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コーヒーと私の "Little secret place"

「スターバックスって何?」

齢80になろうホストファミリーからの一言はちょっと衝撃だった。

私は大学の夏休みを使ってフランスに短期語学留学に来ており、80歳のマダムが一人で暮らしているお宅にホームステイしていた。この日の食卓の話題はコーヒーだったのだ。

「アメリカには "本物のコーヒー" がないのよ!」

マダムのいう"本物のコーヒー" というのが何かは計りかねていたが、おそらくエスプレッソのことを指していると思う。フランスでコーヒーと頼むと出てくるのはエスプレッソだ。

日本で一般的なアメリカンコーヒーは「カフェ・アロンジェ」。直訳すると「薄めたコーヒー」。私は頼んだことがないのだが、フランスのカフェでは本当にエスプレッソのお湯割りが出てくるとか、こないとか。

マダムは、かつてアメリカに行った時に、マダムの愛する "本物のコーヒー" がないとお怒りだった。

「ところで、日本には "本物のコーヒー" があるの?」

"本物のコーヒー"の定義に今一つ自信がなかったので、私はしどろもどろに答えた。

「スターバックスの店舗は結構ありますけど…」

そして返ってきたのが冒頭のセリフだ。

「スターバックスって何?」

◇◇◇◆◆◇◇◇

私がホームステイしていたのは、地中海に近いフランスの南、モンペリエというところだった。

フランス最古の医学部を持つモンペリエ大学がある、学生の多い街だ。サッカーのクラブチームがあるのでサッカーが好きな人は聞いたことあるかもしれない。

西に電車で4時間行けばスペイン・バルセロナ。東に電車で3時間行くとニースがあり、少し先はもうイタリアとの国境。フランスの地中海沿岸のちょうど真ん中ぐらいに位置している。

その時初めて気がついたのだが、私はモンペリエに来てからスターバックスの店舗を1軒も見ていなかった。(※注)

翌日、語学学校のクラスメート達にその話をしていると、こんな言葉を返してくれた人がいた。

「そういえば、モンペリエってフランスでも屈指のカフェ密集地らしいよ。」

フランスの他の都市と比べて実際どうなのか分からないが、確かにモンペリエの街はカフェが多かった。

モンペリエは、街の中心にコメディ広場という大きな広場が位置している。

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早朝はひっそりとしているが、昼になると外に椅子とテーブルが並び、多くの人で賑わう。

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そして広場のみならず、この街は歩いていると至る所にテーブルが出ている。それぞれレストランだったりカフェだったりする。

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モンペリエに滞在していた数週間、室内のテーブルに座った記憶がない。

地中海から路面電車で約30分のこの街は、365日中300日以上は晴れていると言われる、温暖で太陽に恵まれた場所なのだ。

雲ひとつない夏のモンペリエの空の色に、淡いクリーム色に統一された街並みがよく映える。

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湿気がないので、夏でもパラソルや木の陰に入ると涼しい風が吹く。

だから晴れた日はみんな外のテーブル席で、パラソルの陰に入って涼しい風を浴びながら休む。スターバックスがなくても、コーヒー1杯で休めるところが街の至るところに溢れている。

モンペリエのカフェは大体どこのお店も、コーヒーすなわちエスプレッソが当時1杯約1.5ユーロだった。 これがドリンクメニューで常に一番安い。ユーロも今より安かったので、日本の自販機の缶コーヒーの値段に少しプラスした価格で、入れたての本格的なエスプレッソが飲むことができた。

ちなみに、エスプレッソは必ず砂糖の袋と共にサーブされる。当初よく分からずにそのまま飲んだら胃への刺激が強すぎて、現地の人がこれを1日に何杯も飲んでいるのか不思議だったが、その答えが砂糖だった。砂糖を入れると苦味が減るだけではなく、ギュッと濃縮されたコーヒーの刺激がマイルドになり、豊かな香りだけを残して、スッと体の中に消えていくのだ。

安く済ませたければ "コーヒー" でカフェインと糖分をサッとチャージすることもできたし、ゆっくりしたければミルクのたっぷり入った容量の多いものも頼める。ご飯もしっかり食べれる。それがここでのカフェという存在だ。

カフェが特に多いように感じたのは、コメディ広場から小高い丘に向かって広がる、19世紀に作られた旧市街だ。

大きい通りが数本通っていて、その間を車がギリギリ通れるかという細い路地が毛細血管のごとく張り巡らされている。

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細い路地を抜けていくと、ちょっとひらけたところに出て、また外にテーブルが並んでいる。

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旧市街には、こういうカフェがたくさんあるのだ。歩いていると新しい発見があり、別日に同じところに行こうとすると迷ってまた新しいところに巡り合えたりする。

旧市街の散歩はまるで宝探しみたいだ。

◇◇◇◆◆◇◇◇

ある日、語学学校のクラスメートと旧市街を歩いてみるが、ご飯を食べるお店が中々決まらない。

すると、一人がいう。

「ねえ、あの人の "little secret place" 行ってみる?」

語学学校は1週間単位で勉強期間を申し込める。ヨーロッパは長期休みが取りやすいので、学生や退職した人のみならず、数週間のバカンスを語学留学に充てる社会人もちらほら見かけた。

1週間だけの人、数週間の人、数ヶ月の人。

それぞれが自分のスケジュールに合わせて出入りするので、月曜日の出会いと金曜日の別れを毎週繰り返す。

その前の週の金曜日、仕事の合間を縫って2週間のバカンスに来ていた社会人のクラスメートがドイツに帰っていった。

その日昼ごはんを一緒に食べていたメンバーも含めて、一緒に飲みに行ったり、近隣の町にプチ旅行に行ったりする仲だったが、去り間際に旧市街にあるお気に入りのカフェを "little secret place" だと言いながら教えてくれた。

みんなで旧市街の路地をいくつか抜けていくと、こじんまりとした広場にひっそりとテラス席がお出ましだ。

淡いベージュが目に優しい、旧市街の建物の合間に埋もれた小さい広場。

木が何本か生え、ハーブのような植物が植えられた花壇が整備されている。その横に並ぶ真っ赤なパラソル。燦々と降り注ぐ南仏の日差し。建物とお揃いのベージュの石畳に陰が落ちる。

ここはコメディ広場の喧騒と異なり、風に草木が揺れる音が聞こえるほどに静まり返っている。

突き抜けるように青い空の下、ゆったりとした時間をそれぞれ楽しむテラス席のお客さん達。

一人ここに座って、ランチやコーヒーを楽しんでいたであろう、すでに帰国した彼女の姿が想像される。そこにいた誰もが知らずにいたこの場所を、帰国間際まで周りに教えなかったのがわからなくはない。

旧市街の迷路の中に埋もれる数々のカフェの中から見つけ出した、居心地のいい自分だけの場所。誰も知らない自分のためだけの時間。

「ここが彼女の "little secret place" ね」

人の不在は、その人がいる時よりもその存在を色濃くする時がある。彼女の姿がないカフェのテラス席で同じように座り、食後のコーヒーを味わっていると、彼女は笑いながら私にこう語り掛けているような気がした。

大人の一人の時間はね、こうやって贅沢に使うのよ

南の太陽を求めて訪れた人々の夏が行き交っていくモンペリエの街。

一足先に夏を終えた人生の先輩が街の片隅に残した置き土産は、仲間と賑やかしくするのとはまた趣が異なる、ひとときの過ごし方をそっと教えてくれる。

◇◇◇◆◆◇◇◇

それから、天気がよく散歩日和の日には、家の周りも、職場の周りも、街をフラフラ歩くことにしている。

この道1回も通ったことないかもと気がつきあえて歩いてみると、商店街の端を一本入ったところにポツンと年季の入った喫茶店があったり、駅から離れた住宅地の中にひっそりと佇むカフェがあったりする。

最近はGoogle マップやインスタにお店の情報が色々載っているので、隠れたお店も随分見つけやすくなったけれども、自分の足で歩いて出会ったお店はなお気分がいい。

コーヒーをゆっくり味わって、ホッと一息つく、居心地のいい秘密の場所。

今日も新しい私の "little secret place" の候補を求めて、街に埋もれるお店を探しにいくのである。




※注: 私が滞在していた当時モンペリエにはスターバックスがなかったが、私の滞在から数年後、とうとう進出したらしい。ただし、大きいショッピングモールの中に入っており、街中を歩いているとフラッっと出会うような路面店は未だにないようだ。


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