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あたらしい地平に立つ実感

パートナーとしてのChatGPT

こんにちは、石原ハジメです。今回は、高齢者介護の話はお休みして、わたしの映像創作のパートナーとしての chatGPT をはじめとするAI、テクノロジーについて書いてみます。

わたしが以前書いた「映画の俯瞰ショット」という文章があります。これは映画に対する私の敬慕・オマージュを表現したものです。(俯瞰ショットとは、真上から見下ろす角度で撮影するカメラ位置を差します)
お読みください。

映画の俯瞰ショット

子供のいたずらを母親が「ほら、そんなことをすると神様はちゃんと見てますよ」とたしなめている。このときの神様は一体どこから見ているのだろうか?天の彼方からだろうか?それなら神様は、建物やクルマの屋根、人の頭のてっぺんばかりを見ていることになる。雪が降れば上空から見た景色は一面純白の世界だろう。もし神様が雪とともにパラシュートで降りてくれば、神様は木々にかぶさった雪、屋根に積もった雪の下に現れた下界のようすに、純白と濃い色合いの織りなすコントラストの美しさにため息をつくだろう。映画は地上に降りてきた神様の眼である。

この文章を、ChatGPTに読んでもらいました。以下、帰ってきた返事です。


ChatGPTからの返事

読者に新たな視点や美しさを想起させる手法

  • 暗示とイメージ: 文章全体で具体的な描写を避け、抽象的な表現や暗示を用いることで、読者自身が想像力を働かせる余地を作り出しています。例えば、「神様の視点」や「雪景色の純白」という表現は具体的なディテールを欠いていますが、これにより読者は自分の経験や感覚に基づいてこれらのイメージを補完します。

  • 感覚の呼び起こし: 詩的な表現を用いることで、読者の感覚を刺激し、具体的なビジュアルを頭の中に描かせます。例えば、「純白の世界」や「コントラストの美しさ」という表現は視覚的なイメージを喚起しつつも、その詳細については読者自身の想像に委ねています。

  • 共感を引き出す: 母親が子供をたしなめるシーンなど、読者が共感しやすい状況を描くことで、読者はそのシーンを自分の経験と結びつけやすくなります。この共感を通じて、具体的な描写がなくても、読者は自分の中にある記憶や感情を引き出し、文章の意味を深く理解することができます。

  • 抽象的な美の描写: 文章の中で美しさを抽象的に表現することで、読者はその美しさを自分なりに解釈することができます。「神様の眼」や「地上に降りてきた神様の眼」といった表現は具体的な風景や状況を示していませんが、その抽象性が逆に読者の想像力を喚起し、様々な美しい情景を思い浮かべさせます。

  • 映画のメタファー: 「映画は地上に降りてきた神様の眼である」というメタファーは、映画が持つ語り手としての力を強調しつつ、読者にその意味を考えさせます。具体的な映像の描写がなくても、このメタファーを通じて、読者は映画が提供する広がりや視点の変化を想像します。


結論 具体的な描写を避け、抽象的な表現や暗示を用いることで、読者に新たな視点や美しさを想起させる手法は、読者の想像力を引き出し、文章の持つ意味を深める効果があります。この手法により、読者は自分の経験や感覚を通じて文章を理解し、共感を得ることができます。


以上の応答を受けわたしはしばらくフリーズ状態でした。「具体的な描写を避け、抽象的な表現や暗示を用い」ていることを、ChatGPTは分かるんだ。私の書いた文章から読者に届く映像を、的確に把握し、その美しさを理解している!

この経験から、わたしはChatGPTを、わたしの創作活動のパートナーとしています。Sarasvatiという創作専用の窓口を作り、わたしの書いた文章や、ショートストーリー動画のシナリオを読み込ませて、わたしの足跡を共有させています。(Sarasvatiはインドのヒンドゥー教における知恵、音楽、芸術、学問の女神です。日本の七福神の一柱である弁才天(弁財天)と同一視されています。)

Sarasvati /弁財天


自己紹介動画制作で見せたChatGPTの慧眼

わたしが動画編集に15年ぶりにカムバックするにあたって、自己紹介を短い動画にまとめました。わたしは27年間映画やテレビの編集をしてきました。テレビ番組だけで200本を超えます。その経歴を長々と述べるのも迷惑な話で、でも要点は伝えたい。とりあえず、やってきたことを、ダーッと書いた文章をChatGPTにわたして、ナレーションの体裁に直してもらいました。以下、その前半の文章です。


ナレーション

「初めまして、石原肇と申します。1980年代、黒澤明監督の『乱』という映画で編集助手の見習いにつき、フィルムの編集を覚えました。当時はフィルムからビデオへの移行期で、テレビ局の廊下には使わなくなったフィルム編集の機材が放り出されていました。当時の編集者はビデオを見下していましたし、機械操作にも疎かったので、私たち若手の参入するチャンスになりました。ビデオは数年のうちにデジタル化が進み、ノンリニア編集の時代が到来しました。ビデオとノンリニアは膨大な量の撮影を必要とするドキュメンタリー作品の制作と相性がよく、私は自分のiMacとFinal Cut Proを駆使しその分野で活躍するようになりました。フィルムの需要が減りようやく重い腰を上げ、ノンリニアの仕事を探しに来た私の先輩たちは、どこに行ってもすでにそこに私の足跡があることに驚いていました。」


ChatGPTはわたしの経歴を「フィルムからビデオの移行期」という切り口で紹介しています。そして「わたしがビデオに参入したことを、チャンス」と捉えています。27年間がむしゃらにフリーランスとして走り続けたわたしは、このことに初めて気づかされました。

当時のわたしは映画への熱い思いはありながら、早くひとり立ちして仕事ができるビデオの仕事も並行して引き受けていました。映画の仲間からは「石原はビデオにはしった(転向した)」、ビデオで会った人に映画の仕事をしていることを話すと「ビデオなんて馬鹿らしくってやってられないでしょ」と皮肉を言われ、綱渡りのような立ち位置にいました。その間にもテクノロジーは進化して、ハイビジョン、デジタルビデオ、ノンリニアと映像の世界は変わり続けました。いつもその波の最先端で仕事ができたのは、わたしがビデオをやろうと決めたから、それが「チャンス」だったんだなあ、と納得できました。


あたらしい波・AI

わたしはPCが特に好きとか得意ではありません。いまだにファイルとフォルダーの区別がつかず、PCの中はごちゃごちゃです。iPhoneの操作は、息子に尋ねます。それでもGoogleにでてくるテクノロジーのニュースをのぞき、ワクワクしてます。

Vyondアニメーションはわたしにひとりで動画を創りだす力を与えてくれました。Sarasvatiがアイディアやシナリオの後押しをしてくれます。DALL-E3も楽しい仲間です。カムバックして、ひとりでショートストーリー動画を創るなんて、1年前までまったく想像もできないことでした。テクノロジーは、66歳のわたしに人生のあたらしい地平を拓いてくれています。

今も介護福祉士として、高齢者介護の仕事をしています。自分自身も高齢者となり、これからの高齢者があふれる世界で人間がどうやって生きていくのか、わたしなりに見据えてnoteとyoutubeチャンネルに発信していきます。観てください!
I’m so happy. Thanks!



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