他責は成長を止める・「呪い」の話


他責は成長を止める。
本来責任感が人を自立させ、成長させる。
試行錯誤と反省の核になる。
大人でも一人分の責任なんて自分と家族の分だけのハズだろう。
会うヤツ全ての期待に応えるのは無理というモノだ。
それぞれがそれぞれの責任を持ち合って、人間関係は成り立つと。

これが肩書主義、既得権、世襲などで狂わされている。
無責任で他責の人間が経済的カーストの上位に付くのだ。
節操のない、図々しい愚者が他人を見下す位置に付く。
経済力や生まれの上下が世界の発展を阻害、低下させていく。
本質の逆転現象、いわゆる「逆柱」となり、呪いを放つ。

自分は周りの人間に責任を押し付けられたが、どうしょうも無かった。
強者が弱者に依存する。
横から勝手にしゃしゃり出ては最初の基礎すら作らせてはもらえない。
皆何もかもすべてを欲しがり、奪おうとしては壊してゆく。
自分が食った種もみを「まだ足りない!! 嘘つき!!」と責め立てる。

俺は自責の念、罪悪感に責め苛まれ、苦しんで結局は鬱病になった。
誰一人として自分では成長せず、こちらに責任を強要してくる。
八方ふさがり。

口だけ達者な連中は無関係な俺を簡単に矢面に立たせ、
欠席裁判で弁解のチャンスも状況の説明すら与えず、干渉した。
身に覚えのない噂と理解できない状況だけ作られていく。
俺は訳の分からない閉塞感、雁字搦めにあい、身動きが取れなかった。

全員に譲歩、忖度を続けたら利害がかち合って矛盾が生じる。
何もかもを他人に期待すれば、相手は何一つできなくなる。
例えるなら引っ張られる方向が相殺されてしまうからだ。
選択肢が無い。
左右から引っ張り合えばどちらにも動けないと。

人が他人に全てを期待すればこういう現象が起こる。
依存者達が狂ってる理由だ。
一匹の鵜に対し、鵜飼が多く群がればこうなる。
誰も何も得られないのだ。

自責の人間には他責のサディストが群がってきて、負担を強いる。
毒親、フレネミー、ストーカー、個人個人の期待に応えていれば終わる。
彼等の際限のない要求に応えるのは不可能だ。
最終的には完全無欠の人間しか認めない。
何をどうやっても不満を持つからだ。
それ故にキリストは磔にされたのだろう。

だから俺は責任を放棄した。
無理がある。
会う奴全員の尻拭いなんてできる物かと。
いくら要求されても無い袖は振れないんであって、むしろ返せ。
これまで奪った物を俺に返済しろと。

温情も忖度も期待するな。
自分の分は自分で支払え。奪われた俺の分も支払え。
かけられた呪いを返して行こう。

俺の鬱病が回復するにつれ、依存者だった親父は鬱になっていく。
俺に軸足を置いたアイディンティティが崩壊し、何も判らなくなったと。
不当な自尊心、息子にとっての神であった自分が消えていくのだろう。
面白い現象だ。

押し付けられた責任は当事者たちに返して行こう。
ネットストーカー、親元地元の貴族達。
ホラ吹きデマ軍団。

ホラ、呪いを返すよ。

おしまい。

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