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研究者/開発者の生態

研究者/開発者は、「君の好きにやっていいよ」と言われると一番喜び、一番力を発揮します。

企業の経営者よっては、「何を言っているんだ!こっちは給料払っているんだ!貴様らの遊びに金払っているわけではないんだぞ!」と思うかもしれません。

ごもっともです。その通りです。しかしながら、真の研究者/開発者とはそのような生き物なのです。楽しいから、興味があるから研究者/開発者になったのです。こだわりがとんでもなく強いのです。癖が強すぎるのです。興味のないことはできるだけやりたくないのです。というよりも、興味のあることが一番力を発揮できることなのです。

ちなみに、上記のようなことをいう上司や経営者がいる企業にはクリエイティブな研究者/開発者は残りにくいと思います。さっさと見限って別の場を探しにいく傾向があります。

研究者、開発者、技術者、エンジニアといった種類の人間は自分のスキルを売りにします。自分のスキルを評価してくれる場所を求めるのはある意味当然だと思います。ジョブローテーションという言葉を聞くと身の毛がよだち、絶望します。ひっそりと転職を検討します。何故ならば、長年真剣に積み上げてきたスキルが使用できなくなるリスクに直面するからです。

上記のような種類の人間に対して、あれをやれ、これをやれとがんじがらめにするのは逆効果です。まずは、この種の人間がどのような人間であるかを理解して、上記のような言葉をかけるのがいいと思います。

もちろん、研究者(これ以後は上記の人間をひとまとめにして「研究者」と呼びます)も社会人です。最終的には会社のためになるものを生み出すことはプロとして当然意識しています。しかし、真に会社に貢献するためには、ある程度の自由度が必須になってくるのです。うまく自由度を与えてうまく手のひらで転がす方が会社にとって得です。

通常、ちゃんとした研究者なら自分なりのアイデアをひっそりと温めたりしているものです。しかし、あまりにも色々な仕事を与えられていたり、研究と関係ないことも含めてあれもこれもやらされていると、研究者はそうしたアイデアを試す時間がなく、ただのやっつけ仕事になり、結果的に会社にとっても大きな損失になります。うまく交通整理してクリエイティブな環境を整えることが会社にとって有益です。

ちなみに上でジョブローテーションに触れました。あくまで個人的な意見ですが、そのようなことをやっている会社の研究開発部門では、分野もテーマも節操なく広がってカオスのようになっていることが多い気がします。そして、何でもやることがあたかも積極性と誤解されていて、それが美徳と考えられていたりします。一人一人の研究者があれもこれもと節操なくこなしている結果、何でも屋の集団が出来上がっていることが多いです。当然技術の継承もありません。どの技術も中途半端で継承できる技術が育たないからです。何でもこなせていいじゃないかと思うかもしれませんが、こうした集団はどの分野でも、その道の専門集団に勝つことができません。言い換えれば、どの会社でも出来ることしか出来なくなるのです。当たり前です。月曜日に卓球やって、火曜日にバスケットやって、水曜日にカーリングやって、木曜日にゲートボールやって、金曜日にサッカーやっているのです。当然ながらどの大会に出ても予選落ちです。研究開発部門がこのような状態に陥ると、技術的に他社に勝つ製品は生まれません。したがって、少なくとも技術では勝負できない会社になります。ただ、商売というのは技術一本で決まるものではないので、こうした会社が絶対にうまくいかないとは決して断言できませんが、少なくとも研究開発部門は技術的には極めて弱くなります。

現在、「ジョブ型」などという言葉がさかんに言われるようになってきましたた。総合職一辺倒の日本型雇用から脱却しようとする試みとしては評価すべきものかもしれませんが、個人的には全く期待できないと思っています。単に会社にとって都合のよい搾取系の職になる場合が多いだろうと予想しています。なんとなくまねしてあまり深く考えずに追随する企業も出てくるかもしれません。そもそも研究者のポテンシャルを会社が正しく評価できるのでしょうか。「ジョブ型」という名前だけが一人歩きして、研究者の力を引き出すような制度が設計されないばかりか、ますます研究者の待遇が悪化するだけになる気がしてなりません。

クリエイティブなものが生まれる環境というのは「ある程度の余裕がある環境」であると思います。そして、研究者が研究に集中できるキャリパスも必要だと思います。ノーベル賞を受賞した田中さんが出世を断った話は有名です。猫も杓子も総合職の時代はもうとっくに終わっています。誰もが最終的に経営幹部になりたいわけではないのです。そして経営幹部になれない人間が能力的に低いわけでもありません。得意分野が違うのです。また、いわゆる「コミュニケーション能力」がある人=研究者として能力が高い人ではありません。いわゆる「コミュ障」みたいな人の方が専門的能力が高いことは往々にしてあります(一方で、人間社会というのは、「コミュニケーション能力」が高い人の方が評価されやすことを研究者も知っておくべきではあると思います。どんな評価も、基本的には他人が行うものだからです)。

では研究者を活かすためにはどのような制度/キャリアパスが適切かということになりますが、それは各企業が自身の企業風土や業態を踏まえて真剣に考えて答えを出すべきことだと思います。これをやらない企業に未来はないと思います。その際に、繰り返しになりますがクリエイティブな環境を創出することが鍵になると思います。そして給与/待遇面でも報われるものにする必要があるのではないかとも思います。そうでなければ、今後誰が研究者を目指すのでしょうか。何か発明をしても権利をすべて会社に取られ、報奨金として、はした金を渡されるような職に誰が就きたいと思うのでしょうか。青色発光ダイオードでノーベル賞を受賞した中村さんが日本を見限ったことを私たちは重く受け止めるべきだと思います。

しかしながら、一方で、日本というのはすごい国で、研究者を活かせない企業が多いにもかかわらず、優秀な研究者はまだまだ多いと思います。

試しに、自社が新規進出あるいは強化したい分野をある程度決めてから以下のような内容で募集をかけてみるといいのではないでしょうか。
「あなたのそのアイデア、うちの会社でためせますよ!自由にやってください。環境、時間、お金を提供します。そして、あなたのアイデアが実現した際にはあなたの権利も十分に加味します。引っ越し費用も負担しますよ」

とんでもなくいい人材が来ると思います。そして、おそらく他の企業は焦ると思います。いままでいいように使ってきた人材が流出するのですから。そのとき初めて気が付くと思います。研究者の生態を理解できていなかったのだと。研究者の力を引き出すしくみや環境を整えていなかったんだと。

上記のような募集をかけて実行するには通常より費用がかかると思います。しかし、日本における専門人材の給料は世界と比較して既にかなり低くなっているので、世界的に見ればかなりお得にいい人材を確保できるのではないかと思います。

もっとも、いや、普通(仮に大卒初任給換算で言えば20万程度)に金は払っているんだ。成果を出せ。それがプロだろ。と思うなら、それもいいと思います。
しかし、そのような考えを持つ会社だと、運よく研究力のある人材を確保できたとしても、いずれ流出するか、その人の能力が真に発揮されることはないと思います。これはとても不幸なことです。

研究者というのは変わった生き物なのです。いかに変わっているかが能力的に重要な職種ともいえます。したがって、ある程度変な人間であることは当たり前のことなのです。そして、この変な人間(失礼)の生態を把握して、この種の人間が生息しやすい環境を構築することは、企業が躍進する上でかなり重要であると私は思います。しかしながら残念なことに、現状、日本企業は研究者の力を引き出す仕組みをうまく作れていないと思います。

この記事を読んだ人は、もしかしたら単なる愚痴のような記事だと感じるかもしれません。しかし、そのような意図はありません。研究者の生態を理解することは企業にとってとても有益です。そして、その生態を利用してよりよいしくみが構築できれば、日本企業はもっともっと飛躍できると思います。私は日本企業や日本の研究者に頑張ってほしいと心から思っています。この記事がその一助になればという想いでいます。

私も頑張るぞ!!

読んでくださいましてありがとうございました!