「自分に原因がある部分」について


結局は相対的な見栄の部分だろうと。
頭の弱い子は常にマウント取りたくてうずうずしてるワケだ。
そこに自信が無さそうにしている相手が来れば
「全部勝てる」と思われちゃうと。
自信が無いのは別に相手に対してじゃなくてもそう見えるのだ。
そうなった時に、こちらがどんな優位性を見せたとしても無理。
ワザと観ないようにするね、彼等はいつだって。
「真似だ! パクリだ! 見た事ある! とっくの昔に知ってる!」と。
「俺が上! 俺が偉い! 優れてる!」とひっきりなしだ。
大声で周囲を扇動し、力学的に潰す、浮上させまいと頑張る。
同調圧力で威圧し、負のレッテルを貼りつけてくる。
比較する人たちは関係性でのランキングを書き換えたくないワケだ。
コミュニティに於けるアイディンティティは相対的な物だから、
その場の優劣判定は実力ではなく政治が重要となると。

こういう場合は最初から威圧して、攻撃力を見せつけて行かないとダメだ。
善良そうに見えたら逆にヘイトを向けられ悪人に仕立て上げられる。
善良だと思わせるにはむしろ逆に威圧しないと無理だ。
怖いと思われた方が何故か優しいと受け止められるのが世の中だ。
見下す相手はこちらも見下しながら対応すべきだし、警戒させないと無理。
悪意を持たない限り、むしろ相手から悪意を向けられてしまうのだ。
仲良くしようと胸襟を開く相手は選ばないといけないし、愚者は潰すべき。
悪人に対しての恩情は逆効果、察しも悪いし、つけあがるだけだと。

悪意、敵意をちらつかせれば、むしろ周囲のあたりは良くなってくる。
へりくだったり我慢していた時より尊重されるように変化する。
全ての場面で結局はそういう対人バランスの中にいたわけだ。
まぁおぞましい事だが。

この無駄なリソースは成果を得るには本来必要ないものだ。
ただ、社会性に於いては最重要だろう。
例えば絵描きでも筋トレしてる人がいるが、それが作品の評価に直結する。
作者が強そうに見えれば、作品評価までがそれに引っ張られるのだ。

そういうテクニックを必要とするかしないか、矜持の問題だろう。
要領の悪い自分の生き様なのか、単に言い訳にしているだけなのか。
言葉の定義次第ではどちらにでもなるだろう。

また本分じゃない人事を尽くせば、嘘つき呼ばわりしてくる奴も出る。
本当なら自然体がいいが、結局はラベリングされて蓋をされる、
ならプロデュースする人間と本人が分離すれば効率はいいだろう。
露払いを誰かがやれば、本人は自分の成果だけを追求できると。

本当なら世界全体がもっと大らかになればいいのにとは思う。
印象、メンツ、プライドの為に人間はリソースを割き過ぎる。
垂直思考の価値観は完全に宗教戦争だし、対立軸を求めすぎると。
何故こんな刷り込みをされてしまったのか? それが疑問だ。
意図的であれば全くのムダ、生産性がまるで無いのに。

ただ自分はこうやってロジックを解明し、矛盾を指摘していこう。
多分それが役目だ。

おしまい。

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