〜トマス・ピンチョン『ブリーディング・エッジ』 4〜

今日はいい陽気である。毎日がこんな調子なら気分がいいかもしれない。朝の送り出しも、少々の揉め事しかなかった。それは、出発時間だというのに下の子が、380円の集金を所望し、なんとか用意して、出発したと思いきや戻ってきて、帽子を所望し、探して見つけて、またでてったと思ったら戻ってきて、ハンカチティッシュの入った入れ物のようなものを所望し、一回で言えー、となった程度。この程度、昨日の忘れ物に比べたら、なんてことはない。

陽気が良くなると、少々込み入った本も読みたくなる。『ルネサンスの魔術思想』をまとめようか、『身振りと言語』をまとめようか、少し迷ったけれども、トマス・ピンチョンの『ブリーディング・エッジ』を再開することにした。去年から止まっているディケンズの『オリバー・トゥイスト』はどうしたと言われそうだけど、映画を見て、ある程度わかって、パラパラとめくって、大体わかったので、あらすじをまとめる作業と毎日のつぶやきを載せるだけなら、もういいかなと思って書いてないだけ。

「新書を整理する」シリーズも、なんの気無しに始めたものなのに、ビュー数が高い。それなら、もう少し続けてもいいかなと思って、一応新書も7冊用意はしてみた。ただ、その中には最近買ったものも含まれていて、それだと本当にまだ未読なものもあるので、少し時間がかかってしまう。だから、色々考えた結果、『ブリーディング・エッジ』に戻った。

久しぶりに読むと、とても楽しい。以前書いたところにあらすじはあるので、再開がスムーズだ。長編はどうしても途切れると、それまでのストーリーや人間関係の理解を忘れていることがある。それが、難点だった。noteに読んだまとめを書いておくと、もちろん読んでもらえるということもあるのだけれども、自分で読み返す時にも便利だ。他のブログサービスでもいいのだけれども、今は、noteのインターフェースが一番使いやすい。

あらすじ

マキシーンは、カウンセラーのところに行き、施術と話をちょっとした。カウンセラーはタリバンの蛮行について憤慨し、その後自分の見たい番組について熱く語った。

それが終わって、マキシーンは、ママ友のヴァーヴァの子どもフィオーナと、自分の次男を連れて家に帰った。フィオーナたちはリビングで、バイオレンスなヒーローアニメと、ベータ版として支給されたゲームに興じていた。

そのゲームは、街で悪いことをしている人を見つけると、銃で撃って、画面から消すというもので、マキシーンが暴力はダメよというと、フィルターかけてあるから大丈夫だよ!というので画面を見ると、銃で撃たれた犠牲者は血も流さず画面からフェイドアウトする。スーパーのものをつまみ食いしているだけで、銃で撃つので、そんなことで撃っていいのというと、だってメチャクチャ食べてるんだよ!といい、ホームレスの人だったり理由があるわよ、というと、ヤッピーしか出てこない仕様になってるよ!と言い返される始末。

道場に行っていた長男が戻ってくると、インストラクターの話になる。インストラクターは元モサドの一員だという噂があり、それを無遠慮に聞くと、本当のことを言ったら殺さなきゃいけなくなる、と言われたりするという。

ママ友ヴァーヴァが帰ってきて、フィオーナを迎えた。雑談の合間に、ヴァーヴァの夫が新たなゲームに関与し始めたこと、その協力者とヴァーヴァが若干怪しい仲になっていること、そして人気の人形の転売ビジネスにヴァーヴァ自身も関わっていること。そしてそれらの背後に、マキシーンが調査する対象がいて、怪しい動きをしているということを理解する。

感想

90年代末の固有名詞が散りばめられた『ブリーディング・エッジ』は、固有名詞に対するコンテクストを共有していると面白く読めるが、コンテクスト外にいると、たちどころに呪文のように見えてくる。そういう意味では読みにくく、読者を選ぶ。

登場人物も多く、ある程度人物像を表象しないと、覚えられない。なので、マキシーンはとりあえず、メガネをかけたクリスティーン・テイラーにやってもらって。

それにしても、です。

月曜日の祝日は、たまたま茗荷谷に仕事できていて、スタバに入ったら、黒のシャネルスーツを着た女性たちが座っていて。なんだろうと思ったら、小学校に入るためのお受験塾のようなところに通わせているお母様のグループだった。

「なんか〜お遊戯の途中で、ママがいいって泣き出しちゃって〜」
「あるある!よくあるよね」
「色々となだめすかしたり、おだてたりでなんとかやらせて〜」
「大変よね〜」

上品なスーツスタイルと言っていることのエグさのギャップにクラクラきた。

まあそれも文脈次第だなあと思いつつも、埼玉県議の「子どもだけ留守番」などの項目を虐待とする云々のニュースが流れている最中だったので、これも虐待じゃないのかー、と軽口を叩きそうになってやめた。

見守りすぎても過干渉だし、放置しすぎてもそれは良くないし、炎天下に車の中に放置するのはやっぱり虐待だし、虐待に当たる内容の精査をすればいいだけの話だったと思うけど、どうしてあんなに極端になってしまったのかわからない。

早い段階からお受験準備のために子どもをあれこれと社会の中に放り込むのも、あの立場からすると愛情の欠如に当たるんじゃないかーとも思ったし。愛情って、送り手と受け手の間の意味共有がないと、ありがた迷惑だったりするし。

だから自分は、愛情って、愛情の強度があれば必ず伝わるってもんでもなくて、愛情とはなんなのかの共有を親子間で常に確認し合う行為が愛情じゃないかと思ってる。これは愛情だから!と嫌なことを無理やりやらされるのって、自分の愛情の強度に自信がありすぎて、相手と話してないよねって思っちゃう。

自信がありすぎる自信の根拠って、ただの記述的根拠にすぎなかったりするよね。

この記事が参加している募集

#読書感想文

192,504件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?