スト6「賞金1億」e-スポーツの未来


ようやくここまで来たとは思う。

正直、社会が低迷してる中で幸福度を一点集中させれば出し抜けるわな。
(そういうのは叱られるのかも知れないが。)
どんな思惑か知らないが、まぁ思い切った財政出動だ。

しかもプロ達のマインドも磨かれている。
ちょっと過去に見ないくらい前向きで、俺の知ってるオタクじゃない。
様々な反面教師に教訓を得て来たとしか思えないくらい成熟している。
だが相変わらずマイナスの存在も見え隠れする。

そう、賞金500万かそこらの時点で中抜き構造を作ろうとした連中。
ヤドリギ利権、ああいうのが全てを潰しかねなかった。
真っ先に匂いを嗅ぎつけて、思考停止で抜こうとする。
ライセンスとか付加的な物を、まだジャンルが未完成の状況で差し込むと。
発芽前の種もみを全て外野が食いつぶそうとする。
一体誰の為の物なのか?目的が変わった瞬間、需要が消滅しかねない。
ああいう事は全てが充分行き渡った後で考える事だ。
少ない母数をわざわざ減らすとか、ダーティなイメージを作るとか、
一体何がしたかったのかと。
ソシャゲでゲームシステムの前に課金の仕様ばかり考えてる輩だ。
若者に夢を与えなければそんなモノに価値はない、何がゲームだとなる。
本当、未だにこんなマインドだと何もかもが終わるよ?
前時代の汚点の様な勘違いを見かけてしまったなと。
しかもそれを擁護する輩までいると。
アホかと。

商業的、金儲けという物は本来なら二次的な物だという感覚が無い。
後追い競合による格ゲー粗製乱造の時期は、結果的に才能を食いつぶし、
結局は劣化、低迷してしまった筈だ。
アーケードの臨場感が失われてしまい、ゲーセンはもう無い。
ゲームビジネスからキャラクタービジネスになり、方向性がずれた。
ヴィジョンのない者が狂喜して、方向性と未来を失った時期だ。
つい、任天堂の言う初心会の初心とは何なのかという考えに至ってしまう。

そう、なんだろうね、ヴィジョンの無い「自称・勝ち組」みたいな連中は。
成果を他人から奪う事ばかり考えてて、先が全く見えてないんだろう。
井の中の蛙、業界閉鎖、内弁慶の思考。
きっと子供に対しても頭ごなしだろう。何かを育てるという感覚が無い。
減らすこと以外出来ない、純粋消費者的なマインド。搾取マインド。
成功の前例を擦り、底引き網で奪ってばかりなら減るだけだ。
見下され奪われ続けて生み出す側が諦めれば、以降は奪う物も無くなる。
その結果、誰も得しない焼け野原だ。
一元的な価値観、やはり学歴競争社会は知性を破壊するのだろう。
学歴で地位を得れば、想像力の無い人間が上に来る。
パターン化して暗記して、自分で考えた事が無いのかもしれないね。

しかし、それにしてもスト5ではなくスト6とは。
大丈夫だろうか?

造形の是非はさておいて、まず立ち絵がおかしい。
みな似た様な体勢で、これまでのナンバリングの様な構えが無い。
脚の開き方で軸足が決まるし、そこから大体の動きが派生する筈。
これだとキャラ固有の技に至る動作が繋がりにくいのでは?
体勢が同じならチャカチャカと荒れた動きで誤魔化す感じ?
これまで重視してきたキャラの描き分け意識が消えたと。
パッと見そんな杞憂があったりする。

ポリコレやらリアリティよりデフォルメのデザイン性は残すべきだった。
3Dスキャンの浸透後は、きっとカウンター、リバウンドが起きる。
予想だとちゃんと人の手で作りこまれた物が復権する。
どう観てもAIにはフェチが無く、味が無い。こだわりが無い。
創作には有機的、アナログなニュアンスは常に必要な物だ。
そしてAIではまだそこに到達できない気がする。


あとは対戦以外の仕様から察するに、メタバースとリンクさせたいのか?
アバターに技を使わせる為に、あのような直立姿勢ばかりなのだろうか?
仮にそういう計画なら、個人的にはなんか違う気がする。
これを外資にさせられてるならもうちょっと抵抗するか対案を出すべき。
ちゃんとした実力者の意見をいれて、資本に忖度の無い舵を取るべきかと。
意味のある取捨選択ができ、長期ヴィジョンを描ける人材を抜擢すべきだ。
個人的には本来、日本ブランドのイメージを消すべきではないと思う。
むしろ逆に日本から海外へ浸透、感化させるべき要素だった。
未だに日本的表現への嫌悪感があるなら、向こうからは逆だと思う。
ベクトルが違うというか、どこかクリエイター不在の部分がある気がする。

それと何でもそうだが、例えば波動拳を全キャラが撃てるとしたら、
たぶんそれは価値が無くなる。
撃てるからといって、それが当たり前なら嬉しくなくなるのだ。
何でも出来るなら、結局は何もできないのと同じだと。
こういうのは最近なら割ともう行き渡ってる考え方だと思うのだが。
つまり、ああいうのはデメリットを感じてしまう。

対戦ツールとして尖らせていった場合、バランスと交換で奪われるもの。
爽快感、豪快さ、まぐれのリターン。
リスクを付加する為のレスポンスの鈍さ、脳死プレイの拒絶。
おそらく初心者には間口が狭くなるのはあるだろう。
また、例えばエフェクトなんかは派手である理由は減る。
派手なエフェクトは徐々に見飽きてくる物で、マイナス要因になり得る。
こういうのはタイトルの持続性にとってあまり意味が無い。
第一印象でのアピールポイントであって、やがて無意味になる。
つまり購入動機にはなるが、持続動機にはならない。
ツールとして定着するならばデコレーションは少なめがいい。
周回プレイがが多いほど、余計な手続きはストレスになると思う。

将棋や囲碁の様なシンプルなゲームが未だに需要がある理由は、
プレイヤー側の脳内への余白が残されているからだと思ってる。
各個人の思い入れがそれぞれ違うのがその作品の幅を生む。
作りこみが演出、エフェクトに寄って行ったらそれが消える。
脳内の余白を作り手の作為が埋めてしまう。
その部分は結局は飽和していくのではないだろうか?
匙加減、不要とは思わないが、過剰な物もいずれは慣れてしまう。
現に大人達はゲーム画面の光源による刺激にとっくに慣れてしまった。
ゲーム画面だけではもうときめかない、そしてそれは全てに言えるものだ。
価値の創造とはイレギュラーを発生させる事。
ひとつの作品の中で、プレイヤーの想像力の介入度を上げる事。
スト5はゲージ運用が複雑化して一見さんお断りの内容だったが、
対戦ツールとして見れば過去最高の出来だったと。
そして、あれをもっとシンプルにできればいいのにと思う。


今思いつく限りこのくらい。
おしまい。


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