という責任を負う代わりに、(M)は薪を食料に交換(労働価値を実現)する責任を負います。(M)は自分の代謝を満足(労働力を再生産)するだけでなく、(M)’の代謝を満足(労働力を再生産)させる責任も持つことになります。(H1)~(H6)の食料の獲得量は日によって変動しますが、(M)は自身の代謝分の確保はもとより(M)’への分配の保証分も日々確保しなければなりません。このような分配を通した労働(生産)への拘束関係は、広い意味で(M)による(M)’の雇用ということができると思います。もっとも、(M)と(M)’とで意識が共有されるなどして関係が対等に近くなると、(M)が獲得した食料を山分け(少ないときは痛み分け)したり、あるいは役割を日ごとに交代するなどの分業形態も考えられます。

図4についての注意点のもう1つは、薪の量と労働価値の量についてです。図2では、マクロで見て(M)と(M)’2人の労働価値は薪40kgに4,000kcalが込められていました。(H1)~(H4)は、それぞれの持つ余剰付加価値の全部1,000kcalを、それぞれの所要量の薪10kgと交換します。そして(H5)(H6)は巡回の所要時間の限界から薪を手に入れられません。

図6では、まず(M)’が1日2,000kcalの消費エネルギーで採集できる薪の量が、2人合計の60kgから80kgに増えています。そして(M)が1日2,000kcalの消費エネルギーで薪を食料と交換(労働価値を実現)できる量も、2人合計の40kgから60kgに増えています。このことは(単位当たり)生産性の向上といえます。今回の場合、1日当たり(時間生産性)、労働者1人当たり(労働者生産性)の2通りの尺度で見て生産性が向上しています。その結果として起こることは同量の薪に込められた労働価値の量が変わることです。図2では、薪10kg当たり1,000kcalだった労働価値が、図4では667kcalになります。いわば薪が“安く”なります。

このことの帰結として2通りのことが考えられます。1つは、薪10kgを(H1)~(H6)とそれぞれ食料1,000kcalと交換した場合です(図5)。そしてもう1つは、薪10kgを(H1)~(H6)とそれぞれ食料667kcalと交換した場合です(図6)。

薪を採集したり売り歩いたりするのに必要な時間と労力が減る(薪の単位量当たりの労働価値が小さくなる)と、そのためにより多くの人((H5)(H6))に薪を売ることができます。図5は、その分(M)と(M)’が多くの食料を得た状態を示しています。(M)(M)’それぞれの代謝の必要量を超えた分は付加価値となり、102で考察したとおり、これは(M)と(M)’が自由に使うことができます。そして(M)(M)’のミクロな視点では、薪の採取と交換のための巡回という行動が付加価値を生む「生産」にもなっていることがわかります(これはマクロでは付加価値の移転になるのでこの「生産」はグレーで表しています。なお労働と生産の違いについても102を参照してください)。

図6は、(M)(M)’が従来通りの経済状態(付加価値ゼロ)を維持したものです。薪の採集と交換のための巡回のために必要な(M)と(M)’の労働価値の量が少なくなると、(H1)~(H6)はより少ない食料で薪を得る(言い換えると少ない食料で(M)(M)’を“養う”)ことが可能になります。 (H1)~(H6)は必要量の薪を得てなお付加価値を残すことができるので、(H1)~(H6)の自由が広がります。

図5と図6は両極端の状態で、実際にはこの中間の形態をとることになると考えられます。マクロで見ると図5も図6も交換後の付加価値の合計は2,000kcalで、(H1)~(H6)が生産したマクロな付加価値が、交換後に(M)と(M)’の代謝を満たしつつ、どういう具合に移動したかということの違いを表しています。 付加価値が薪の生産側に全部移動したものが図5、付加価値が薪の消費側に全部ある(食料生産者のうちにとどまった)ものが図6といえます。薪の交換価値を667kcalとした図6を見ると、(M)と(M)’にとっての、(H1)~(H6)の生産する食料の生産量が減る場合の許容量も知ることができます。


以上かなり長くなりましたが、この記事では、分業がより多段階になった経済を考察しました。そのなかには雇用の祖型とでもいえるような形態もありました。

分業の仕方を含めて、時間と体力の使い方の創意工夫が働くと生産性が上がり労働や生産の成果物の単位量当たりの労働価値が小さくなります。それはマクロで見ると分配できるモノや相手の数の増加につながり、マクロやミクロの付加価値の増大につながることが考察を通して見て取ることができました。付加価値の増大は物質的・時間的な豊かさの余地を与えるというのは102で考察したとおりです。

この記事では、分業や労働・生産活動が高度化した経済を考察したとはいえ、その登場人物は依然として日々その1日と翌日のことだけを考えて生活しています。次の記事では人間の経済活動をもう1歩進めて考察することにします。

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に続きます。

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