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綾瀬まる『やがて海へと届く』を今日読む

また、この季節が巡ってきました。

忘れたわけではないのですが、普段はやはり意識の上にのぼってくることは、ありません。しかし、夜中に、速報のようなものがLINEで届けば、さすがに意識してしまいます。何ができるわけでもありませんが、少し思い出してみようと思います。

あの日、私は都心のビルの20階にいました。強く身体を振られ、壁にもたれかかりました。もちろん、ブザーのようなものが鳴っていたので地震だということは分かりましたが、私たちは、一方でセンタービルに飛行機が突っ込んだ映像を、夜中に繰り返し見たあの日のことも思い出していました。

パソコンを携帯していた私は、念のため、近所のホテルをネット予約しました。家まで帰れないかもしれないと、直感的に考えたからです。家は、当時は諏訪にあったからです。

その後のことは、皆さんも知る通りです。私の母方の祖母の姉妹も、釜石で波に呑まれてしまったそうです。会ったことはなかった親戚ではありますし、祖母はすでに亡くなっていましたから、実感はありませんでしたが、それでもどこか気持ちは沈むのを感じました。

早々に帰れないと踏んだ私は、諏訪にいた妻に「帰れない」と告げ、ホテルにチェックインし、ボーッと横たわっていました。ふと、最後の言葉が「俺は死にたくねえ」と言った父方の祖父の死に様を思い出していました。何人、自分の周りで死んでしまったのか、数えてみることにしました。ただ、「死んだ」とか「数えた」とか、何とも殺伐とした表現だ、それはイカン、という人もいるかも知れません。

死の向こう側をのぞき込もうとすることは、大きな危険を伴うからです。

暗くてでかいもの

『やがて海へと届く』は、被災体験を形にせざるをえなかった、彩瀬の苦しさがにじみ出た佳作です。彼女の本領は、こういう部分にはなかったはずです。得意でないテーマだが、やむにやまれぬ気持ちが筆を取らせたに違いありません。

主人公の「湖谷真奈」は東日本大震災の直前に旅行に出かけ、それ以来帰ってこない親友の「すみれ」をずっと待っていました。しかし、三年が経ち、「すみれ」の恋人だった「遠野敦」から、形見分けの相談を持ち掛けられます。静かに憤慨する真奈。「すみれ」の実家を訪れ、母親の態度に違和感を覚えたり、恋人だった「遠野敦」が「すみれ」の死を認めようとすることに苛立ったり、気持ちが定まりません。

そんな折、「湖谷真奈」の勤め先の上司だった「楢原店長」が、別店舗への転出直前に自殺してしまいます。しかし、死の直前に店へと電話してきた「楢原店長」とは、「湖谷真奈」は短い普通のやり取りを交わしていたのです。「楢原店長」は、「湖谷真奈」にとって包容力のある上司でした。それがなぜ…

二つの不可解な死への向き合い方にとまどう「湖谷真奈」は、厨房の先輩「国木田」と、気分転換に彼の生家である埼玉県の旅館を訪れます。そこで窓の外の暗闇を見ながら、珍しく「国木田」先輩は言葉を続けるのでした。

夜になると、窓の外は灯り一つなくて、なんにも見えなくなる。季節によっては、鳥や虫の声も聞こえない。自分の目や耳がおかしくなったのかってぐらいなんにもない、真っ暗な壁になる。見てて、面白いもんじゃないし、なんか暗いもんが迫って来るみたいでいやでさ。子どもの頃から、だいたい日が暮れたら雨戸を閉めっぱなしにしてた

そして、

いつだったかな、先輩から煙草をもらって、吸い始めたとき。あんまりなにも考えずに、換気のために雨戸を開けた。百円ライターで火をつけて、とりあえず外を見ながらくわえてた。味がしねえとか、よくわからんとか、最初はそんなだったな。けど、ふかしてるうちに先の部分がぽっと明るくなるのが面白くなってきた。火っていいもんだなって思ったよ。小さくても火を持ってると、目の前に迫ってくる暗いもんの圧力がゆるむんだ。落ちついて、それがなんなのか目を凝らして見られるようになる。逆に、なんにも持たずに暗くてでかいものを覗き込むのは危ないんだなっていうのも、わかった


「死」という「暗くてでかいもの」を「なんにも持たず」に「覗き込」んではいけない、と私も思います。なぜなら、生への距離感や方向感覚を失うからです。

私も、学生時代にダイエットのために、ジョギングを毎日していたことがあります。田舎に帰って、いつもの時間である21:00にジョギングをしようと家を出ました。山裾を一周すれば、ちょうど30分くらいだろうと思って、走り始めたのです。すると、すぐに街灯がなくなりました。周りは山と、小さな川と田んぼと牛を放牧する草むらがあるだけでした。

まだ、携帯電話もなかった時代です。虫の音だけでなく、犬の吠える音が、大きく聞こえました。川の音が、たいした大きさではないのに、やけにうるさく聞こえます。めちゃくちゃ怖いと思って、歩いて帰ろうとしましたが、どこに向かっているかわからない。そんな経験でした。

死という深淵を覗き込む時の方向感覚の喪失を経験した瞬間でした。

震災から12年経って


彩瀬まる自身もまた、仙台から福島へ向かう中で、震災に遭遇した経験を持ちます。『暗い夜、星を数えて 3・11被災鉄道からの脱出』に、それは書かれています。

あまりの惨状に遭遇した、その体験は「暗くてでかいもの」だったに違いありません。そして、なぜ自分は生き、別の人は亡くなったのか、という問いをダイレクトに考えることは「なんにも持たず」に「暗くてでかいもの」を「覗き込」むことに等しい、と考えたのではないでしょうか。

「覗き込」むためには、「火」のようなものが必要なのです。その「火」が、体験から距離を生むための言葉であることは間違いありません。私が「死んだ」や「数える」という言葉を使うのは、単純に「国木田」の言う「火」が自分には必要だからなのです。

お前の話はもういいよ、と言われそうです。そして、実際に言われているからたまったものではありません。私も、「国木田」先輩のように、黙って聞くことのできる男になりたいものです。それにしても、女性がキャリアを積み上げるためのロールモデルも、この社会には少ないものですが、女性からみたありうべき男性のロールモデルも、この社会では希少です。「国木田」先輩のような存在は、そのロールモデルの一つなのかもしれないですね。

さて、『やがて海へと届く』は、死者の弔い方の物語であり、大規模な死に直面した時の生者の姿勢を示してくれる物語でもありますが、感心するのは人間の意識の襞へと入り込む彩瀬の筆致です。良い人そうなのに自殺してしまった「楢原店長」について、

わずかに倦んで、生温かい、内側にかくまってくれるようなお店を作る人だった。もしかしたら楢原さんの人当たりの良さは、なにかしらの病をはらんだいびつなものだったのかもしれない。でも、特別で、奇妙な魅力に満ちていた。

と、「湖谷真奈」が評する部分があります。この「人当たりの良さは、なにかしらの病をはらんだいびつなものだったのかも」という一節に、私はなんとも感銘を受けました。言葉を用いて、どう、この感銘を具体化したらいいのか、迷っています。いずれにしても、40を超えると、たいていの人はいびつになるものだから、そのいびつさをもっと認めて生きてゆこうと思いました。

偶数章はいつ読むか

さて、最後に触れたいのは、『やがて海へと届く』の偶数章を、いつ読むか、という問題です。これがなぜ問題なのかを知るためには、ぜひ、第3章くらいまでを読んで頂かなくてはなりません。

本書は、14の章から成り、偶数章はとりわけ重要なものだからです。私は、4章でアッとなり、それ以降はザっとしか読めていません。

もちろん、1→2→3・・・nと順番に読んでいってもいいでしょう。しかし、あなたが私の心身のように弱っていたら、「8」あたりで、きっと泣いてしまいます。なので、奇数章だけをまず読み、そして、偶数章をおそるおそるたどっていく、という読み方をしてみるのも、おススメだと思います。

泣く、泣くと言っていれば、きっと免疫や抗体ができて、泣かないで読めることでしょう。私は、それを期待して、わざと「泣く」と書きつけているのです。そして、『やがて海へ届く』は、泣かせようと思って書かれている本ではないことが、より悲しみを増幅させるのでしょう。

大事なことなので、繰り返します。泣かせようと思って、書いた本ではない。泣くよりも、前に歩かせようと思って書かれている本なのです。

私も、先の暗闇エピソードの大学生時代は、岩手の実家に帰るために、常磐線の各駅停車を用いて帰省していたので、他人事ではありません。

ホームから海が近く見える距離感の駅で、しばらくボーッと乗り換えを待っていた記憶があるのですが・・・どこの駅だったか、忘れてしまいました。もう一度、常磐線の各駅停車で、故郷の岩手に向かってみようかと思います。

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