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「と」から「の」へ、他人事から自分事になる慈悲の精神/仏教、写真

読ませてもらった本の中で川端康成さんが

「美しい日本の私」と言われたことについて

書かれてありました。


この日本「」私という言葉が素晴らしく

日本「」私ではなく

日本「」という所が大切なのだと

書いてあります。

何故なら


」であるならば「私誰か」という体外的な

個別した自分から離れた言い方になります。

ですが〇〇「」私ならば1人1人離れて

いるように見えるけども

本来は皆1つであると言う

意味合いになります。


お釈迦様は生きとし生けるものを

偏って愛したり憎しみ持つことは一切なく

怠け者や真面目な努力家にも

人権差別など勿論せず

慈悲の心で教えを説くと

法華経には書かれています。


お釈迦様は私「」貴方ではなく

私「」子であるとおっしゃいます。


どんな人でもそんな慈父の思いで思ってくださる

最上の存在です。


ですが、私達は中々完璧にはいきません

嫌な奴がいれば腹も立ちますし

憎しみを持つこともあります。

誰かだけは愛すけど

この人は嫌いだと どこかで差別しています。


富士山もエベレストも直ぐに登ることは

出来ませんし、トレーニングを積み

必要最低限の荷物だけを持たなければ

山頂には登れません。


お釈迦様のような心になるのも

それなりの事をしていかなければ

到達することは出来ない事は

読んでいる方は理解されているかと思います。


なのでまず一歩として

周りにいる大切な人を慈しみ

苦しんでいれば話を聞いたり

優しい言葉をかけたり

慈しみを持って相手を観たりしていくことで

沢山の人に対してお釈迦様の様な心に

いつかはなり、先程の


」から「」に

変わっていくのではないでしょうか。




私の悲しみなんかわかるわけない

相手の悲しみなんか所詮 他人事

と突き放し孤独に溺れている方もいます。



そんな話を聞くと とても悲しくなりますが

本来、私達の心は別け隔てなく人の悲しみを

自分事のように悲しむ心を備わっています。

誰もがそんな心を持っています。


それが慈悲なのです。


それが諸法無我なのです。




まず自分ができる事から貴方自身が実践行動

移す勇気を持って「悲しみを慈しみ」

変える努力をされたら

冒頭の川端康成さんの言葉の様に

」から「」に変わり

この世は調和して平和にはなるのではないかと

思います。


當にこんな時代だからこそ

他人事から自分事に
の精神が

急務ではないでしょうか。


























































































































































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