集団創作の壁 ゲーム制作


自分がリスペクトするゲームにロードモナークという作品がある。

このゲームは一見してなんだかわからない、面白くもなさそうだ。
可愛い女子も、メカも、イケメンもいない。

今風の視覚的な売り要素はこの作品に限り皆無と言っていい。
しかしやってみると面白い、何故か。

ではこれをもし、自分が企画会議でプレゼンするならどうする?
前例としてのたたき台はなんかあるか?
どうやってこの作品の面白味を言語化する?

答えは「無理」だ。

余程の信頼関係を事前に築いて、ようやくこのバクチに乗ってもらえる。
リスクの対価のメリットを先に支払って初めてOKが出る。
保険料を先に支払う必要がある。

こう言う信用を築けなければ集団制作はままならない。
ゆえに革新的で凄い作品は制作規模が大きいほど生まれにくい。

テトリスヴァンパイアサバイバーも同様、
結局はあんな極端に尖った物は個人で作るしかない。
その場合、個人の中にアイディアとスキルが同時に必要となる。

しかしだ。

アイディアというアナログと、プログラムの様なデジタルは真逆。
この相反する2つの性質を併せ持たないと凄いゲームは作れない。
ゲーム分野にはこのジレンマが常にある。

自分なんかは超アナログ人間で暗記が苦手であり、
固定された文法であるプログラムを覚える気になれなかった。
無理矢理に丸暗記で覚えるのに抵抗があった。
自分の本質である論理が歪んでしまう感覚があるからだ。
(この壁を突破する為にグラフィックで参加した事がある。)

男には女、女には男の役は難しいのと同様に、
どうしても他人の手を借りなければ無理な部分もあるわけだ。
このように一人だからって上手く行くわけでもない。
商業レベルのデコレーションは対価を得るには必要だ。
ベーシックで作ったゲームには今更誰も手を出さない。
アッチを立てればこっちが立たず、

結局は集団制作の規模を大きくすればつまらなくなるしかない。
発想の中央値、一般人寄りの物にならざるを得ない。
スタッフ間の伝達の過程で本来の上振れがどんどん平均に近づいていく。
アナログ脳とデジタルのギャップもそうだ。
最初の革新的なイメージは結局は平凡な着地点へと向かう。

この壁を、今のクリエイター達はどう突破するんだろうね。
また、これだから大手メーカーの作品はつまんねぇんだなと思ってる。

(ヒット作をトレスするだけってクリエイティブ要素どこ?)

おしまい

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