106 経済の諸概念⑥ 資本財(前篇)

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の続きです。

「労働価値の実現」のおさらい

前の記事では、丸1日かけて2,000kcal消費して3,000kcalの獲物を捕まえる(H1)~(H6)、山に居住して丸1日かけて2,000kcal消費して薪を集める(m)、その薪を丸1日かけて2,000kcal消費して(H1)~(H6)に売り歩く(M)とからなる経済を考察しました(図1)。(H1)~(H6)はそれぞれ、自分の代謝分を超える獲物(食料)を獲得しますが(付加価値の生産)、その分1,000kcalの食料を10kgの薪と交換します。(M)は60kgの薪を(H1)~(H6)に売り歩くことで、6,000kcalの食料を獲得して山に持ち帰ります。これは(M)と(m)とで山分けされ、(M)と(m)それぞれの代謝を満たすのに使われますが、なお2,000kcalの食料が余ります。これは、ミクロでは(M)と(m)にとっての付加価値生産(マクロでは付加価値の(H1)~(H6)からの移転)となり、(M)と(m)が自由に使うことができます。

図1 (M)と(m)、(H1)~(H6)からなる経済

獲得した付加価値が1人の人間の代謝をまかなう量だけあることから、この付加価値の使い方の1つとして、(M)と(m)のところにもう1人の人間(m2)を住人として迎える、ことが考えられます(以下mをm1とします)。例えば、ある日1日の(m1)の仕事を(m2)にさせることで、(m1)はその1日の間、自分の分の薪10㎏を集めさえすれば、休んだり遊んだりする事ができるようになります。その次の日は再び(m1)が仕事をすることにすると、今度は(m2)が1日休んだり遊んだりすることができるようになります。

この(m1)と(m2)のうち、休んでいる方の人は、その日の自分の代謝を満たすべく食料そのものや食料と交換できるモノを得る行動、すなわち、労働も生産もしていません(この労働の定義は101をご覧下さい)。休んでいても基礎代謝は行われますし、ましてや1日を遊んで過ごしたとなると1日労働したのと同じ量の食料が必要になります。休んでいる方の人は、(M)が薪との交換という形で実現してきた食料の分配を受けて代謝を満たすことになります。これを図2に示します。

図2 (m2)を山の住人として迎え入れた経済

(m2)を住人として迎えることで、(M)と、仕事をしている日の時の(m1)の行動は、見かけの上では、従来の余剰の付加価値を生産していた時と変わりませんが、それぞれの行動するにあたっての“心持ち”が変わってきます。(M)にとっては、薪と食料との交換を通じて、毎日2,000kcalの付加価値を獲得してくるのが“ノルマ”になります。 (M) (m1)(m2)トータルで見たときに、合計6,000kcalの食料を獲得するための、(M)と仕事をしている日の時の(m1)(m2)3人一連の働きのうち、2,000kcalの少量の分は付加価値の生産であったものが、全量が労働になります。

図2の状態において、(m2)は全くの“遊んだ”状態にあります。一人で活動していても退屈なので、(m2)はその遊んでいる時間を使って(m1)と同じように薪を採集することにします。その様子を図3に示します。このとき、(m2)の活動は「労働」になりえるでしょうか。図1に示すような1日で完結する経済の中で考察する限り、この(m2)の活動は「労働」にはなかなかなりえません。労働は代謝を満たすために行われる行動で、食料の獲得をもって「実現」し、翌日以降の労働を含めた個体の生存維持につなげます。山の上で薪を採取・製造するという活動が「労働」になるのは、Mが山を下りた平地で、薪を食料と交換するという「労働の実現」と結びついてはじめて成り立つことになります。(m2)が採取・製造した薪は、在庫となり死蔵されますが、将来の非常時等の備えにはなることでしょう。(M)は“同じ山の住民”として(m2)にそのまま食料を分配していますが、ここで仮に、分配の条件として薪との交換を要求するとなると、(m2)にとっては薪の採取は「労働」になり、その交換が「労働の実現」となります。ただ、この場合でも、(M)が薪を担いで降りて食料と交換して回る量の限度が60㎏ならば、それを超える量の薪を仕入れたところで、それを食料と交換することができません。非常時等の備えにはなりますが、薪が在庫となり死蔵されることには変わりありません。 (M) (m1)(m2)トータルで見たときに、「実現されない労働」という、いわば“遊び”はなくなるわけではありません。この場合では(M)による「労働の実現能力」が、「労働」の量の制約になるわけです。

図3 (m2)が1日、薪採集・製造を行った経済

そこで今度は、(m2)が1日の半分の時間を薪採集にあて、残り半分の時間を地上へ往復して薪を売り歩く(自ら労働を実現しに行く)経済を考察することにするとします(図4、図5)。図3では、(M)が薪を担いでいける量と巡回する時間が「労働の実現」の制約になっていました。ここでは(m2)もまた薪を担いで巡回することから、薪を地上に下ろす量として20kg、平地を巡回する時間として2時間それぞれ増やすことに成功しています。(m2)は労働を実現することができるでしょうか? ここで注意が必要なのは、(M)にとってであれ、(m)にとってであれ、1日のうちに山から下りて巡回して山に帰って来られる範囲になわばりを持っている人間の数とその生産する食料の数が限られているということです。実現する「労働」の量は、その範囲に、薪10kgを欲しがる人が6人しかいないこと、余った食料1,000kcalを持った人が6人しかいないことーーつまり前者で表されるところの「需要」の量と、後者で表されるところの「支払うことのできる食料」の量に制約されることになります。

図4 (m2)も薪を集めて売り歩く経済

この経済において(m2)の労働が実現するかどうかは、平地を巡回する2時間のうちに、(M)より早く、余った食料を持った(H1)~(H6)の誰かに先回りすることができるかにかかっています。運よく2人と食料を交換することができれば、(m2)の労働は実現しますが、その代わり(M)は売れ残った薪20kgを担いで山に戻ってくることになります。(m2)が2時間のうちに巡回した先がことごとく(M)と食料を交換した後だった場合、山に戻った(m2)は結局(M)が獲得してきた食料の分配を受けることになりますが、そうなると、(m2)が体力と時間を消費してわざわざ下登山してきたのは何だったのかという話になります。(M) (m1)(m2)トータルで見た、「実現されない労働」という “遊び”の量は変わらないことになります。

競合状態の経済

図4、図5の状態の経済の場合、必ずしも(M)は(m2)に食料を分配する義理はなくなります。そうなると、(m2)が(M)のもとから独立した経済を考えることができます。この経済は、(M)(m1)のグループと(m2)とが、(H1)~(H6)の生産した食料をめぐってしのぎを削る、競合状態の経済といえます。いったん横道のような扱いですが、次の段階の経済を考察する前に、ここで簡単にこの競合状態の経済を考察しておくことにします。

(M) (m1)(m2)トータルで見て「実現されない労働」という “遊び”がどうしても生まれてしまう、というとあたかも利点の全くない無駄な経済のように聞こえますが、この経済にはむろん利点もあります。

利点のまず1つ目は冗長性です。(M)(m1)が、いずれかの調子が悪かったりして地上に薪を40㎏しか下ろしてくることができないとすると、(H1)~(H6)には必要な量の薪が行き渡りませんが、(m2)もまた薪20㎏を下ろしてくるのであれば、必要な量を補うことができます。

利点の2つ目は商品の選択肢ができることです。例えば。同じ薪といっても、樹種や太さの構成によって、焚き付けの良さや燃える持続時間、煙の性状が違ってきます。(M)が薪を売りに回ってくるのがわかっている状態で、(m2)もまた薪を売りに来るとき、消費者側である(H1)~(H6)は、(M)が持ってくるであろう薪の品質と(m2)が持って来る薪の品質を比べたうえで良い方を手に入れることができるようになります。(m2)にとっては、自分の薪の品質を相手より良くすることができるのならば、ただひたすら相手より先回りする、というのでなしに労働を実現する可能性が開けることになります。品質の他に相手との関係の良さでもって、競合の優位とすることもできます。品質であれ関係の良さであれ、生産者にとっては相手より良くなければ労働が実現しないのですから、このような経済ではお互いの研鑽を通じて商品やサービスの質が向上していくことが期待されます。

このような利点のある競合経済ですが、この図4・図5の状態の経済は、(m2)にとっては厳しい競合となることが予想されます。その最たる理由は、(M)(m1)との生産性の違いです。105で考察したように、生産性が高くなると、商品の単位当たりの労働価値が小さくなります。(M)(m1)は、2人合わせて4,000kcalのエネルギーを消費して、60kgの薪の製造能力・狩りをする人6人に対する販売能力を持ちます。図4の状態であれば、(M)(m1)は、薪を5人か6人かに売り切るつもりならば、 薪を(m2)よりも少ない食料と交換する、つまり薪を“安く”することができます。(m2)は品質や相手との関係等を良好にすれば、(M)(m1)の薪より自分の薪を選んでもらえる可能性がありましたが、(H1) ~(H6)にとって、必要量の薪と交換してなお食料を余分に取っておけるのは魅力的です。(H1) ~(H6)は品質や関係と天秤にかけて主観的に判断することになりますが、(M)(m1)は最大で、薪10kgを667kcal分の食糧との交換、というところまで条件として示すことができます。この点、(m2)は薪10kgに1,000kcalの労働価値を乗せてしまっているのでこういった行動の幅をとることができません。(H1) ~(H6)にとってより少ない食料との交換で薪が手に入る可能性ができることは、競合経済の3つ目の大きなメリットとなります。

図4の経済の行く末がどうなるかに1つの答えはなくて、この競合状態を維持する可能性、(m2)が競合に敗れて労働力が維持できなくなる可能性、(m2)が(m1)と結びついて(M)が追い出される可能性、等々いろいろな可能性は考えられます。これらには、登場人物の競合そのものやその消長に“ドラマ”はあるのですが、経済学的にみると、図1~図4のいずれかの状態で揺れ動く定常状態といえて、経済の量的あるいは質的な変化は基本的にほとんどありません。


今回の記事では、前回の記事の経済に(m2)という人物を導入して考察を進めました。そのことによって物質的・時間的な余裕を増やすことができるようになった反面、リソースの制約から「実現しない労働」が生まれることを考察しました。 そして、(m2)が(M)からの分配から離れた競合経済では、冗長性や商品の選択肢ができる、品質やサービスの研鑽、商品の低廉化といった現象が起こることを考察しました。これらは薪の消費者側の(H1) ~(H6)には単純にメリットになることが多いですが、薪の生産者側の(M)(m1)(m2)にとっては、生存権や付加価値を得る“勝者”の立場を巡って、優勝劣敗のドラマが繰り広げられることになります。それなりに変化をはらむ経済ですが、この経済の登場人物は依然としてその日と次の日のことだけを考えて生活(労働・生産・代謝・競合)しています。この点で前回の記事の終わった時点とはさして変化がなく、振出しに戻った感もあります。次の記事ではもう1度(m2)を導入したところから経済の考察を進めていきたいと思います。


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