「血で以て巫山戯た了見を洗った時に、第一義が躍然とあらわれる。人間はそれほど軽薄なものなんだよ」夏目漱石『虞美人草』第五章

宗近くんと甲野さんパート。京都から亀岡に出て、川下りをする。この道中で交わされる議論。果たして、作中にどのような位置を占めるのか。これは案外わからない。

時間稼ぎの捨てカットのような気もするし、小野と藤尾の物語に対する小説内言及のような気もするし、二つを併せ持ったものだということもできそうだ。もちろん、『草枕』のような議論の前景化が目的なのかもしれない。

2人はおそらく天龍寺に行き、夢窓疎石に対して、お互いに言及しつつ、天下国家の議論を端的に行う。哲学者の見る世界と外交官志望の見る世界。形而上と形而下。疎石は、鎌倉末から南北朝初期にかけて生きた僧。僧は今でいう知識人だ。天龍寺船を献策し、ファイナンスの才能もあった。

疎石の開山と言えば、私は信玄の菩提寺である恵林寺を思い出す。あれはそばにあるキザンワイナリーに寄った時たまたま訪れた。ただ、これは大したものだと、その時は思った。なぜ、そう思ったのかわからない。寺は一方で結界、一方で要所の守りになる。なるほど、いい土地にあると思った程度のこと。庭園もいい。

そんな書生めいた感想を、宗近くんは笑う。茶器を愛でるか、京女を愛でるか。宗近くんは、茶器をいじる甲野さんの腕を引っ張り、茶器を割ってしまう。そんなのにもお構いなしで、京女を見ろという。

2人は、天龍寺を出て亀岡に向かい川下りをする。保津川下り。宗近くんは、夢窓国師よりも、こっちの方が上等だろと、甲野さんに言う。動と静。2人は対照的である。

何か伏線が貼られていたり、イメジャリーが色々と散りばめられたりしていそうだけれども、最後まで読んで答え合わせをしたい。

この保津川は、『門』の中でも出てくる。お米の元カレ安井と一緒に宗介は、保津川というか禅というか、このあたりを案内されて、色々知った。その際に、安井は、臨済宗の分派黄檗宗の理解を深めていたように思われた。黄檗宗は、明治初期に無理に臨済宗に吸収されそうになったり、色々あったけれど、一般的にはそれほど内容は相違ないと思われている。

例の恵林寺も臨済宗だけれど、黄檗宗から人を呼んでいたりする。漱石が、そういう意味では臨済禅にある種の理解が深いことは、『門』のずっと前に出た『虞美人草』の中にも伺えると思って、この章びっくりした次第。

そんなことを考えていたら、イトカズさんのラジオで黄檗宗の話をされていて、おおセレンディピティ、と思った。

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