104 経済の諸概念④ 分業と物象化

前の記事

の続きです。

これまでの記事で、人間の経済活動を、個体の維持の必要、すなわち代謝を満たす必要からみて考察し定義づけてきました。

代謝を満たす必要から採食行動という労働・生産を行い得られた成果物(食料)を貯蔵し、分配・移転をし、交換し、最後に代謝に充てるというもので、この経済はもっぱら人間と食料というモノだけで成り立っています。ただこれは、多くの動物がそうであるとはいえ、生物個体の生存維持という観点でかなり極限まで抽象した考察であって、実際の人間が生物として生存するにあたっては、食料に限らず様々なモノが必要になってきます。特に人間は、頭脳が進化して道具を使用することのできる動物ですから、生活するにあたって関わるモノ・必要なモノの種類や数は爆発的に増大することになります。

ここで再び人間(A)の例の平均的な1日を考察します。(A)は半日労働(狩り)をすることで、狩りの消費カロリーを含めた1日分の栄養分を得て、翌日以降の労働力を維持します。

しかし、実際のところ、半日の狩りという労働とそこから得られた食料だけで、(A)という個体と労働力が維持できるとは限りません。食料に加えて生活するにあたって必要なモノとして真っ先に考えられるのはです。薪は、食料を生で食べるのでなければ食料を調理するのに必要ですし、場合によっては体温保持や夜間の照明のためにも必要かもしれません。そこで(A)は半日の狩りに加えて、燃料となる柴や薪を集める仕事をしなければならないことになります。

ここで仮に、山に行って柴や薪を採集するのに半日の時間と500kcalのカロリーが必要とします。するとここで1つ問題が生じます。この1日の(A)の消費カロリーは2,000kcalになりますが、得られた食料は1,500kcalなのでこれを満たすことができません。1日という時間は有限ですので、これ以上狩りをして食料をふやすこともできません。これでは500kcal分翌日に向けての労働力が損耗することになってしまいます(下の図(A)')。

環境や条件を変えられるのでなければ、対処法としてはまず、貯蓄(貯蔵)を利用する方法があります。3日に1度丸1日狩りをして、得た獲物の余剰分を翌日・翌々日の薪の採集のエネルギーに使うものです。薪は従来の3日分を2日で採集しなければならなくなりますが、山への往復移動が減る分を考えて、これはまあ可能だとすることにします。この様子を下の図(クリックで拡大)に示しますが、同じ程度の労力(500kcal)の仕事でも、(A)にとっての労働価値を実現させる狩りと、そうでない薪採集の違いがよくわかります。

もう1つ、劇的に状況を改善させる方法としては、もう1人の人間(B)を登場させて、彼に薪採集を任せるというやり方があります。

(B)は半日の時間と500kcalのエネルギーを投入して、山に行って1人が1日に使う分の薪を採集しては持って帰ってくることができるものとします。(b)が1,000kcalのエネルギーを投入して丸1日労働すると、往復は1回で済むとして、自分を含めた2~3人が1日に使う分の薪を採集することができるものとします。

(B)はエネルギーを費やして薪を集めて、それを(A)の食料と交換することで代謝を満たします。(B)が行う薪採集という行動は、食料との交換を通じて代謝を満たすことを目論むものですから101の記事で定義したように労働となります。その労働価値は、労働の消費カロリーを含めた必要代謝量である2,000kcalとなります。注意が必要なのは、(B)は自分の労働を薪というモノに結実させる必要があることです。このことを疎外物象化)ということにします。自分の労力や食料への期待が自分を離れて薪というモノに乗り移り、込められ、託されるというイメージです。この様子を図に示します。

労働がモノに疎外されるのは実は、今まで考察してきた(A)のような狩りを行う人間にも当てはまります。(A)は狩りという労働や生産を行いますが、たとえば、(A)が行う狩りという労働そのもの――そこで味わう苦労や充実感といったもの――は(A)という個体生存上の代謝を満たすことはできません。また、獲物となる動物を追いかけていると動物から生気が乗り移って(A)の代謝を満たすなどというようなこともありません。あくまで(A)の狩りは、栄養となる獲物の肉というモノに結実しなければなりません。 (A)が行う狩りという労働も獲物の肉というモノにいったん疎外されるわけです。

ただ(A)の労働活動が疎外された(物象化した)成果物である食料は、それを食べることによって代謝を満たすことができます。労働価値は即実現します。ところが(B)の労働の成果物である薪は食べることができないので、代謝を満たすには食料との交換というプロセスを経なければなりません。交換のために市場に出されるモノを商品と呼ぶことにしますが、(B)は自分の労働を1度目は薪という交換に耐えうる商品として2度目はそれを交換を通じて代謝にあてられる食料として、という具合に2度変身(物象化)させる必要があります。労働の目的は代謝を満たすことですから、食料への変身が成功したことを強調するニュアンスでは、これら2度の物象化のことを(労働価値・交換価値の)実現とも呼ぶことにします。

交換は103の記事で述べたとおり、勝負に似た具体的なやり取りで決まりますが、ある程度は合理的な交換水準が予想できます。(A)は自分がこの日必要な食料を確保していますが、薪は持っていません。ですから丸1日狩りをして得た食料のうち余った1,000kcal分を自分が必要な1日分の量の薪と交換することが考えられます。(B)は自分の消費カロリー2,000kcalを薪の交換を通じて確保したいところですが、食料は1,000kcal分しか得られず、明日に向けての労働力は1,000kcal損耗します。これが何日も続くと(B)は飢え死にし、また(A)は薪を得られなくなってしまいます。つまり、このままでは(A)と(B)の分業は成り立ちません。実際的には(B)は、(A)が1人の時と同じように、自分での狩りと薪の在庫を組み合わせた生活をするものと考えられます。はじめ同じ生活をしていた(A)と(B)がそれぞれ得意な方に分化していく過程が想像されます。ここで(A)と同じ生活をする(C)という人間が加わると、(B)は、薪を(A)と(C)の生産した食料と交換することで、完全に薪の採取だけで代謝を満たすことが期待できるようになります(図)。

(A)や(C)が行う狩りのうち、自分の所要栄養量以上の食料を得る分は、(A)や(C)にとっては付加価値の生産といえますが、その成果物は(B)の代謝を満たすのに使われるので、マクロでは労働となります。この(A)(B)(C)の経済が成り立つかどうかは、このマクロな労働(=食料)の量に従属します。薪との交換を通じて、Bに食料が行き渡る様子は分配だといえます。103の記事で考察した分配や移転は、(A)から一方的に行われるものでしたが、(B)は食料を獲ってくるわけではないといえ、(A)や(C)の生活に必要なモノをもたらすわけですから、この分配は双務的、相互責任的な意味を持ちます。


以上この記事では、食料に加えて、生活に必要ではあるが食べることのできない薪というモノを加えて、経済を考察しました。薪はそれ自体では人間の代謝を満たすことができませんから、人間の体力時間獲得された食料といった、限られたリソースの配分が、個人の生活や集団内での分業にとってより重要になることがわかります。次の記事ではこの分業をもう1歩進めて考察することにします。

次の記事

に続きます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?