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世の中にたった一人だけでも認めてくれる人がいたら十分に生きていけるよね?自分のnoteの熱烈なファンは何人いますか?

人は、自分に対する他人からの何かしらの評価を望むものです。人間は欲張りなので、その評価は際限のないものとなりがちです。「しかし、それは、この世でたった一人だけでもいれば十分ではありませんか?」というのが、今回の話です。最後までお読みいただければ幸いです。


今から13年以上前の2008年に、東京で「秋葉原通り魔事件」という悲しい大量殺人事件が発生しました。きっと覚えている方も多いはずです。

この事件は100%加害者が悪いです。

しかし、事件の背景を調べますと、加害者にも同情せざるを得えないところが出てきます。賛否両論あるでしょうが、調べれば調べるほど「人の正常な成長には母親の愛情が不可欠である」ということがわかります。

なお、当時、ネット上では加害者が英雄視されることがありましたが、私は全く同意見ではありませんので勘違いしないで下さい。あくまでも育った環境に同情するというだけです。


加害者の加藤智大被告の生い立ちに一番欠けていたものは、母親の愛情です。そして、ネット上にある情報が100%正しいならば、あれは母親から被告への虐待です。もし加害者が正常な母親の愛情を受けて育ったならば、あのような残忍な犯罪は起こせなかったはずです。

世の中には両親などから虐待を受けて育つ子供たちは大勢います。その子供たち全員が、決して大人になってから犯罪者になる訳ではありません。ほぼ全員がまともに育っているはずです。ですから、人の幼少期の悪環境が、必ずしも犯罪者を育てるとは言っていません。

しかし、もしこの世でたった一人だけでも加藤智大被告を認めていたならば、もしたった一人だけでもまともに彼を愛していたならば、あのような悲しい大量殺人事件は起きなかったのではないでしょうか?

自分の周りにたった一人だけでも自分を評価してくれる人がいますと、そう簡単には悪いことはできないものです。


それで、ここから本題に入ります。

noteで記事を書いていますと、意外と評価されないことが多いので落胆することも多いかもしれません。

でも、その評価で大切な点は、果たして「数」でしょうか?それとも、「質」でしょうか?

私は、たった一人の熱烈なファンがいましたら、それで十分続けられます。


長年noteやブログで記事を書いていますと、それなりの読者数を求めるようになります。でも、大切なことはやはりその「質」だと思います。

正直なところ、通りすがりの50人の読者よりも一人の熱烈なファンの方がうれしいです。

noteの熱烈なファンと言えば、「毎回スキを押してくれる方」や「コメントをして下さる方」がそれに該当するはずです。


私の場合、最近は、スキやコメントだけでなく、有名クリエーターの方々に記事を取り上げていただくことも出てきましたが、単なる一過性のものかもしれませんのであまり気にしていません。

それよりも、やはり、熱烈なファンの皆様の方がずっと重要です。


子供の頃の熱烈なファンは、自分の母親でなければならないと思います。ですが、ある程度大人になったならば、血の繋がらない真のファンがほしいものです。

それが自分の配偶者や身内なのか、それとも一度も会ったことがないネット上の人物なのかは人それぞれでしょうが、ネットで記事を書いている以上は後者が望ましいものです。


以上です。

今日も時間がなくなってしまいましたが、言いたいことが少しでも伝われば幸いです。クリエイターの皆様が、noteで記事を書き続ける意欲が多少なりとも湧いていただければ、この限りではありません。また、生きることに疲れてしまった方々の支えになる記事になれば、この上なくうれしいです。


ちなみに、グーグルで「たった一人 フリー素材」と検索しますと、以下の画像が出てきます。これを見る限り、やはりファンが少ない個人やグループが多いのかもしれません。

たった一人 フリー素材

最後までご覧いただきありがとうございました。

たった一人

ありがとう

だいすき


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