パッパルデッレ

50歳の太ったおじさん。ゴミ屋敷を片付けたい。料理やワイン。時々、本を読んだり美術鑑賞…

パッパルデッレ

50歳の太ったおじさん。ゴミ屋敷を片付けたい。料理やワイン。時々、本を読んだり美術鑑賞。自分が亡くなったあと、子どもたちが私を思い出しながら読んでほしい内容を書きます。ちょっとリアルは「感想」の中に。

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誰に向けて、なぜ書いているか

冒頭にアンカーする記事を書いてみよう、ということで、わざわざ時間を使って、何を誰に向けてなぜ書いているのか、について書いてみようと思う。 まず、誰に向けてなぜ書いているかというのは簡単だ。自分の子どもたちに向けて、子どもたちが大人になって、自分が亡くなっていて、父のことが知りたければ読んでほしいと思って書いている。要するに遺言や遺書の類というわけだ。 私の父はすでに80を超えていて、昔から自分の父母(私にとっての祖母)のことを書くといっていながら、まったく書くそぶりをみせ

    • 2024.09.30 ~秋の風と魚津と「押絵と旅する男」

      退院してみたら、ずいぶんと外は秋の風だった。松本市にいたころは、こうした空気が流れると、直売所に行って、秋の食材を買い付けたものだけれど、今はそうもいかない。 今年はさんまが豊漁ということで、確かに若干安く、買ってみようかなんていう気になる。けれど、今日は止めた。 夏の終わりがもっとグラデーションのようだったら、と思う。冬から春になるときのように。この季節の匂いというものをもっと上手に描き出せればと思う。 本来は、今日が退院日だった。その想定通り、傷の痛み、痒みは、大幅

      • 『エッフェル塔試論』について

        芥川賞作家の松浦寿輝は、かつて、表象の歴史を記述していたことがある。 私からすると、表象文化の研究者が芥川賞もとってしまった、という流れで記憶されているのだが、昨今では松浦の過去の作品は、再発見されるために存在しているのかもしれないと思うくらい、過去のものとなっている。 『平面論』『表象と倒錯』『エッフェル塔試論』の三つが、松浦の代表的な表象史に当たるわけだが、私がこの中で一番好きなのは、『エッフェル塔試論』だ。 『エッフェル塔試論』の面白さは、誰も「エッフェル塔」を「

        • 遠藤周作のマゾヒズム 〜遠藤周作「月光のドミナ」〜

          遠藤周作と言えば、神と人間の関係、西洋と東洋の関係について、シリアスに思考した作家という印象が強い。 それはそれで間違ってはいないが、それだけが優越してしまうと、個々に突出した面白さを持つ短編を書いた作家という側面が失われてしまう。 その一つに「月光のドミナ」という短編がある。 陰気な外観をもつ日本人留学生会館に「私」が逗留することになるシーンから始まる「月光のドミナ」は、「私」がそこで知り合う絵描きの「千曲」という若い青年の告白が焦点となっている。 「千曲」は陰気な

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          手術体験

          50年生きてきて、初めての全身麻酔手術だった。幸せといえば幸せだった。胆嚢ポリープを腹腔鏡手術で取る。そう決まった。胆嚢を切ってポリープを切るのかと思いきや、胆嚢を丸ごと取るという。えー、臓器なくなるんだ、と思ったけれど、血圧の先生とか、いろいろな人に聞いても、まあ、取っちゃったほうがいいですよ、とカジュアルに言われるので、カジュアルな手術っぽいな、と思った。 手術日程を決める前に、二回検査があった。CTスキャンとMRI。癌性はなさそう、ということでホッとしていたけれど、実

          人による・手術前・手術後~ディケンズ「バーナビー・ラッジ」3~

          明日からまた入院だけど、以前と違うのは途中までは流れがわかっているということで、そのせいか、今日は以前よりも緊張せずに済んでいる。 ただ、私が流れがわかっていることを看護師もわかっているせいか、前回の手順と異なる手順が踏まれている。そういう点、なんというか、不安しかない。もちろん、順番が入れ替わっても、行き先が同じであれば良いわけだけど、その辺の匙加減はこちらにはわからない。 あらゆることは、「人による」、というのは真理かもしれない。ただ、それって、ガチャみたいなものなの

          人による・手術前・手術後~ディケンズ「バーナビー・ラッジ」3~

          2024.09.26

          先月まさかの配薬ミスで延期になった手術は、これから行われようとしている。8:00になれば準備が始まり、日記どころかタブレットに触ることもできなくなるので、それまでの時間、絶食だから朝食もないし、とくにやることと言ったら髭剃りとトイレだけなので、つらつらと書き記すことにした。 規模の大きい小さいはあるけれども、全身麻酔、腹に穴を開ける、内臓の一部がなくなる、は、それはそれでやっぱり緊張感を伴う。元には戻れないという気持ちが感傷的にもさせる。別に放蕩無頼を決め込んできたわけでも

          松井秀喜・昭和かよ・俺の読み方 ~チャールズ・ディケンズ「バーナビー・ラッジ」2~

          トイレの鏡に映ったヨロヨロ歩く自分の姿をみて、先日女子野球代表との一戦でホームランを打った松井秀喜氏も、ベースを回るときにヨロヨロ走っていたから、いわんや松井氏をや、と思ったけれど、あれは脚をけがしていて、あんな走りになったとあとから知れた。 松井氏と私は同学年である。だから何だというわけではない。 集英社ギャラリーの造本は、とてつもなく分厚い。これを集めた人が個人でいるとすれば、なんとも広い書架をお持ちであるのだろう。全20冊。私は持ち歩いているけれど、電車の中で、しか

          松井秀喜・昭和かよ・俺の読み方 ~チャールズ・ディケンズ「バーナビー・ラッジ」2~

          探偵小説の古典・ケイレブウィリアムズ・朝の調子 ~チャールズ・ディケンズ「バーナビー・ラッジ」1~

          またも江戸川乱歩で申し訳ないのだけれども、乱歩と言えば推理小説、探偵小説。それらジャンルの日本における第一人者ということになっていて、その起源をたどっていくと、そこにはディケンズがいた。あ、ディケンズ。私はひとりごちた。ディケンズの小説「バーナビー・ラッジ」の冒頭で開陳される20年前の殺人事件。これが最初の推理小説的事件と一般的には思われているみたいで、廣野由美子氏の『ミステリーの人間学 英国古典探偵小説を読む』の中でも劈頭におかれ、論じられていたというわけである。 『英国

          探偵小説の古典・ケイレブウィリアムズ・朝の調子 ~チャールズ・ディケンズ「バーナビー・ラッジ」1~

          檀一雄「花筺」

          「檀一雄亡き後、文学は死んだ」と酔って叫ぶ人物を、かつて、福本伸行は『熱いぜ辺ちゃん』の中で書いていた。 脇役の発言など、作者がどこかの飲み屋で聞いた戯れ言をただ写しただけなのかもしれず、ことほど気にしなくてもよいはずなのだが、何ぶん若かりし頃に読んだものなので、素直に「そういう考え方があるのか」と感心して、記憶の中にしまっていた。 それで、ある時に檀一雄の作品を、書店で探すことになるのだが、1995年の段階で見つけたのは、金もなかったので、文庫本メインの探索だったことか

          檀一雄「花筺」

          【創作】石永清文の令和戦記 1

          割り込んできた車のルール違反を注意しようとして、窓に近寄って行ったら逆ギレしてきたので、さっきたまたま購入してポッケに入っていたナイフをチラリとみせたらあのバカ警察なんか呼びやがって、俺はそのまま捕まった。 曲がったことが許せなくて、カンニングを疑われたあの日、やってないから言い訳しなかったら、そのまま一年留年になった。仕方がないからバイトを始めて、元来俺は真面目でオツムも良かったから、店長の真似事なんかやっていたらいつしか一年経ってしまった。2年間でほとんど単位も取れてな

          【創作】石永清文の令和戦記 1

          2024.09.21

          来週、例の手術の仕切り直しとなる。もう話題として新味もないので、あまり考えずにきてしまったけれど、今週末にとにかく面倒なイベントを控えているので、入院開始の水曜日まで、落ち着く日がない。月曜日も休日といいながら、全く休める気配がないし、何なら火曜日から上の子が行く修学旅行的なものの準備をするために、あれやこれやのモノを探さなければならない。日曜日は、朝4時起きで行楽である。暑い中、楽しむのは家族だけで、無理に気持ちを普段なら奮い立たせることはできるが、手術の面倒さに気持ちが絞

          谷崎潤一郎「富美子の足」がやりたいこと

          集英社文庫の『谷崎潤一郎フェティシズム小説集』は、なかなかよく出来たアンソロジーですね。 ここに収められている短編全てに、フェティッシュが含まれているかと問われたら、そうも言い難い部分もあるのですけれど、谷崎(大先生と呼ばせて頂きたい、大谷崎ではなく、「大先生」です)の振る舞いから、書くことはフェティッシュたらざるを得ない、という真実を会得するには、充分な内容を持つのではないかと思われます。 その中でも、「富美子の足」という短編は、圧巻です。したがって、今回は、その短編を

          谷崎潤一郎「富美子の足」がやりたいこと

          2024.09.20

          舌の根も乾かぬうちにまた乱歩かよ、と言われそうですが、一瞬、noteを不変のコミュニティと錯覚して、慌てふためいた己を恥じ、所詮、ここは公道と同じようなもので、常套句めいていて全く嫌なフレーズなのですが、さよならだけが人生だ、と思いなすことといたします。したがいまして、ここ数日のあれやこれやについては、ひとまず、黒歴史として織り込み、あと数年もすれば、きっと始めそうな別のブログサイトで、昔いたサイトでこんなことがあってね、なんていう枕から話し始めるためのネタとして織り込もうと

          アルカイックスマイル

          保育園の時に、多くの幼児をパンパン叩く寺尾先生(実名)という年配の人がいた。叩く理由は、多くの場合、感情的なものではなかったと思うが、それでもやはり叩かれると、萎縮する部分はあった。 寺尾先生は、仏像みたいな顔をしていた。 四角い頭で、パーマをかけ、お受験ママみたいなメガネで、化粧が濃かった。 寺尾先生は、容赦がなかった。 お散歩の時間に、いつまでも砂場で遊んで用意をしない子どもらを、保育園に置いて行った。その中には、下駄箱で私と鳩尾の殴り合いをした沢村君もいた。沢村

          アルカイックスマイル

          う〜ん、乱歩の連打というのも、どこか一人相撲だったのかもしれません。ショックですし、理由もあんまり思い当たることがないのですが、書いている内容が問題だったのでしょう。 さようなら。 今までありがとうございました。 Noteを去るわけではないのですが、ケジメとして。 私信です。

          う〜ん、乱歩の連打というのも、どこか一人相撲だったのかもしれません。ショックですし、理由もあんまり思い当たることがないのですが、書いている内容が問題だったのでしょう。 さようなら。 今までありがとうございました。 Noteを去るわけではないのですが、ケジメとして。 私信です。